10月の三連休、最終日に日御碕(ひのみさき)神社へ行って来ました。
日帰りのショートツーリング。
と言っても、片道一時間半に満たないんですが。
・・・・・・・・でも、気分はツーリング!
日御碕に行くのは二回目なんですが、前回行ったのは随分昔で、もう二十年以上前のことです。だからあんまりよく覚えてない。
遠い記憶の糸を手繰ろうとするんですが、どうもそこら中切れていて上手く手繰り寄せられない。
それでもやっと思い出したこと(そういうことってのは、ちゃんとツーリング日記に書いたから、そこだけ覚えているみたいです)は・・・・。
日帰りのショートツーリング。
と言っても、片道一時間半に満たないんですが。
・・・・・・・・でも、気分はツーリング!
日御碕に行くのは二回目なんですが、前回行ったのは随分昔で、もう二十年以上前のことです。だからあんまりよく覚えてない。
遠い記憶の糸を手繰ろうとするんですが、どうもそこら中切れていて上手く手繰り寄せられない。
それでもやっと思い出したこと(そういうことってのは、ちゃんとツーリング日記に書いたから、そこだけ覚えているみたいです)は・・・・。
日御碕神社は海岸線をくねくねと進んで行った道の先にありました。
両側から小山の迫った谷間(たにあい)の海近くに、突然、社殿が現れる。
朱に塗られているんだけれど、潮風ですっかり色褪せ、全く人気(ひとけ)がないのと相俟って、周りの深い緑に溶け込んでしまっている。
夕刻の西に傾いた陽射しの中では、随分と寂しそうな雰囲気でした。
由緒書の看板を見ると、例によって、徳川家光の寄進で立派な権現造りの社になった、とある。
「こんな人気のないところに、こんな立派な神社が?」と思う。
事代主命を祀る「美保関神社」が、同じ島根半島の反対側、東端にある。
両側から小山の迫った谷間(たにあい)の海近くに、突然、社殿が現れる。
朱に塗られているんだけれど、潮風ですっかり色褪せ、全く人気(ひとけ)がないのと相俟って、周りの深い緑に溶け込んでしまっている。
夕刻の西に傾いた陽射しの中では、随分と寂しそうな雰囲気でした。
由緒書の看板を見ると、例によって、徳川家光の寄進で立派な権現造りの社になった、とある。
「こんな人気のないところに、こんな立派な神社が?」と思う。
事代主命を祀る「美保関神社」が、同じ島根半島の反対側、東端にある。
「日御碕」と「美保関」。書いてみると違う神社だと分かるけど、聞いただけなら「ヒノミサキ」「ミホノセキ」。
何だか紛らわしい。
大体、こんなことを思い出しました。
今回は日御碕灯台には行かない。神社だけ参拝しよう、と思っていたので、急ぐこともあるまい、と、窮屈になったレザージャケットを着込みます。
勿論、ジャケットが縮んだわけではありません。着る側が膨らんだだけです。
排気音が久し振りにちょっと変、だから、とキャブレターの辺りを見ると、径一センチ余りの、薄茶色の水玉が沈んでいる。
現金なものです、それを捨てたら一遍に、機嫌の良さそうな音になった。
10時過ぎ出発。
ほどよい秋晴れのツーリング日和。
連休最終日、ということもあって、結構ツーリングらしいバイクと出会います。
大方は十名弱のグループで、ソロは二人ほどでしょうか、見たのは。
手を振ってみるんですが、たまに無視されます。
そんな時は
「あ~、無視されたぁ~~」
なんて思うんだけれど、それより私の後ろについている車が、
「ん?何やってんだ?こいつ」
なんて思ってるんだろうな、と思うと、そっちの方が恥ずかしい。
で、走りながら反省会をする。
「やめようか?」
無視されたんじゃなくて、
「視界に入らなかった」,「見る暇がなかった(そんな余裕はなかった)」?
それとも反対に
「バカか?こいつ」と一瞥して無視。
無視されたんじゃないのか、無視されたのか、さあ、どっち?
答えはいつも主観で、99%「無視じゃない!」
目が僅かに動いただけでも、ミラーシールドでなければ何となく感じるものです。ちらっと見たら、ヘルメットが僅かに動く。
そしてちらっとでも見た者は、まず間違いなく頭をわずかでも上下に動かす。目礼、というやつです。もっと余裕があれば会釈をする。
走るのに一所懸命でピースサインどころじゃないから。
それで思いました。
車に乗っている人でも、普段はバイクに乗っている人がいるかもしれない。
車の中からは、バイクの一挙手一投足は見えるけれど、バイクの方からは車の中は全く見えない。
車しか乗らない人は、「バイクに乗ってる者は車なんか眼中にない」、または「バイクは車を無視してる」と思っている。
けど、バイクしか乗らない人は「車に乗ってる者はバイクなんか眼中にない」、または「車はバイクを無視している」と思っている。
ということで、車にも乗るライダーは、車に乗ってる時でもバイクに親近感を持ってるだろうし、バイクにも乗るドライバーは、「車がバイクを無視してる」、なんて決めつけない。これ、何だか残念だな、と思います。
ドライバーのみんながみんな、
「バイクなんか、地球上から消えてしまえ!」
、なんて思ってるわけじゃない。
ライダーの全てが
「車なんか邪魔なだけだ!」
と思ってるわけではない。
だったら、ライダー兼ドライバーが仲介役になって何とか二輪と四輪が気持ちよく走れるような環境、つくれないのかなあ、なんて。
もやもや思ったわけです。
「他のこと考えながら走ったら危ない」って?
大丈夫です。
バイクに乗ってる時は走るのが楽しくって、そんなもやもやしたこと、深刻に考えてる暇はありませんから。
大体、こんなことを思い出しました。
今回は日御碕灯台には行かない。神社だけ参拝しよう、と思っていたので、急ぐこともあるまい、と、窮屈になったレザージャケットを着込みます。
勿論、ジャケットが縮んだわけではありません。着る側が膨らんだだけです。
排気音が久し振りにちょっと変、だから、とキャブレターの辺りを見ると、径一センチ余りの、薄茶色の水玉が沈んでいる。
現金なものです、それを捨てたら一遍に、機嫌の良さそうな音になった。
10時過ぎ出発。
ほどよい秋晴れのツーリング日和。
連休最終日、ということもあって、結構ツーリングらしいバイクと出会います。
大方は十名弱のグループで、ソロは二人ほどでしょうか、見たのは。
手を振ってみるんですが、たまに無視されます。
そんな時は
「あ~、無視されたぁ~~」
なんて思うんだけれど、それより私の後ろについている車が、
「ん?何やってんだ?こいつ」
なんて思ってるんだろうな、と思うと、そっちの方が恥ずかしい。
で、走りながら反省会をする。
「やめようか?」
無視されたんじゃなくて、
「視界に入らなかった」,「見る暇がなかった(そんな余裕はなかった)」?
それとも反対に
「バカか?こいつ」と一瞥して無視。
無視されたんじゃないのか、無視されたのか、さあ、どっち?
答えはいつも主観で、99%「無視じゃない!」
目が僅かに動いただけでも、ミラーシールドでなければ何となく感じるものです。ちらっと見たら、ヘルメットが僅かに動く。
そしてちらっとでも見た者は、まず間違いなく頭をわずかでも上下に動かす。目礼、というやつです。もっと余裕があれば会釈をする。
走るのに一所懸命でピースサインどころじゃないから。
それで思いました。
車に乗っている人でも、普段はバイクに乗っている人がいるかもしれない。
車の中からは、バイクの一挙手一投足は見えるけれど、バイクの方からは車の中は全く見えない。
車しか乗らない人は、「バイクに乗ってる者は車なんか眼中にない」、または「バイクは車を無視してる」と思っている。
けど、バイクしか乗らない人は「車に乗ってる者はバイクなんか眼中にない」、または「車はバイクを無視している」と思っている。
ということで、車にも乗るライダーは、車に乗ってる時でもバイクに親近感を持ってるだろうし、バイクにも乗るドライバーは、「車がバイクを無視してる」、なんて決めつけない。これ、何だか残念だな、と思います。
ドライバーのみんながみんな、
「バイクなんか、地球上から消えてしまえ!」
、なんて思ってるわけじゃない。
ライダーの全てが
「車なんか邪魔なだけだ!」
と思ってるわけではない。
だったら、ライダー兼ドライバーが仲介役になって何とか二輪と四輪が気持ちよく走れるような環境、つくれないのかなあ、なんて。
もやもや思ったわけです。
「他のこと考えながら走ったら危ない」って?
大丈夫です。
バイクに乗ってる時は走るのが楽しくって、そんなもやもやしたこと、深刻に考えてる暇はありませんから。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/be/f9e459e9af5c89a90da909be4e348296.jpg)
2012.10/12
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