◆右獄(西獄)
西大路通と丸太町通との円町交差点の西北側(中京区西ノ京西円町)には、
発掘調査によってかつて右獄があったことが明らかとなりました。
右獄は平安時代に都におかれた二つの獄舎のうちの一つで、右京一条二坊十二町にありました。
さらに1999年度調査で、JR円町駅の北側で幅15~16mのお土居の基底部が発掘され、
西側の佐井通との段差がみられ、この通りに堀があったことをうかがわせます。
ここは秀吉が造ったお土居の西のラインで、ここだけ突き出ていた理由が
獄舎の存続にあることが分かりました。
かつて右獄があった西円町は、銀行とパチンコ店、その北側に駐車場がある一角です。
『扶桑略記』によれば、康平6年(1063)、前九年合戦で源頼義・義家父子と戦って
敗れた阿部貞任ら三人の首を西の獄門に晒したとあり、
天仁元年(1108)、白河院の命を受けた平正盛(清盛の祖父)に追討された
源義親(義家の子)の首もこの獄門の樗に掛けられました。
平治の乱を描く『平治物語』を絵画化した『平治物語絵詞』(信西の巻)には、
信西(藤原通憲)のさらし首と右獄の有様が描かれています。
この絵巻が制作された当時は、左右の獄が現存していたので、
そこに描かれている獄舎の光景は、実景に近いとされています。
保元の乱で辣腕を振るった策士信西は、その3年後の平治の乱で早くも抹殺されました。
平治元年(1159)12月、信西の首は長刀に結ばれ、
高く掲げられて都大路を進み、獄門際の樗(おうち)の木に掛けられました。
「獄門に首をかける。」とは、首を獄門の木に懸けることですが、
絵師は獄門の樗の木に首が晒された光景を見たことがなかったと思われ、
これを文字通りに解釈し、首を門の破風に懸けています。
それを僧や稚児、烏帽子、山伏、頭巾姿のさまざまな人々が見物しています。
獄門の周囲には築垣がめぐらされ、門は板葺の簡素なもので、
傍らには樗と思われる冬枯れの巨木が描かれています。
この画像からは分りにくいのですが、
牢屋の横板の隙間から囚人たちの目がいっせいに外を見ています。
右獄の遺跡は埋められましたが、獄舎にまつわる円町という地名が今に残っています。
円町の「円」という文字を象形文字から考えると次のようになります。
「円」の旧字体は「圓」、圓を分解すると、鼎(かなえ)→員(人員)+□です。
員を□で囲み、多人数を囲いの中に入れておくので圓という文字になります。
人を□で囲めば、囚という文字になり、囚獄(ひとや)は、人屋(ひとや)とも牢屋ともいいます。
牢屋のあったこの辺を、京都の人々は直接的に「ひとや町」とは呼ばず「円町」と名づけました。
◆左獄(東獄)
平安京の右京にある右獄に対して、左獄は、左京一条二坊十四町
近衛大路南、西洞院大路西、油小路東、勘解由(かげゆ)小路北、
近衛大路は現在の出水通、勘解由小路は下立売通りにあたります。
つまり現在の丁子風呂町南側、勘兵衛町、西大路町北側、近衛町東側の一画にあり、、
敷地の東北隅には、両獄を統括する刑部省の囚獄司が置かれました。
『坊目誌』は、丁子風呂町にはかつて獄舎があり、
中世までは「獄門町」と呼ばれたと伝えています。
この獄門にかけられたのは源義朝・鎌田正清主従や悪源太義平(義朝の子)、源義仲、
そして一の谷合戦で戦死した平通盛・忠度・知章・経俊・師盛・経正・業盛らの首は、
六条河原で義経から検非違使が受け取って、左の獄門の樗に懸けられました。
さらに壇ノ浦で生け捕られた平宗盛父子の首もこの獄門に晒されました。
延元3年(1338)越前国藤島で戦死した
新田義貞の首もやはりこの獄門にさらされています。
『拾遺都名所図会』によると、「西陣七の社に西隣にある獄門寺は、一名西福寺といい、
昔、この寺は近衛南の左獄の傍にあり、寺僧が斬罪者に引導を授けたという。
後世、荒廃しこの地に移された。」とあり、その後、明治維新の際に廃寺となりました。
京都府庁の西側、勘兵衛町にたつ京都府庁西別館。
京都府庁西別館の北側の丁子風呂町には、近畿農政局が建っています。
ナジック学生情報センター
『アクセス』
「西円町」市バス「円町」駅 又はJR「円町」駅下車すぐ
「京都府庁西別館」 市バス「堀川下立売通」下車徒歩約5分
京都駅から「地下鉄丸太町」駅で下車 徒歩約10分。
市バス93系統・202系統・204系統に乗車、府庁前で下車 徒歩約7分。
『参考資料』
角田文衛「平安京散策」京都新聞社、1991年 「京都市の地名」平凡社、1987年
新京都坊目誌「我が町の歴史と町名の由来」京都町名の歴史調査会
「平治物語絵詞」(コンパクト版・日本の絵巻12)中央公論社、1994年
「京都地名語源辞典」東京堂出版、2013年 「新定源平盛衰記」(第5巻)新人物往来社、1991年
国際日本文化研究センターHPデーターベース
「拾遺都名所図会(巻之一)平安城(20頁)獄門寺(西福寺)」