CubとSRと

ただの日記

生きてる間は「かまって」ちゃん  (後)

2024年12月29日 | 日々の暮らし
 続き)

 昨晩やっと、たった十枚の年賀はがきに「謹賀新年」の判を押す。
 絵を描き、印刷して出すということをしなくなって、もう十年以上になる。
 さらにここ数年は、年賀状自体一枚も書いてない。
 
 このまま静かにフェイドアウト、と思っていたのだが、70を過ぎてから逆に考え方が変わって来た。
 逆じゃないか? 人はみんな他人に無関心だ。でも自分には無関心じゃない。
 能く言う。「命あってこそ。死んで花実が咲くものか」沖縄の「命どぅ宝(ぬちどぅたから)(いのちこそたから)」。
 自分のことが気になるからこそ他人のことが気になる。
 「嫌われたり無視されたりするうちはいい。無関心が一番怖い」というのはそういうことだろう。見てくれているか否か。

 「ああ、最近年賀状が来なくなったけど」、「最近うわさを聞かなくなったけど」に続いて、「そうか。もうこの世にいないのか」と言ってほしい。
 「すっかり忘れていた。で、それが何か?」なんて言われたら化けて出てくる気力も失せる。そんな世の中は嫌だ。
 「さみしい時は 僕の好きな 菜の花畑で泣いてくれ (by森田童子)」なんて贅沢な要求はしないけど。

 「発つ鳥 後を濁さず」。こちとら「鳥」じゃない。第一、鳥は雄飛する。
 人間は飛べない。地面の上を右往左往して一生を終える。
 その代わりに思考の翼で、鳥なんか比べ物にならないほど、世界のみならず時間までも縦横無尽に飛び回ることができる。

 フェイドアウトなんかしない。生きてる間中考え続け、喋り続け、書き続けてこそ人間。日記も然り、ブログも然り、年賀状もその一つ。
 年賀状が来なくなったらこの世に居なくなった、と納得してもらう。
 そういうロマンもあり、じゃないか。

 で、今日は宛名を書いた。
 真っ直ぐ書いたつもりが十枚が十枚、一文字ごとに微妙に右へずれていく。
 筆ペンのせいではない。頭は右寄りだが、字は完全に左傾化している。
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