長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

322. 出水平野、ツル類取材旅行 その一

2018-02-18 17:20:48 | 野鳥・自然
今月の9日から二泊三日で鹿児島県出水市のツル類の越冬地に「野鳥版画」の取材旅行に行ってきた。当工房で恒例となった冬季の遠出取材である。

と、いうわけで9日の早朝5時に起床。朝食はスープだけで済ませ、スタッフでもある連れ合いと2人で成田空港へ向かった。当工房は成田市に近く飛行機に搭乗するには、とても便利なのである。電車に乗り空港第二ビル駅で下車、徒歩で第三ターミナルまで行く。ここで荷物を預ける手続きなどを済ませ、しばらく寛いでから8:40発、熊本行のジェットスター便に乗り込んだ。国内便は北から南までどこへ行くのでも搭乗してしまえばフライト時間はあっと言う間である。小さな車窓から本州の山岳地帯の雪に覆われた山稜や雲海を眺めているうちに10:54、熊本空港に到着。天気はまずまずである。ここからはレンタカーを借り九州道を南に向かってまっしぐらである。

久々の九州。高速に乗ってしばらく走ると穏やかな曲線の九州らしい山並が見えてきた。朝からロクに食事をしていなかったので宮原SEという所で休憩。弁当を買って車中でほおばる。鳥影はまだ見えない。再び高速に乗り、しばらく進むと右手には八代海越しに天草諸島がやや霞んで浮かび上がってきた。とても美しい風景だ。これから向かう目的地を想像しながら良い兆しも見えてきた。八代市を過ぎてインターを降り、水俣市を通過すると出水はもうすぐである。ここで千葉の鳥の世界のT先輩に事前にご紹介いただいた地元バーダーのM氏に連絡をとり合流場所などを決めた。

出水市に入ると「ツル渡来地」を示す看板がいくつも出てきた。その誘導通りに進んで行くと、一際大きな看板が登場。左折して水田の中の道を行くと車のすぐ脇の水田にツルのペアを発見。徐行して観察すると「マナヅル」だった。九州初のツルとの出会いは案外あっけなかったのだ。さらに農道を進むと、いくつものツルの家族が降りている。双眼鏡で観察すると「ナベヅル」のファミリーだった。これまたあっけなかった。
14:32、「ツル展望所」前の駐車場に到着。ここで再びM氏に連絡。しばらくして小柄だがガッチリしていて温厚そうな笑顔の紳士がこちらに向かってやって来た。簡単な自己紹介と名刺交換をする。M氏は地元出水市にお住まいのベテラン・バーダーで、長く教員生活をされてきた。そしてこの渡来地のツル類の調査、保護活動を長く続けてこられた方でもある。

「まず初めに展望所の3階の屋上に上がって干拓地の給餌場のツルたちを観察しましょう」M氏のアドバイスに従い観察用具とカメラを担いで展望所に入館して行った。屋上への重い扉を開けると風が強く、南九州とは言ってもこの時期はけっこう寒い。頬に吹き付ける冷たい風を堪えながら屋上にポッカリと出た。グルリと視界が開け眼下の給餌場に目を移すとナベヅル、マナヅルの混群がビッシリと降りていた。コサギやアオサギも混じっているが、かなり少数派で居心地が悪そうである。「クッ、クルルー、クッ、クルルー」寒風にのってツル類特有の心地よい鳴き声が聞こえてくる。少し遠方に双眼鏡を向けると美しい模様のカモ科の「ツクシガモ」の小群が冬水田んぼを歩いていたり、その先の電線や人家の屋根にはカラス科の「ミヤマガラス」の大群がビッシリととまっていたりした。その中に小型の「コクマルガラス」も混ざっていた。どの種も九州など西南日本に多く渡来する種類である。寒さを堪えてしばらく観察してからM氏が「今回、どんな種類の野鳥を観たいのですか?そしてどんな場面を取材したいのですか?」と尋ねられたので、おおよその種類や観たい場面を説明した。すると自作の出水干拓の白地図をザックから取り出し僕らに説明し始めた。ツル類が多く観られる場所にはマーカーで色が塗ってあり、地図上のいたるところに最近観察できた鳥の種類が書き込んであった。「これは…」と聞き返すと「事前に用意しておきました。取材に活用してください」とのこと。とてもありがたい。感謝。

ツル展望所を出てから、駐車場で簡単な打ち合わせ。「これから地図どおりに巡回していきます。1回線のレシーバーを渡しますのでこれでやりとりしましょう」とM氏。2台の車に分かれM氏のジープを先導にフィールドに向かって出発した。広大な干拓地の中の農道をゆっくりと進んで行く。ときおりレシーバーを通して連絡が入り「この辺りはツルの家族がよく休んでいる場所で自然な写真が撮り易いです」とか「この水田にはニュウナイスズメの大群が入っていることがあるので注意してください」などと適切なアドバイスを送ってくれる。西干拓~古浜~野田と移動して行って野田川の脇の道に出た時、レシーバーから「水路にヘラサギが入っています」との声。「了解しました」といってしばらく止めてもらい観察してから撮影を済ませた。「ヘラサギ」も西南日本に多いトキ科の冬鳥である。それにしてもこのレシーバーでのやりとりはまるでカナダの森林公園のレンジャー(自然観察員)にでもなったようである。

この後、「カラムクドリ」や「ギンムクドリ」といったムクドリ科の珍鳥が出現するという場所や夕刻にフクロウ科の「コミミズク」が飛ぶという場所などを通過して東干拓のツル類の塒に移動する。広大な干拓地の中央の真っ直ぐな車道をゆっくりと走って行くと再びレシーバーから「右手の奥にナベとマナの大きな混群が入っています」と案内があった。車を止めて車中から双眼鏡で観察する。水田が真っ黒に観えるぐらい数千羽のツルたちが休息していた。ここで車道の脇に車を止めてさらに高倍率のフィールドスコープ(望遠鏡)を三脚にセットしてジックリと観察することにする。狙いは数が少ない珍重のツルたち。しばらくしてM氏が「クロヅルとカナダヅル…それからナベクロヅル(ナベヅルとクロヅルの自然交雑種)も混ざって入っていますよ」、さすがに地元バーダー、見つけるのが早い。M氏のスコープでおおよその位置を確認し自分のスコープでもしっかりと観察した。

さらに移動しツルの姿を探す。途中、「ヘラサギ」と「クロツラヘラサギ」の混群を発見、カメラに収める。しばらくしてM氏の車のスピードが上がりレシーバーに強い口調で連絡が入る。「クロとナベクロが車道から近い水田に入っている」というのだ。急いで追いつき双眼鏡で確認。ドアの音がしないようにゆっくりと車を降り、脅かさないようにして写真を撮影させてもらった。ここでそろそろ日没の時間が近づいてきた。今日の締めくくりは干拓地から近いM氏の自宅近くの神社ポイント。ムクドリの大きな塒となっている竹藪がありその手前の電線に「ホシムクドリ」が出現するのだという。「ホシムクドリ」はムクドリ科の野鳥で数少ない冬鳥として日本に渡来し、西南日本での記録が多い。現場に到着するとすでに周囲は暗くなりかけていた。M氏が「今日はもう遅いかなぁ…塒に入ってしまったかなぁ」と呟いたその直後、40羽ほどのムクドリの群れが飛んで来て目前の電線にとまった。はやる気持ちを抑えながら端から双眼鏡で1羽1羽観察して行くと「いたいた、ホシムクドリっ!」ムクドリより小型でかなり黒っぽい羽色の姿をしっかり観られた。かなり暗くなってからなので撮影はできなかったが印象に強く残った鳥となった。

ここでタイムオーバー。「今日は一日貴重な時間をいただき本当にありがとうございました」M氏に丁寧にお礼を言ってから再会を約束した。M氏と分かれて道すがら今日の鳥見がかなり幸運続きだったことや明日からの計画などを2人で話し合いながら宿へと向かったのでした。連載はさらに次回へと続く。

画像はトップがナベヅルの群れ。下が向かって左から西干拓のツル類の給餌場、ツル展望台、マナヅル、ヘラサギ、クロツラヘラサギ、クロヅル、ナベクロヅル。



                         

299. 行徳鳥獣保護区の『クモ観察会』に参加する。 ~夏編~

2017-07-31 18:19:31 | 野鳥・自然
今月16日。千葉県市川市内にある行徳鳥獣保護区で開催された『クモ観察会』に参加してきた。5/14に続いて二回目の参加となる。主催は「東京蜘蛛談話会」というクモの研究会。関東周辺のクモのスペシャリストが多く入会している。5月が初夏編ならば今回が夏編というところ。今後10月の秋編、来年2月の冬編と、観察会は続いていく。

家から徒歩と電車を乗り継ぎ、行徳野鳥観察者前の集合場所に到着したのは午前9時54分だった。10時集合なのでギリギリセーフ。入り口にはすでに参加者が集まっていて、よく見ると談話会の旗がパタパタと棚引いていた。まるで「新撰組」の旗のようである。随分前に千葉県内の観察会に参加した時に公園の入り口でやはりこの旗が出ていたのだが、周囲にいる一般の人の目が気になって旗の下に行けなかったことを思い出した。

この日は梅雨開け2日前だったが、かなりの猛暑で市川市でも「熱中症注意報」が発令されており、参加者リストに記名する時に世話人のK女史から「この陽気によくいらっしゃいましたねぇ?」と言われてしまった。保護区内への移動前に「今日は暑さがたいへん厳しく観察舎の職員の人から野外活動は早めに切り上げるように言われていますので注意してください」と説明があった。今日の参加者は前回より少なめの15名。顔が出そろったところで保護区内へ移動となった。
ゲートを潜り、ササや低木の茂るブッシュ内に入ると想像していたよりも暑くない。木々や草など植物たちのおかげなのだろう。さらに狭い仕事道を一列縦隊で奥へ奥へと進んで行く。
ポイントである観察小屋に着くと前と同じく保護区内での行動説明の後、おのおの散らばって行く。丁寧に観察する人、採集を始める人、ブラブラと歩き回る人、それぞれである。

僕はと言うと例によって「動植物の採集はしない、とるのは写真だけ 」と固く誓っているのでカメラをかついで、クモの良い生態が観られないか草原を探し始めた。前回、コガネグモが多かった辺りを探して回るとコガネグモは少なくなったのだが、ナガコガネグモの姿がよく目につく。その中でちょうど雄と雌が巣の上で交接している場面に遭遇した。平野部では特別珍しい種類ではないが、なかなか交接の場面というのは出くわさない。それもよく目を凝らして観ると雌の脱皮殻が網に付着している。そうだ、クモの雄たちのある種類は雌の脱皮行動の瞬間を狙って交接するのである。なぜかと言えばまともに交接に行くと動くものはみんな食事の対象となり、たとえ同じ種の雄だろうと体の大きな雌に捕えられ食べられてしまうからである。昆虫のカマキリと同じでこれが産卵する卵の蛋白源となるのである。「恐ろしや…命がけの愛」。しかしこれは生態写真には絶好のチャンスである。夢中でシャッターを切った。
しばらくして落ち着いて周囲を見回すとけっこうナガコガネグモの雌雄が見つかるではないか。一緒に巣にいるもの、どちらか片方のものなどいろいろだった。良く観ると雄の中に8本ある脚のうち3-4本を失っている個体がけっこういた。これはおそらく交接の時に雌に食べられてしまったのだろう。「恐ろしや…命がけの愛」。
地べたに座り込んで写真撮影をしていると参加メンバーの数人が後でギャラリーになっていた。ナガコガネグモの交接の説明をする。ここでボチボチ昼食の時間となる。観察小屋ポイントまで戻りお昼の時間。水分を補給したり弁当を食べながらの「クモ合わせ」。ここまでで観察したクモの種類を各自が発表し会として記録を録っていく。

12時50分から観察再開。僕はまた草原のクモを集中して写真撮影して行く。東京湾岸の平野部ということで環境が単調なせいか種類は少なく見える。だが、平地では開発や農薬などの影響で生息数が減少している大型のコガネグモ科の個体数が多いのには目を見張った。おそらく保護区内が普段は隔離された場所であって許可がなければ人が入れないということと関係しているのだろう。

午後は広い場所で迷ってしまうということもあり参加者は固まって行動した。草原を抜けて進み、正面に水鳥のカワウのコロニーが見える干潟に出て、徘徊性のコモリグモの仲間などを観察。さらに干潟沿いに進んでクロベンカイガニやヤマトオサガニ、そして東京湾岸が北限というトビハゼなどの干潟の生物を観察してから保護区を出た。
ここで二度目の「クモ合わせ」をする。午前との合計で約60種ほどのクモ類が確認された。ここまできて参加者の中には猛暑のために言葉少なになっている人や元気がなくなっている人もいて14時34分に少し早いが解散となった。猛暑の中、観察会を開催していただいた談話会の担当の方々、クモに関する興味深い情報を提供してくださった参加者のみなさんに感謝いたします。10月の観察会がまた楽しみです。

画像はトップが巣の上で交接するナガコガネグモの雌雄、よく見ると雌の脱皮殻が見える。下が向かって左から「東京蜘蛛談話会」の旗、観察開始前の説明会、コガネグモの雌、クロベンカイガニ、トビハゼ、カワウの群れ、保護区内風景。


                    






295.草原の希少な小鳥 コジュリン 

2017-06-23 18:03:01 | 野鳥・自然
今月は偶然だが、自然関係の投稿が続いている。まぁ、真夏に向かって生物が活気づく季節であるということだろう。

今日ご紹介するのは平野部の草原で繁殖する小鳥。僕が野鳥の観察フィールドとしている千葉県北東部の印旛沼周辺のアシ原や草原にホオジロ科の「コジュリン Japanese Reed Bunting」という野鳥が生息している。

スズメよりも小さく成鳥の雄は頭部がスッポリと黒い。ちょうどプロレスの覆面レスラーが覆面をかぶったような風にも見える。これに対して成鳥の雌は頭部が黒褐色で淡い不明瞭な頭央線のあり全体に地味な体色である。囀りは "ピッチリリ、ツーピチョチッ" という少しホオジロのそれと音の響きが似たカワイイ声で鳴く。地鳴きは"ツッ、ツッ" 分布は中国北東部・ウスリー・南千島で繁殖する。北方のものは冬季には南方に渡り、朝鮮半島南部・中国南東部で越冬する。日本では中部以北の本州および九州で繁殖するが、繁殖地はとても限られていて局地的である。そして冬季は本州中部以南の沿岸域で越冬する。関東周辺では利根川流域や印旛沼周辺の平野部のアシ原や草原で繁殖している。

8年程前には絶好の観察ポイントである休耕田にできた草原があり毎年のように観察に通っていた。コジュリンと共に同じく局地的分布であるウグイス科のオオセッカやコヨシキリなどの希少種も生息していて3種セットで観察することができてけっこう楽しんでいた。
その後、この場所は沼の取水場の新設工事などが入り、まったく観られなくなってしまった。長くこの場所を観察していた鳥仲間によると川沿いの他の場所へ移動したようであると教えてくれた。野性鳥類は環境の微妙な変化に敏感なのである。
いずれにしてもコジュリンが生息しやすい環境というのは人間から見れば平野部の開発がしやすい場所にあり、常に生活の場を追われる緊張した状態を強いられているのだ。

このコジュリン、「環境省発行の2014年版『Red Data Book・日本の絶滅のおそれのある野生生物』の中で「絶滅危惧Ⅱ類・絶滅の危険が増大している種」として指定、掲載されている。

初夏のそよ風の中、真っ黒い帽子をかぶったコジュリンが広い草原で囀る長閑な姿をいつまでも観られるよう切に願うこの頃である。画像はトップが餌をくわえたコジュリンの成鳥雄。下が同じく成鳥雄、囀る成鳥雄、成鳥雌2カット、囀る成鳥雄。

          

294. 行徳鳥獣保護区の『クモ観察会』に参加する。- 初夏編 - 

2017-06-16 17:58:20 | 野鳥・自然
先月、5月14日。千葉県市川市南部にある行徳鳥獣保護区内で東京蜘蛛談話会主催により行われた「クモ観察会」に参加してきた。行徳鳥獣保護区周辺は新浜(しんはま)と呼ばれ昭和30年代頃までは渡り鳥(主に水鳥)の中継地として世界中の鳥類学者が注目する場所だった。
それが高度成長期に大規模な東京湾岸域の開発が進み、現在までに三番瀬、谷津干潟などと合わせわずかな干潟や水辺の自然が残される形となっていった。そして僕にとっては今から40年前、高校生の頃に野鳥観察を始めた想い出の場所でもある。

今回、「クモ観察会」を主宰するのは東京蜘蛛談話会という生物のクモを研究、愛好する会で全国にプロ・アマ含めた会員がいる団体である。僕は30代の初めに専門的な研究機関である「日本蜘蛛学会」と共に入会し現在にいたっている。入会の動機は住まいの近くである印旛沼周辺の「クモ相・ファウナ」を調べたくてみたくなったのがきっかけだった。学会の方は僕には専門的すぎて10年程前に退会してしまったが、談話会はみんなで楽しく観察会などを行っているところが気に入って続けている。とはいえ東京と名がつくだけあって会員が東京、神奈川、埼玉に集中していて、いつも観察会がそちらの方面のことが多く会員数の少ない千葉県での観察会が少ないので、なかなか参加できず幽霊会員になりつつあった。それが今年は千葉県市川市の保護区内で開催されるというので重いオシリを上げて参加することとなった次第である。

当日の朝、9時過ぎに地下鉄東西線の行徳駅で下車、改札の駅員さんに保護区までの順路を確かめテクテクと歩き出した。20年近く来ていない。ひさびさに訪れた街中のようすは随分変わっている。初めて見るビルや住宅地も拡張されていたりと風景が様変わりしていて途中からどこをどう歩いているのか解らなくなってしまった。結局、保護区の南端まで移動してしまい集合場所までグルリと遠回りした形になった。
どうにか行徳自然観察舎前の集合場所に辿り着くと、すでにボランティア・ガイドの人による保護区内での行動や観察の注意事項の説明が始まっていた。これから入る保護区内は普段は一般の人の入場はできず、今回はこの観察会のため特別に入場させていただくのである。
古くからの談話会の知人で観察会の世話人であるK女史や何人かの顔見知りの人に挨拶し、参加者20名の列の後ろに並んで注意を受けた。

10時過ぎにいよいよ保護区内に出発する。ゲートをくぐってしばらく進むと右手に干潟が現れた。引き潮でトビハゼやヤマトオサガニといった干潟特有の生物が観られた。このあたりまでは40年前の記憶がピタリと重なってくる。さらに進むとうっそうとしたブッシュが広がり始めた。草原、常緑樹の林、笹薮、ところどころ池が現れたりなかなか変化に富んだ自然環境が形成されている。ポッカリと開けた場所に出ると水田が作られ、ため池に水車が回っている場所に出た。ここで世話人のK女史による観察会の簡単な流れの説明があり、あとはおのおの観察へと向かう。それこそ「蜘蛛の子を散らす」ようにテンデンバラバラに保護区内に散って行った。いきなり採集を始める人、じっくりとクモの網を観察する人、奥の方まで移動する人など人それぞれの観察が始まる。僕はというと「採集はしない」と決めているのでカメラ片手に大きな種類を撮影したり、種のわからないクモを同定会用に持参した小瓶に入れたり(後で生きたまま逃がす)ゆっくりと移動して行く。
コガネグモ科のコガネグモの亜成体が多く目につく。コガネグモは平野部では農薬散布なので減少している種類だがここは居心地が良いらしい。それから太平洋岸で北上傾向のあるアシナガグモ科のチュウガタシロカネグモも多く観察できた。

あっという間にお昼の時間。元来た道をもどり観察舎前まで戻り昼食を兼ねて「クモ合わせ」と呼ばれる同定会。参加者全員が種名の解らないクモを小瓶に入れて持ち帰ったものをベテラン会員(若い生物系大学院生)がルーペで除きながら次々に同定していく。今回、カニグモ科の「ワタリカニグモ」という珍しいクモの雄雌の成体が採集された。僕も初めて聴いた種名で出版されたばかりの最新の図鑑には掲載されているということだった。

午後の観察会も同じルートで保護区内に入り、それぞれに観察行動をする。おもしろかったのはk女史が捕まえたハエトリグモ科のネコハエトリ数頭をノートの上に放して「ホンチ(ハエトリグモによる相撲)」を始めたことだった。周囲にはギャラリーも増えヤンヤヤンヤと結構楽しめた。
楽しい時間はアッと言う間に過ぎて行く。再び元来たルートを戻り、出口付近の草地に集まると二度目の「クモ合わせ」。同定できたもので今回74種のクモ類が記録された。名残惜しいが午後4時過ぎに解散となり保護区をあとにした。
今回の参加による収穫はクモの個体数の多さもさることながら40年の歳月の中で保護区内の植生が豊かに繁茂し、まるで欧米の自然保護区のように発達し、管理されていたことだった。40年前の何もない埋立地の状態を知るものとして再生された自然環境はまるで「創世記」を現実で見せられているような感覚になった。これもひとえに「行徳野鳥観察者友の会」を初めとしたボランティアの人たちによる地道な保護活動の成果なのだと納得し感動した。友の会の皆さん、お世話になり感謝します。この観察会は7月、10月、2月とシーズンを変えて開催される。今後もできるだけ参加してみようと思っている。

画像はトップがチュウガタシロカネグモの♀成体。向かって左からコガネグモ♀、ナカムラオニグモ♀、コゲチャオニグモ♀、ゴミグモ♀、イオウイロハシリグモ♀亜成体、クサグモ幼体、観察会のようすと保護区内の風景。

                                                      






293. LTAP・リトルターン・アートプロジェクトに参加する。

2017-06-09 19:04:42 | 野鳥・自然
今月、3日。自宅から浜松町駅まで電車で移動、ここからモノレールに乗り換えて昭和島駅で下車、東京都大田区の昭和島にある「東京都下水道局 森ケ崎水再生センター」に行ってきた。こう書くと「絵描きがそんな場所に何をしに行ったんだ」と言われそうである。
この施設の屋上に毎年、今の季節になるとカモメ科のコアジサシという夏鳥の野鳥がコロニー(集団営巣地)を形成し子育てを行っているのである。「なんだぁ、バードウォッチングかぁ」と思われるかも知れないが、今日はただの個人的な野鳥観察ではない。

コアジサシはかつては首都圏近郊でも湾岸域や河川、内陸湖沼など水辺ではどこでも必ず普通に観察できた野鳥だったが現在では繁殖地の大規模な開発により、その生息数が激減し環境省が発行しているレッドデータブック(絶滅の危機に瀕する野生生物のリスト)に「絶滅危惧種」として掲載されてしまっているのである。

16年以上前、この地の人口基盤上でコアジサシの営巣が確認されてから、この危機に瀕する野鳥たちを救おうと立ち上がった人たちがいた。少しずつ賛同する人たちを募りながら地道な調査研究活動、営巣地の保全・再生のための環境整備事業、観察会、環境学習会、関連自然保護団体とのネットワーク構築などの活動をコツコツと積み重ね、現在はNPO法人「LTP リトルターン・プロジェクト」という組織としてコアジサシをはじめとした野生生物と人間との共生を目指す非営利活動を展開している(リトルターン・Little Tern とはコアジサシの英語名)。

僕もLTPの活動の事は以前よりさまざまなメディアを通して知り、「とうとう日本にも本格的な野鳥保護活動をする人たちが出て来たんだな」と、たいへん感心し注目してきた。
今年の春、都内の公共施設で開催された日本の野生生物を描くアーティストたちのグループ展に参加したところ知人のイラストレーター、O女史より、LTPの中心メンバーとして活動されているM氏を紹介された。そして二人は今「LTAP リトルターン・アートプロジェクト」というコアジサシの保護活動と連動した展覧会の企画を計画中であるというのだ。そこで是非、僕にもアーティストの1人として参加してほしいというのである。二人の真剣な表情、特にM氏の熱っぽい説明にその場でつい「よし、コアジ(コアジサシの略称)のためにみんなで一肌脱ごうじゃあないか!」と言ってしまった。いや、これで良かったのである。

3日はその参加メンバーでの「現地取材観察会」。普段は関係者以外は入れないのだが、特別にコロニー内に入れてもらったのだった。午前10:30集合時間に入り口に辿り着くと今日の参加メンバーである画家、イラストレーター、漫画家、立体作家などのアーテイスト19名が勢ぞろいしていた。さっそくM氏のコロニー内での観察行動の注意事項が説明され、いざ取材に出発となった。今年は約1000羽のコアジサシが飛来しているという。

施錠された門が開けられ中に入ると人口的な建築物の屋上という広くて平らな環境には砂利や貝殻が敷き詰められ所々に外敵からの保護用の煉瓦ブロックが組まれている。参加者は暑さ除けに設置されたテントの周辺まで移動すると各々、双眼鏡や望遠鏡で観察を始める。カメラでコアジサシたちの姿を撮影する人、スケッチブックを取り出してスケッチを始める人、ノートにメモを取る人などそれぞれの取材内容となる。

望遠鏡で観察していると巣の上にうずくまる親鳥の下から生まれたての可愛いヒナの姿や卵が観られた。よく見回していくとそこかしこに巣ができている。ときおりコアジサシたちがワッと群れで飛び立つことがある。カラスが出現するのだ。M氏の解説では、ここでの最大の天敵はカラスたちで卵やヒナを丸呑みしてしまうそうである。それから猛禽類のハヤブサやチョウゲンボウも出現し親鳥も捕えられるとのことだった。まさに「命がけの子育て」なのである。昼食後はM氏の誘導でさらに巣が近くにある特別な場所や保護区内に作られた水辺のビオトープなどを案内してもらったり至れり尽くせりの取材だった。

炎天下の中、ちょっとハードな取材となったが、アーティストそれぞれが、生きたコアジサシの姿を取材し脳裏に焼き付けて16時に解散となった。展覧会は早いものが今年の11月、それから何か所かを巡回する。さぁてここからが勝負。どんな作品に仕上げて行こうか。仕上がった作品はLTPの保護活動に使用される。コアジサシたちの未来のため、少しでも保護活動の役にたてる作品を制作するために気持ちを引き締めて行こう。

画像はトップがコロニー内のコアジサシの成鳥。下が向かって左からコアジサシ成鳥と飛翔図、取材のようす3カット、営巣地内の環境4カット。

                           





292. 五月の谷津干潟と個展の打ち合わせ。

2017-05-30 19:06:22 | 野鳥・自然
今月5日。久しぶりに習志野市の谷津干潟鳥獣保護区に行ってきた。今秋、9月から10月にかけて一か月半『日本の野鳥』と題した版画の個展を開催する予定である。この日はセンター・スタッフの方々との展示やワークショップの打ち合わせも兼ねている。

5月のこの時期の谷津干潟と言えば、旅鳥のシギ・チドリ類の春の渡りの最盛期である。例年だと少なくても3-4回は通っているところだが、今年はいろいろと仕事が重なってしまったので結局この日一日しか行けなかった。そしてその半分は仕事である。

スタッフの方々との打ち合わせが午後の3時からなので正午前までに干潟に着き、しばらくシギ・チドリ類の観察をすることにする。ところが、この日の干潟は潮回りもあまりベストではなかったのだが、干潟に着いて双眼鏡で全体を見渡すと鳥たちの姿がない。
ちょうど鳥仲間のT氏が四阿にいたので尋ねると午前中に猛禽類のハヤブサが出現し、かき回したため干潟面に降りて採餌していたシギ・チドリ類は東京湾方面に一斉に飛んで非難してしまったということだった。

仕方がないので淡水池に移動して水鳥を観察する。数日前までは主に旅鳥として春と秋に日本に立ち寄るカモ科のシマアジ♂が入っていたようだが、すでに移動してしまったようだ。この池で常連のセイタカシギなどを観察する。セイタカシギと言えば20代の頃、江戸川河口近くに広がる妙典の蓮田で初めて出会った思い出の水鳥である。その時には白と黒の羽色のコントラストとピンクが美しい長い脚という独特な姿に、とても感動し興奮して双眼鏡を持つ手が震えていたのを憶えている。現在、東京湾周辺の水辺では毎年、繁殖活動が観察され、よく見かける種類となった。

打ち合わせの時間が近づいてきたので観察センター内に入館する。顔なじみのスタッフのH女史、K女史が出迎えてくれた。挨拶も早々、秋の個展とワークショップの打ち合わせとなる。版画個展については谷津干潟で観られる野鳥を彫った作品を何点か含めるという希望があり、会期に行うワークショップについては谷津干潟に生息する鳥類を中心に題材とした消しゴム版画を制作することで決定した。その他、ポスターやフライヤーの印刷やプレスリリースの件なども話し合った。打ち合わせ後、干潟の鳥たちの状況などをうかがっているうちにあっという間に閉館時間となった。

二人と別れてからシギ・チドリ類が戻ってきているかも知れないと思い干潟に戻る。案の定、ハマシギの群れが干潟の外から飛翔して戻ってくるのを確認する。腰を据えてジックリ観ようといつものポイントに三脚をセットし、望遠鏡で観察をし始める。
干潟の端からよく観て行くとハマシギ意外にダイゼン、キアシシギ、オオソリハシシギなど常連組が入ってきていた。しばらくすると頭上から"ホイ、ピピピピピピ…”と聞きなれた声が落ちてくる。チュウシャクシギの小群が入ってくる。スマホを見ると17:35。塒入りの始まりである。夢中になって観ていたが、気が付けば夕暮れ近くとなり周囲には誰もいない。ボチボチ、店じまい。名残惜しいが干潟の鳥たちに再訪を誓って帰路に着いた。この日観察できた野鳥はスズメやカラスも含めて34種だった。

画像はトップが淡水池で観察したセイタカシギ。下が向かって左から同じくセイタカシギ1カット。干潟の風景3カット、ハマシギ、オオソリハシシギ2カット、チュウシャクシギ1カット。


                   

282. この冬はアトリのアタリ年・小根山森林公園探鳥記 その二 

2017-03-03 19:01:26 | 野鳥・自然
2月15日。カラス「カァーッ」で群馬の夜が明ける。安中市での冬の小鳥類の写真取材日2日目である。昨晩、泊まった宿はJR横川駅のすぐ近くにある「東京屋」という旅館。何故、横川で「東京屋」なのかと宿のおかみさんに尋ねると明治時代に先祖が東京から移住して来たのだという。昨日は日暮れまで寒い中の撮影取材だったので疲れも出たのか入浴後、この土地の山菜やら山女魚などのおいしい夕食で一杯やるとバタンキューと一気に眠ってしまった。

今日の荷造りをして食堂に朝食を食べに行く。朝ごはんもこの土地で取れる山菜などを中心とした郷土料理。とてもおいしい。さすがに評判の宿だけのことはある。食堂にはご主人の趣味なのだろうかモダン・ジャズのピアノトリオの曲が流れていた。食後にお茶を飲んでボーッと窓の外の妙義の山々を眺めていると山の尾根スレスレに大きな黒い鳥のシルエットがゆうゆうと飛翔している。すぐにピンときて首から下げた双眼鏡で追うと「イヌワシだっ!」日本の猛禽類の王者である。どうやら下面の羽の特徴から成鳥のようだ。しばらく尾根上を飛翔していたがそのうち尾根の裏側へ飛んで行ってしまった。今日は朝から縁起がいい。

家を出てくる時の計画では2日目は妙義湖の方面に行ってみようと思っていたのだが、昨日の小根山森林公園で出会った地元の野鳥カメラマンが「去年の暮れから林道が工事中でコースが荒れているのでやめた方がいい」とアドバイスしてくれたので今日も小根山での小鳥の取材と決定した。8:57、おかみさんに昼食のおにぎりを作ってもらい宿を出発する。昨日と同じ矢野澤の沢沿いのコースをとる。今回撮影機材が重く最後の急登で息がきれてしまったので「夕方に取りに寄りますから」という約束で取材に不必要な荷物を宿に預けて行った。おかげで身が軽くなって山道をスイスイと登っていける。地蔵堂を通り過ぎた頃、沢が二股に分かれている場所があるのだが、その右側の薄暗い沢を双眼鏡で丁寧に探していく。実は昨日の下山の時に中型のシギらしきシルエットが飛んだのである。周辺環境から見て珍鳥「アオシギ」ではないかと期待していたのだが…見つからない。沢を登ろうと思っても足場がヌカっていて進めない。あきらめて元のコースに戻る。

高速の下、「山吹の郷」と進んで行く。途中、2羽のアトリ、マヒワやミソサザイの声、カケスも飛んだ。そして最後の急登に入る。昨日と違って荷物が軽いのと足が慣れてきたせいもあってたちまち森林公園のゲート入り口に到着する。上空をタカの仲間のノスリがハシブトガラス2羽に追われて飛んでいた。10:30、鳥獣資料館に到着する。すでに30羽ぐらいのアトリの群れが飛び交っていた。駐車場では昨日と違い6-7名の野鳥カメラマンが大きな望遠レンズをセットして構えている。中で休憩させてもらう。今日は昨日世話になったY館長は休みでSさんという男性の当番の日だった。Yさん同様この人も定年組で安中市役所の任期を終えてからこの施設に入ったと言っていた。明るくてよく笑う、話好きで気さくな人だった。

さっそく撮影取材。いいカットをものにすることが良い「野鳥の版画作品」を制作する第一歩である。気を引き締めていかなければならない。今日はアトリと合わせてミヤマホオジロ(ホオジロ科 深山頬白 英語名は Yellow-throated Bunting)、そして2羽ほど来ているというマヒワ(アトリ科 真鶸 英語名は Siskin)の美しい雄を狙ってみることにした。寒さの中、待つこと一時間弱で幸運にも両種とも給餌場に出現してくれて撮影することができた。僕はカメラマンではなくあくまで鳥の絵を描く資料写真として撮影しているので普通は撮らない後姿や背面が見える角度のカットもなども撮影する。「横、正面、後…こっち向いてくれ!」などと独り言をぶつぶつ言いながらシャッターを押すのである。今日もアトリは多い。時間と共にどんどん増えてくる感じである。給餌場近くの木の枝に群れで待機していて頃合いを見て降りてくる。鳥たちもマンウォッチングしているのである。するとその木の中の大きな群れに小型のタカが僕の背後から低く飛んできて突っ込んだ。大きさからしてハイタカかツミだろう。その瞬間、驚いたのはアトリたちでザーッっと羽音をさせて一斉に飛び立ったのである。「こんなに木の中にいたのか!」ほうぼうに飛んでいる群れをざっと数えて150羽前後はいたと思う。そのようすは千葉の干潟でシギやチドリたちがオオタカやハヤブサから逃げ惑う姿によく似ていた。食うか食われるか「弱肉強食」の自然界のドラマである。

12時前、座りっぱなしなので途中散歩がてら近くの展望台を訪れた。移動の途中、アトリ、キクイタダキ、アカゲラなどが観察された。展望台は見晴らしがよく高速道路の上越道や妙義の山並が良く見えた。資料館に戻ってから昼食を済ませ、また撮影取材。訪れる野鳥のメンツも固定されてきた頃、日が陰ってきたので早めに切り上げてS氏と雑談をする。この森林公園での四季の野鳥の変化に富んだ情報をうかがう。「何の仕事をしているのか」と尋ねられたので正直に絵描きであることを話すと「毎年、年末に安中市の観光課主催による小根山森林公園の自然をテーマにしたフェスを開催しているのだが、ここの野鳥を画題とした鳥を版画で制作したら是非出品してほしい」という話になった。やたらと素性を明かすものではない。でも、昨日のY館長といい今日のS氏といいとても人間が良い人たちですっかりお世話になったのでお礼の意味で「解りました出品しましょう」ということで約束し資料館を後にした。

それにしても森林資料館の人たちと、地元バードウォッチャーの人たち、宿の人たち…上州人は人情が厚いというか暖かい人が多かった。鳥と人。鳥が人を結び、人が鳥を結ぶ、また訪れてみたいと思ったフィールドである。

横川の街に下山し宿に戻ったのは16:50 だった。預けていた荷物を受け取り、礼を言ってから駅に向かった。帰りの電車の中での夕食は当然、横川名物「おぎのやの釜めし弁当」である。昔から変わらぬ懐かしい味を楽しみながらフィールドノートを整理すると今回の一泊二日の取材でトータル32種の野鳥を観察していた。画像はトップが給餌場でのミヤマホオジロの雄。下が左から宿から見た早朝の妙義・相馬岳、ミヤマホオジロの雌、マヒワの雄、アトリの雄、アトリの雌、展望台から見た上越道と妙義の山並。


          

281.この冬はアトリのアタリ年・小根山森林公園探鳥記 その一

2017-02-28 19:37:16 | 野鳥・自然
タイトル文字を見て「なんのこっちゃ!?」と思われるブロガーの方は多いでしょう。アトリとは野鳥の名前でスズメ目アトリ科の小鳥である。漢字で『花鶏』と書き、英語名をBramblingという。大きさはスズメ大。羽色は黒、オレンジ、白のコントラストが美しい。スカンジナビアからカムチャッカ、サハリンにかけてのユーラシア大陸の亜寒帯で繁殖する。日本には10月ごろから冬鳥として渡来し、渡来数の多い年には数十万羽の大群となることがある。また年によって渡来数の多少にに変化があることも知られている。

昨年の晩秋頃から「この冬はアトリが多いぞ」とSNSなどで全国のバードウォッチャーが画像付で情報を流している。工房の近所ではどうかと注意していたが、今月初めになりようやく近くの公園で25羽の群れと出会った。仕事の合間にカメラを以て何日か通ってみたが群れで動いているとなかなか警戒心が強くて近寄れない。

こういう年は思い切って低山に行くに限る。ひょっとしてアトリ以外の冬の小鳥類が大当たりかもしれない。昨年の今頃、山梨で同じアトリ科の「赤い鳥」たちを外しているのだがが、版画を制作する取材と決めつけて冬鳥が良いという群馬県の小根山森林公園まで出かけることにした。

今月の14日。早朝に千葉を出発。上野へ出て新幹線で高崎まで行き、信越本線に乗り換えて横川へ向かう。この時間下りの電車はガラガラである。昔はこの線で軽井沢や小諸に出たものだが上越新幹線の開通と共に寂れてしまったようだ。しばらくすると車窓から進行方向の左側に上州の山々や大きく噴煙を上げる浅間山が見えてきた。そして山の風景が裏妙義の奇岩群に変わった頃、終点の「横川」に到着した。信越線と名前が残ったが信州にも越後にも行かないのである。横川の改札から外に出ると山間の空気がヒンヤリと冷たい。小根山森林公園までの近道である「関東ふれあいの道」入り口まで徒歩で行くが町の中は寂れた雰囲気だった。

コース入り口からは矢野澤という沢沿いの山道に入る。登り始めてすぐに「クマ出没注意」の看板がいくつも登場。この季節はツキノワグマにとっては冬眠の季節、まずは出くわさないだろうが、念のため持ってきたクマよけの鈴を腰に着けた。"チリン、チリン…”と音をたてながら進んで行く。地蔵堂を過ぎ高速の下を潜ると明るい林道に着いた。ここで小休止。水分を補給しながらしばらく周囲の風景を眺めていると頭上の木から"キョッ、キョッ”といういくつもの声が落ちてきた。「アトリだ!」数えると15羽いた。「ほんとうにこの冬はアトリが多いんだなぁ」。腰を上げてさらにコースを進む。すぐにポッカリと開けた「山吹の郷」という広場に着く。鳥の姿はない。ここからはガイドブックにも載っていた急な山道に入る。丸太でステップが作られている山道をジグザグに登って行くのだが確かに急なのでたっぷりと一汗かいてしまう。喘ぎながら登り詰めると森林公園の入り口ゲートに着いた。"キョ、キョ”キツツキの仲間のアカゲラが1羽、出迎えてくれる。

ゲートを潜りしばらく行くとこの公園の管理事務所「鳥獣資料館」が見えてくる。手前の駐車場で野鳥カメラマンが1人、長い望遠レンズを構えていたので鳥情報を訪ねてみると「アトリの群れやミヤマホオジロ…それからマヒワが出ているよ」と教えてくれた。資料館横に餌台や水場がありここに小鳥たちがとっかえひっかえ出入りしていたのが見えたので三脚とカメラをセットしようとすると館の奥から男性が「今日は寒いから中に入ってお茶でも飲んでからにしなよ」と声をかけてくれた。館長のY氏である。お言葉に甘えて中に入って熱いお茶を呼ばれることにした。Y館長は地元、横川の消防署を定年退職してからここの職員になったとのこと。とても暖かい人柄で今回、この人に会えたことが最大の収穫と言ってもいい。森林公園内の鳥たちの事や訪れる人たちのことなどいろいろと話してくれた。2013年にアトリ科のオオマシコという赤い鳥(冬鳥)が23羽渡来した時には野鳥カメラマンも200名以上来て狭い駐車場に車が入りきらず、大の大人同士の喧嘩も起きたと苦笑いしていた。

森林館の暖かさに、うっかり野鳥たちの写真取材に来たことを忘れるところだった。館長も公園内を巡回に出るとのことだったので、カメラを構えて良いという距離、位置をお聞きして給餌場の前で粘ることに決めた。この日は風もなく晴天。とても気持ちが良い。待つこと数分で5羽のミヤマホオジロがやってきた。その中、雄のきれいな個体も3羽いる。夢中でシャッターを押す。すぐ横の駐車上にも餌が撒かれているようでアトリの群れが次々に樹上から降りてきた。50羽はいただろうか。気を取られていると目の前の給餌場にはマヒワが2羽。入れ替わりヤマガラ、シジュウカラ、ヒガラ、エナガ、など森林性のカラ類がやってくる。中でもヤマガラはとても慣れていてカメラを構える僕のすぐ近くに飛んできた。小鳥たちの撮影に夢中になっていると頭上でタカ類の声がする。"ピーッ、ピョ、ピョ” 見上げてビックリ「クマタカだっ!!」よく見ると2羽がグルグルと旋回飛行をしている。大きさが違う。1羽は一回り小さく細目に見える。「小さい方が雄でペアだな…時期的にディスプレイフライト(求愛飛翔)かも知れない」あわててカメラを構えるが木の枝がかぶってしまい超オートフォーカスではピントが合わない。あたふたとしているうちに2羽のクマタカは滑るように飛び去り視界から消えていってしまった。大きくりっぱである。ひさびさにしっかりとクマタカを観ることができた。

しばらくして館長が巡回から帰ってきた。興奮冷めやらずにクマタカ出現の話をすると「そーかい。そりゃあいいもん観れたなぁ。ここの上はイヌワシも飛ぶこともあるんだよぉ」と我ことのように喜んでくれた。そして「こんな寒い日に外に出っぱなしじゃ、具合が悪くなるから中に入って熱いお茶でも飲みなよ」という言葉に甘えて資料館の中で遅い昼食を取り、中からしばらく給餌場を眺めながら館長と雑談。先ほどの駐車場の餌に体の大きなシロハラ(ヒタキ科の冬鳥)が1羽出るとアトリを追い払ってしまった。小鳥どうしも餌場争いがあるようだ。山の日暮れは早い。日が落ちて資料館全体が翳ってくると肌寒くなって来た。明日から休日という館長が「おたくにはマヒワのきれいな雄の写真を撮って行ってもらいたいな…帰りは山吹の郷にはベニマシコの群れがいるみたいだから注意して見て」とアドバイスをしてくれた。ミソサザイやコガラが訪れた頃、館長と明日もここに来ると約束して宿までの下山路を急いだ。帰りも同じコース。朝方寄った山吹の郷で館長の予言どおり5羽のベニマシコの群れが低く飛んだ。

関東ふれあいの道入り口近くまで下りてくると夕映えの裏妙義の山並が美しい色に染まって見えた。今夜の宿は横川駅近くの『東京屋』という評判の宿。風呂で一日の汗を流し、郷土料理で一杯やって明日の取材に備えるとしよう。
画像はトップが給餌場のアトリ。下が向かって左からアトリの群れ、ヤマガラ、ミヤマホオジロの雄、シロハラ、夕暮れの横川の街と裏妙義の山並、夕日に染まる裏妙義の主峰・相馬岳(1104m)。


          

278. 地元ローカルテレビに出演しました。

2017-02-10 19:24:08 | 野鳥・自然
今年の冬はほんとうに寒い。しかし、こういう年の関東地方の平野部などは冬鳥の野鳥たちを観察するのにベストコンディションなのである。山野の小鳥類、水辺のカモ類など、どこに行っても多くの種類を観察することができる。

昨年の暮れから今年の1月にかけて、地元のローカルテレビの取材を受けて出演した。内容は「酉年」にちなみ『バードウォッチングに出かけよう!』である。地元で30年間、野鳥観察を続けてきた画家夫婦が一般の人向けにバードウォッチングの魅力や楽しみ方を紹介するというものである。

昨年の春から僕の住まいのある市の広報課のT女史からアポがあり、まずは工房での打ち合わせから始まった。「バードウォッチングを紹介する番組で、この町でどの季節にどんな場所で、どんな方法で取材したら良いでしょうか?」という質問。「小鳥類は、なかなか姿を見つけたり撮影するのが難しいので水辺の野鳥が姿が見やすく良いでしょう。そして野鳥の種類が増える冬鳥のシーズンがもっとも適していると思います」とアドバイスをし、市内での冬の水鳥観察のメッカとなっている西印旛沼で撮影取材することに決定した。それから僕の画家・版画家の面も番組の中で紹介したいということで工房での撮影も行うこととなった。

まずは、現地の撮影を前提とした下見。12月15日の午後、担当のT女史と西印旛沼の最東端にある場所で合流し、沼の2つのポイントを移動しながら観て回る。最初の土手上のポイントに3人で上がると沼の外の水田や電線に冬鳥でカラス科のミヤマガラスの大きな群れが出迎えてくれた。数をざっと数えると120羽以上はいた。以前は西日本に多い冬鳥だったが、近年東日本でも越冬例が増えている種類である。行動範囲が広く、簡単に出会えるという野鳥ではない。「Tさんついていますね、幸先が良いですよ」と声をかけると笑顔が嬉しそうだった。次のポイントへ移動する途中、沼近くの公共施設で休憩。さらに打ち合わせをつめ、もう一つの大きな橋のポイントへ移動する。ここは沼の水面に最も近づける場所でカイツブリ類、カモ類、猛禽類などを観察しながら番組の進行や撮影について情報交換をして下見を終えた。

年が明けて1月4日。いよいよ沼での撮影の本番の日。12月と同じ沼の最東端の場所に朝九時に集合する。この日は僕たち夫婦とTさん以外に市民レポーターのIさん、専門のカメラマン男性2名の総勢6名で同じコースを撮影しながら移動して行った。心配していた天候も快晴で風もほとんど吹いてない。印旛沼の冬は強い北風が吹くことも多く、そういう日は土手に立って観察するのがとてもつらい。天気に恵まれてまずは一安心である。レポーターのIさんは一般公募とは思えないほど語りも進行もうまかった。それもそのはず元、PTA会長だったこともあり人前での話は慣れているとのことだった。僕たちはというと、簡単な台本は事前に渡されていて、それに沿って進んで行くのだが、僕は2台のカメラを向けられると頭が真っ白になってしまいシーンの先の先まで話てしまったりしていた。連れ合いは元野鳥の会幹事で探鳥会のリーダーをしていたこともあり、まったく上がっていなかった。野鳥の解説も落ち着いていて、うまいものだった。

肝心の鳥たちが出現しなかったらどうしようかと心配していたが、最後のポイントでは冬羽のきれいなユリカモメの群れやカワセミがすぐ近くの地面に着地してくたりして盛り上げてくれたりした。撮影がほぼ終了した頃、北風が吹き始めた。なんとも幸運に恵まれた野外での取材、撮影となった。

1月6日の午後、工房での僕の作品や版画の摺りの実演などを取材撮影した。この日はTさんが1人で来たのだが、一見、かよわく見えるのだが大きく重たいカメラや三脚を1人で器用に操る姿には、すっかり感服してしまった。無事すべての撮影を終了。番組の放映は1月23日から29日の間だったが、その後、Youtubeに動画がアップされている。どんな番組になったかご興味のある方は以下の番組名とアドレスを検索してください。

『バードウォッチングに出かけよう!』佐倉市 チャンネルさくら  http://www.youtube.com/watch?v=xPHDh-jHhr4

画像はトップが西印旛沼での取材のようす。下が向かって左から下見で出現したミヤマガラス、撮影カメラマン、沼水面のユリカモメ、同じくオオバン、工房での撮影のようす。


        







270. 西印旛沼・冬鳥シーズンの到来。

2016-12-07 18:56:51 | 野鳥・自然
今年は11月に記録的な初雪が降ったり、例年よりも低い気温が記録されていたりと寒い冬になりそうな気配である。今月2日。毎年この時期の恒例であるが工房の近所の西印旛沼にバード・ウォッチングに行って来た。

この日は午前中、2駅先の街のカルチャーセンターで木版画教室の指導があった。昼食を済ませて電車で移動。京成の「うすい駅」から西印旛沼の南岸にあたる舟戸大橋まで徒歩で移動。ここからサイクリング・ロード沿いに竜神橋まで移動しながら観察するコースをとった。

舟戸大橋の南詰地点に到着。見渡すと、いつものようにタップリと水を湛えて印旛沼が広がっている。この地に住んで来年で30年になる。途中、この沼の単調な風景が退屈極まりなく思った時期もあったが、最近ではまた好きになりつつある。千葉県北部は山がなく平野と丘陵で風景が成り立っている。この沼の空、僅かな大地、水面といった極くシンプルなエレメントで構成された風景が心地よく思えるようになってきたのだ。年齢にせいだろうか。そしてそこに時間と光が加わると実に変化に富んだ表情を見せてくれるのだ。この30年近くの間、仕事に疲れた時、気持ちが落ち込んだ時、いやな事があった時、必ずこの沼の土手に立ち、水と鳥の織りなす風景を眺めるのが常だった。すると、いつも必ず頭の中の重い何かがスーッと抜けて行く感覚を憶えるのだった。このことで、どれだけ心が救われてきたかわからない。いまでは毎日の生活に欠かせない要素となっている。

話が逸れたが、それはさておき野鳥観察である。スタート地点でザックから双眼鏡と望遠鏡を取り出して首と三脚にセットする。あとは水面、ヨシ原、上空を丁寧に観ていく。舟戸の船着き場ではクイナ科の水鳥、オオバンが岸近くまでフレンドリーに近寄って来てくれる。それから飼い鳥のコブハクチョウが4羽、優雅に泳いでいた。きっと内陸水面漁業の漁師さんたちが、あまった雑魚などを与えているのだろう。人の姿をまったく恐れない。遠景に並ぶ漁業用の竹杭には、近年すっかり数が増えたカワウがズラリと並んでとまり羽を休めている。フィッシング・ベストのポケットからカウンターを取り出して数えると174羽が数えられた。

もう12月、沼で越冬する冬鳥を望遠鏡を左右に振りながら水面を探していく。さっそく真っ白な首と胴体が目立つカイツブリ科のカンムリカイツブリが視界に入った。これも端からカウントしていくと40羽を記録した。少し小さめのハジロカイツブリが沼の中央に群れている。こちらは35羽。お次は湖沼の冬鳥のメインであるカモ類はと探し始める。ヨシガモ、マガモ、カルガモ、オナガガモ、コガモ、ミコアイサ…と見つかる。特に今回、ヨシガモの数が多く入っている。カウントすると133羽。以前はこの沼では、そう多く渡来する種ではなかったが、近年は増加傾向にある野鳥だ。望遠鏡のレンズ越しに雄の頭部の特長的な形である「ナポレオンの帽子」をゆっくりと観察することができた。

コースの半ばぐらいまで来た時、スコープから目を外し持ってきたコーヒーを飲みながら土手から風景をボーッと眺めていると真っ直ぐにこちらに向かって飛んでくる白っぽく大きな鳥が目にとまった。双眼鏡でとらえるとタカの仲間のミサゴだった。頭上に素晴らしい雄姿。他に猛禽類の姿はないかと探すとチュウヒが1羽、トビが2羽見つかった。眼下のヨシ原ではホオジロ科の小鳥、オオジュリンが数羽、移動しながらパチパチと嘴で音をたてヨシの茎を割って中にいる昆虫を捕食している。”クワッ、クワッ”とツグミが鳴いて飛んで行った。

そろそろゴール地点である「竜神橋」の南詰。橋の手前に造られた池須で1羽のカモがしきりに潜水行動をしている。距離が近いので双眼鏡を向けるとホオジロガモの雌だった。他の場所での状況は知らないがこの沼では、すっかり観察する数や機会が減ってしまった種である。以前はけっこう小群が観られたのだが…、少し得をした気分。ここでタイムリミット。今日のバード・ウオッチングは終了!! 記録を付けていたフィールド・ノートを取り出しチェックするとトータルで35種を確認していた。

寒さが本格的になるのは、まだまだこれから。この冬は印旛沼周辺に通うことになるだろう。画像はトップが午後遅く沼のヨシ原から出てきたマガモ。下が向かって左からオオバン2カット、ヨシガモが多く観察された水上施設2カット、沼風景4カット。

        

258.『野鳥観察40周年記念』の年。

2016-08-29 19:23:04 | 野鳥・自然

今年は年頭からブログに野鳥観察に関する内容を多く掲載している。それは何故かと言えば今年が僕が『野鳥観察』を初めてからちょうど40年目の節目の年にあたるからなのだ。一言で40年と言うが、自分でもよくもまあ続けてきたものだと改めて思う。夕べテレビをつけたら「懐かしの昭和の歌謡曲」という番組をたまたまやっていて、その中で演歌の大御所〇島サブローさんが「私は今年、芸道55周年となります」と言っていた。比べるつもりはないが年数だけ見れば迫っているではないか。僕が版画制作を初めて35年なので版画よりも古い付き合いということになる。20才ぐらいから記録を付け始めたフィールドノート(野帳)も現在74冊目となった。100冊までつけられるだろうか。それから、このところ加齢により視力が落ちてきたのを気遣って連れ合いが40周年のお祝いも合わせて口径が大きく明るい双眼鏡をプレゼントしてくれた。

最近はいろんなところで「自分と野鳥との出会い」について文章に書いたり話をしたりしているが、僕が野鳥観察を始めたのは1976年、高校二年の晩秋から冬だった。同級生の野鳥が好きなSとAの二人に連れられて千葉県の新浜というところに初めて水鳥を観察に行った。その頃は昆虫採集に夢中だったので野鳥と言えば両親が作った庭の餌代にやって来るスズメやキジバトぐらいしか知らなかった。忘れもしないあの野鳥観察の初回、東京湾の埋め立て地の一角に位置する水面を真っ黒に埋める冬鳥のスズガモの大群やその年、たまたまこの冬に渡って来ていたトキ科の大形の水鳥、ヘラサギとクロツラヘラサギという珍しい二種を望遠鏡の視野に入れてもらって夢中で観た、そのたとえようもない美しい姿。この夕刻の逆光の水辺に佇む水鳥の輝く姿は今でも脳裏にはっきりと焼き付いている。ビギナーズラックというのだろうか、この感動的な瞬間から「野鳥」という世界に魅せられ、のめり込んでいったのだった。

依頼、江戸川河口や谷津干潟など東京湾岸の干潟に足繁く通うことになる。僕にとってこの千葉県の東京湾岸から「野鳥観察」をスタートしたということがその後の野鳥観、自然観を決定してしまったと言ってもいいと思う。それはその場所が絶えず人間による環境破壊と自然保護の問題が繰り返されている場所だったのである。その僅かな生息地を追われ生息数が減少し絶滅していく姿が僕にとっての「野鳥観」となってしまったのである。このことが良かったのか悪かったのか今の時点ではなんともいえない。

29年前に引っ越してきた工房のある千葉県北東部は印旛沼などの大きな湖沼が広がり周辺の丘陵地はいわゆる平野部の里山環境である。ここでも年間を通して野鳥観察を続けて来た。しかしここも平野部の里山と水辺ということで御多分にもれず開発の波が押し寄せていたのだ。30年近い観察の結果、環境も変化し、かなり多くの種類の野鳥たちの生息数が減少している。ブログでも繰り返し紹介してきたが15年から20年前ぐらいまでは極く普通に観察された種が姿を消しつつある。気が付けば周り中「絶滅危惧種」というありさまである。そして近年、その減少するスピードが加速度を増してきたように感じている。この先、10年後、20年後には人間と野鳥たちを取り巻く環境はいったいどうなっているのだろうか。野鳥たちの未来を想うと、ついネガティブな心境になってしまう。

おめでたいかどうかは別にして、とりあえず40周年を無事迎えることができたのである。これからさらに50周年、60周年を迎えられるように精進努力して行こう。そしてフィールドノートが100冊を超えるまで。僕にとっては、まだまだ「野鳥観察道」の奥は深くて広い世界なのである。画像はトップが新しい双眼鏡を構えた僕。下が向かって左からプレゼントされた大口径の双眼鏡、長く使用した古い双眼鏡、調査に使っているカウンター、74冊となったフィールドノート、野鳥観察を始めた頃に使用していた識別図鑑(今のようにたくさん出ていなかった)。

 

              


257. アオバズクの巣立ち 2016

2016-08-21 18:52:10 | 野鳥・自然

先月、18日。ちょっと更新が遅れてしまったが工房から少し離れた場所にある樹木の多い都市公園でフクロウ科の野鳥、アオバズクの幼鳥の巣立ちを観察撮影した。

今年5月の247回目のブログで工房近辺のアオバズクの飛来が激減してしまったことを書いたが、僕の住む市内で毎年確実に繁殖を観察できるのはこの都市公園のポイントぐらいとなってしまった。徒歩か自転車でも行ける距離なので6月からチョコチョコ立ち寄って覗いては成鳥の動向を観察してきた。そして毎年巣立つ瞬間の雛たちの並んだところを観察したいと思っているのだが、なかなか運がなくてその時に当たらない。

この場所も10年以上前に隣町に住む鳥仲間のS氏から情報をもらい見に来た時にはギャラリーもわずか数人だったが、その後、鳥屋さんたちの携帯電話やメールでの情報網が発達し巣立ちの時期になると常時20名ぐらいの鳥カメラマンやギャラリーが勢揃いするようになった。中には午前中から日が暮れるまで「巣立ちの瞬間」を待っている人もいる。いいとか悪いとかここで言うつもりはないが、こちらはというと運よく見られればいい程度に考えているので親鳥の様子を一通り観察できると、そそくさと観察用具をたたみ帰ってしまう。あまり長居をすると野鳥たちも落ち着かないのではないかとも思うので…。

今年も4-5回は覗きに行ったが、とうとう「決定的瞬間」には出会えなかった。また来年以降の課題である。毎日のように観察に来ていた男性の話では16日に3羽が巣立ち、17日に残りの1羽が巣から出たらしい。二日違い、惜しかった。18日は巣立った雛たちはすでに林の奥などに分散してしまい目立つところにいたのは1羽のみだった。もっともそれでけっこう満足なのだが。

アオバズクは日本では九州以北では夏鳥なので今月中には東南アジアなど南の地域の越冬地に渡っていく。これも前のブログで書いたが越冬地の自然林開発が進んでいる過酷な状況である。「どうか来年の初夏にも、ここの親鳥と巣だった4羽の幼鳥が無事に繁殖に戻って来れますように」 彼らの明るい未来を祈っている。画像はトップが観察できた巣立ち雛。下が向かって左から親鳥(多分♀)3カット、巣立ち雛2カットと公園内にちょうど咲いていたヤブカンゾウの花、トンボの仲間のオオシオカラトンボ。

 

              

 

 


254.札幌の街中で子育てをするカモたち。

2016-07-23 12:54:08 | 野鳥・自然

6月28日。札幌芸術の森での木口木版画のワークショップを含めた北海道滞在の5日目で最終日。新千歳空港を18:30発の飛行機の便で千葉に帰る予定である。今日は今年の4月から隣町の江別市内にあるR学園大学に通う三女と、お昼に札幌駅で会う約束をしている。午前、9:54にホテルをチェックアウト。昼までにはまだ時間がある。フロントで市内観光のフライヤーをもらって、札幌の街中をぶらつくことにした。

地図を見ていると、ホテルから「道庁旧日本庁舎(通称:赤レンガ)」や「北大植物園」が近い。買い物などするつもりはないのでまずは赤レンガを目指して歩き始めた。大通りに添って区画整理の行き届いた札幌の街を進んでいくと一際目につく「洋館」が現れた。これが赤レンガである。レンガ造りのりっぱな明治建築で東京の古川庭園や旧東京駅などを思い浮かべてしまう。海外からの観光客も多く。写真に収めてから敷地内の庭園を池に添って歩き始めた。真っ赤な睡蓮がちょうど見ごろで午前中の斜光に映えて美しい。カモが数羽浮かんでいるが「都会の中のことだからきっと家禽のアイガモか何かだろう」とあまり注意深く観察しなかった。木陰のベンチに座って、今回の北海道滞在のさまざまなことを思い出していると目の前の水面に、どこからともなくセグロカモメの成鳥が1羽飛んで来て下りた。時期外れでもあるし羽がかなり痛んでいたことから、おそらく傷病鳥で繁殖地まで渡れなかった個体に違いない。

しばらくして隣接した北大植物園に向かった。子どもの頃からの生き物好き。動物園や水族館はもちろん植物園もとても好きな空間なのである。こちらは有料で420円を入口で払って入園した。地図看板を頼りに園路沿いに散策する。内部はいくつものステージに分かれていてロックガーデン風の場所、野草園、バラ園、樹木の多くある庭園など、変化があって飽きることがない。東京で言えば「新宿御苑」に似ている。そしてもちろん、季節の花々(園芸種、野草)、や樹木、野鳥などが楽しめる。入園してすぐに夏鳥のセンダイムシクイが”チヨチヨヴィー、チヨチヨヴィー”とさかんに囀っていた。結構ゆっくりしてしまったので娘との待ち合わせの時間が迫っている。足早に出口まで向かうと、途中、こんどは”ツピン、ツピン、ツピン、ツピン、ツピン…”とヒガラが早口で囀り、まるで「急げ!走れ!」と言っているように聞こえた。

少し遅れて札幌駅の待ち合わせポイントに到着。娘の姿がない!慌ててスマホでメールを送信する。しばらくしてから返信が届くが向こうも見当違いの場所にいる。お互いこの街では新参者である。ようやく調整して駅の改札口で落合えた。一言二言かわして駅の食堂街に向かう。A;「昼は何が食べたい?」Q;「どんぶり!」というわけで、ちょっと高級そうな蕎麦屋に直行。僕は「天ざるランチ」で娘は「ご当地豚丼」をほおばった。「デザートが食べたい」というので、また駅周辺をブラブラと歩き探して行く。あまり大学から札幌の街まで出ることがないようで娘も「おのぼりさん」状態なのである…が、目ざとく「抹茶系カフエ」なる店を見つけた。 緑茶も飲めるようなのでここで一服することにした。テーブルにつき、お互い向かいあって注文の品を待つ。大学生活の話を聞くのだが、ときおり「それは、ないっさーっ!」と、しり上がりに道産子弁を使うので指摘すると自分でも気づいていない。娘は女子寮に入っているのだが、3か月弱ですっかり地元の友達に影響されたようだ。環境に順応する速さは親譲りらしい。

飛行機の時間まではまだ余裕がある。お腹も満たされたので少し近くを散歩することになった。「さっき行った赤レンガの庭園がきれいだったけど行ってみるか?」と振ると「いいよ!」と素直に答えたので、元来た道をボチボチと歩き始めた。まるで若い時のデートである。午前中に一度訪れていたので父が案内役となる。まずは赤レンガの建物の見える広場に着くと、感動して眺めている。「せっかく北海道の大学に通っているんだから、在学中にいろんな場所に行ってみるといいよ」。親心である。お次は睡蓮池。「どうだい、きれいな風景だろう」池の案内板をよく見ると池は北池と南池の二つに中央の水路一つで分かれていることが解った。午前中に来たのが北池だった。南池には半島状の島や太鼓橋もある。「こっちに行ってみよう」と歩き出してしばらくすると目の前の周回路をカモのファミリーが横切った。親鳥に8羽の巣立ち雛がチョロチョロとついて歩いている。娘と二人写真を撮ろうと踏み出すと家族は一気に池の叢へ移動して入っていってしまった。あきらめて半島まで行き、中央にある休憩所で一休み。この時に娘が一言「私、こういう自然の中をいっしょに散策して生き物を探したりするボーイフレンドがほしいなぁ」と呟くので「えっ、そういう趣味だっけ?」と聞き返すと「そーだよ、そのために北海道の大学を選んだんじゃない」と言う答えが返ってきた。これは意外だった。ここで学生生活や将来のこと、北海道のことなどをひさしぶりにゆっくりと話せた。

「今度は午前中に行った北池まで行ってみよう」と腰を上げ歩き始める。なにやら鳥の絵が描かれた看板を見つけた。するとこの池のマガモは野性のカモで都市部で繁殖する珍しい例だと書かれていた。すっかり家禽で似ているアイガモと決めつけていた。日本に秋冬に渡来するカモ類は多くがシベリアなどの北方から渡ってくる冬鳥だが、本州の山間部の湖沼や北海道では数種類のカモが少数繁殖していることが観察されている。北海道ではこれまでにもマガモ以外に、コガモ、ヨシガモ、オカヨシガモ、シマアジ、ハシビロガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、カワアイサなどの繁殖が観察確認されているのだ。そのことは知っていたのだが、まさかこんな都会のど真ん中で繁殖しているとは気付かなかった。このことを娘にも説明すると、さらに感動していた。「もう少し探してみよう」と池を注意深く見ていく。マガモは成鳥が合計でで20羽ほどいただろうか。しばらくして今度は留鳥のカモであるオシドリの親子連れが水面中央に見つかった。2人で池の端から眺めていると娘のいる方向にどんどんと近付いて来る。仕舞いにはほぼ真下まで来た。ここに訪れる人たちも日頃から大切にしているのだろう。まったく人を恐れず逃げない。親子2人でスマホやデジカメにその姿の画像を撮り収めた。印象派のモネの描いた睡蓮池のような風景の中、都市で生きる野生のカモたちと、まったりとした幸せな時間を過ごすことができた。カモさんありがとう。

カモたちとゆっくり遊んでいるうちに飛行場へと向かうタイムリミット。また元来た道を札幌駅まで戻り、お名残惜しいが、駅前広場で娘と北海道での再会を約束して帰路についた。新千歳空港へと向かう電車の車窓から水田の中に立ちすくむアオサギが最期に見送ってくれた。この5日間、充実した時間を過ごさせてくれた北国の人たちと自然に感謝します。

画像はトップが北池のマガモの成鳥。下が向かって赤レンガの外観、同内部の階段、北池風景、赤い睡蓮の花、セグロカモメ、南池風景、マガモの解説板、北池でカモを撮影する三女、オシドリの成鳥2カット、同親子ずれ1カット、北大植物園内風景、植物園でみつけた花2カット。

 

              


252. 北海道立 野幌森林公園・探鳥記

2016-07-17 20:30:26 | 野鳥・自然

先月の25日と26日、2日間の札幌芸術の森での木口木版画のワークショップを行った翌日、フリーの時間を作って、「北海道立 野幌(のっぽろ)森林公園」に探鳥に行ってきた。せっかく千葉からはるばる北海道まで来ているのである。何か見て帰らないともったいない。僕の場合、地方都市に個展や出張で出向いた時、必ず一日半ぐらいのフリータイムをとることにしている。関西方面に行けば「古寺巡礼」をするし、この北海道のように大自然に恵まれた地域に行けば自然の中を動植物を探して徘徊することに決めているのだ。

と、いうわけで、6/27の朝、8:30宿泊中の札幌市内のホテルを出発、昨日までの悪天候とはうって変っての晴天である。まずは市内のコンビニで昼食、行動食、水分(ペットボトルのお茶2本)を補給する。特に水分は前回来た時(4年前)、あまく見ていて、途中で脱水症状になってしまったので忘れずに2本キープした。それからJR札幌駅に移動して森林公園駅に向かう。札幌から4-5駅だったと思う。16分で森林公園駅に到着。ここからは徒歩で公園入口まで舗装された道路を歩いて行く。9:44森林公園入口に到着。りっぱな地図案内板でコースを確認してから進路をとり進んでいく。

野幌森林公園は札幌市・江別市・北広島市の3市にまたがる、石狩平野に島のように残された、なだらかな野幌丘陵に広がる森林公園で2053haという広大な面積を有する。天然記念物のクマゲラ(大型のキツツキ)を始め希少な野生動植物が見られる貴重な森となっている。札幌市に隣接しているが、このような大都市近郊の広大で原始の面影を持つ平地林は国内外に例をみない貴重な自然遺産となっている。

これだけの広さのある森林公園なので散策コースもたくさんできている。前回は森林の奥深くに入っていくロングコースをとったのだが、変化に乏しい印象を持った。今回は記念塔広場から森林内に入り野鳥との出会いが多いという「瑞穂の池」周辺を散策し、林道を途中までもどってから「自然ふれあい交流館」にたどり着くコースをとることにした。高く巨大なコールテン鋼材でできたモニュメント「開拓百年記念塔」を迂回し、森林の中に入っていくと、眼前に別世界が広がっていく。ウエストポーチにクマよけの鈴を付け”チリン、チリン”と音をさせながら別世界に入って行く。北海道といっても6月の下旬である。木々の葉はうっそうと繁り昼なお薄暗くひんやりと涼しい。林内では”ヨーキン、ヨーキン、ケケケケク…”とそこら中からエゾハルゼミの鳴き声がうるさいほど聞こえてくる。コースを確認しつつさらに進んでいく。まずはヒガラ、シジュウカラ、コゲラなど森林性の小鳥たちの声を確認。そして夏鳥はウグイスの仲間のセンダイムシクイの”チヨチヨヴィー”、ヤブサメが、しり上がりの虫のような”シシシシシシシ…”とそこかしこで鳴いている。次いでヒタキの仲間のキビタキがピッコロのような美しい声で鳴く。声はすれども姿は見えない。これだけ森林に葉の繁った季節は何もここに限らず全国区で言えることで、野鳥たちの姿を見つけることは「至難のわざ」なのである。さらに進むと三叉路に出た。ここから「瑞穂の池」に向かう道へと分かれる。フライヤーの地図でコースを確認していると”トッピンカケタカ”と大きな声が頭上から落ちてきた。北海道の低地林に夏鳥として渡って来るエゾセンニュウである。双眼鏡で声がする方向を探すが見つからなかった。

「今日は野鳥の姿はあきらめて森林浴と決めよう!」と独り言を言う。一人で山や森を徘徊している時に独り言を言うのは僕のクセである(あぶない人間ではない)。道標に添って「瑞穂の池コース」を進んで行く。森林の中の単調な道を黙々と歩いて行くと、ポッカリと視界が開けた場所に出た。林道の先にステップが付いていて下ったところに池が広がっている。そんなに広くはないが今までの環境が退屈だったので、青い空を写し込み澄んだ水面は暗い森に囲まれてパッチリ開いた瞳のように見えた。入口から約一時間半で目的地の一つ「瑞穂の池」に到着した。池の端の広場に四阿が一つ建っていたのでここのベンチに座りながら、じっくりと野鳥観察を始める。水面には夏羽のカイツブリが1羽浮かんでいるだけで他には鳥影はない。ザックからランチを取り出して大休止。明るく静寂な時間が過ぎて行く。ここまでのコースで4-5人の人にすれ違っただろうか。「このまんま昼寝にするか」また独り言を言う。ぼーっと池周辺を眺めていると上空をすばやく飛び回る鳥のシルエットが見えた。あわてて胸の双眼鏡を取り上げ追って観る。何度か同じところを旋回飛行した。「チゴハヤブサだっ!」ハヤブサの仲間の小型(ハト大)の猛禽類で北海道と東北地方北部の平地の林で少数が繁殖している。下面の特長もよく観察することができた。少し満足。

池で昼食をとり、一時間強休憩したので、そろそろと腰を上げた時、背後の林から”ボボッ、ボボッ”とカッコウの仲間のツツドリがよく響く声で鳴いた。ここからは、さっきエゾセンニュウの声を聞いた三叉路まで戻り「自然ふれあい交流館」へと続くコースに入る。相変わらずの森林の中の単調な道。鳥の種類もあまり変わらない。声をカウントして行くが、この林の夏鳥はセンダイムシクイ、ヤブサメ、キビタキの個体数が多いようだ。途中、野鳥以外に植物や昆虫などを楽しみながら観察した。13:37自然ふれあい館に到着するが公共施設なので月曜日が休館だった。中に入れず、周辺の木陰で小休止。冷たいお茶を飲みながらフィールドノートを確認する。この日、観察できた(声が聞けた)野鳥はちょうど20種だった。ここからは最初に通った「開拓百年記念塔」の広場まで行きとは別コースで戻ることになる。15:08記念塔広場に到着。北の大地の上を真っ白な夏雲が雄大に広がっていた。元来た道を駅まで向い、また札幌の宿まで帰ることになる。電車の車窓から石狩平野の広い風景をぼーっと眺めながら、なんとも言えない心地よい疲れを感じた。「今夜はすすきので美味しい魚と冷たい生ビールで一杯やろう」ここでさらに一人言を言うのでした。画像はトップが森林公園内の「瑞穂の池」。下が向って左から開拓百年記念塔、森林内の様子5カット、植物、昆虫など5カット、空の雲、「自然ふれあい交流館」外観、唯一撮影できた普通種の野鳥のキジバト。

 

                                


250. 『サンカノゴイ』という鷺

2016-07-01 19:33:07 | 野鳥・自然

千葉県の干潟や里の水辺でシギ・チドリ類の春の渡りのシーズンが終了すると、野鳥観察者が決まって通いだすのが、湖沼や大きな河川のヨシ原である。ヨシゴイやオオヨシキリなどの夏鳥の他にも、この環境には希少な鳥類も生息していてバーダーやカメラマンは、これらの鳥たちを狙い観察や撮影に出向くのである。今回、紹介する野鳥はブログのタイトルとした『サンカノゴイ』という、このヨシ原に生息する大型のサギの一種である。

このサンカノゴイ、一般にはまったく馴染みのない名前である。漢字的には「山家五位」と書く。五位(ゴイ)というのは、ゴイサギ、ササゴイ、ヨシゴイ、ミゾゴイなど鷺の仲間に多くつく名前だが、その由来は平家物語に記される「醍醐天皇が神泉苑の御宴のおり、空を飛んでいた鷺が勅命に従って舞い下りたのをたたえ、五位の位に叙したところ、嬉しげに舞ったという故事にもとづくもの」だそうである。また、江戸時代の医師、赤松宗旦によって書かれた「利根川図誌」にヤハライボ(谷原イボ)という名前で登場し、「この鳥、昼は人目にかからず故に、見る人稀なり、大きさ羽色とも鳶に似て黄を多く帯びたり、五月頃より昏夜芦中にて、スー(細く)ボウイ(大声)スーボウイと鳴く声、螺(ほら)に似たり」と記載されている。

英語名はGreat Bitternという。イギリスの鳥類図鑑での声の表記は”uh-BOOH"であり、蒸気船の霧笛の音に似ているなどと解説文に書かれている。分布はユーラシア中部・北アフリカ・南アフリカで繁殖し、北方のものは冬季、アフリカ・南アジア・東南アジアに渡る。日本では北海道・茨城・千葉・滋賀などの湖沼や河川周辺の広大なヨシ原で局地的に繁殖。繁殖地周辺では留鳥だが、本州以南の他の場所では冬鳥。北海道では主に夏鳥とされている。大きさは体長が80㎝、翼開長が135㎝とあるのでかなり大型の鷺である。繁殖期には"ウッ、ウッ、ウッ…”という前奏のあと”スーボウィ、スーボウィ”とヨシ原の中で低いがよく通る声で鳴いていることが多い。ウシガエルの声にちょっと似ているが、よく聴くと音質が異なる。

工房に近い印旛沼周辺では28年ほど前に北印旛沼で、声と飛翔姿が初めて確認された。翌年、西印旛沼のヨシ原で僕が繁殖期の声と飛翔する姿を観察確認。この頃、かなり話題となり専門家が各地から訪れたりしたが、希少鳥類ということもあり地元関係者の間で情報を伏せようということとなり、しばらくは生息状況を静観することとなった。だが、この大きさで、この特徴のある声である。そして繁殖期は他の野鳥が少ない時期でもあり、飛翔姿は良く目立つ。たちまち情報は広まり、現在のように繁殖期には全国からバーダーが観察、撮影に訪れるようになった。特に北印旛沼のあるポイントでは土手から営巣場所や雛のために与えるエサの採餌場所(水田)との距離が比較的近いということもあり毎年、多くの人々が訪れている。

一番、多くの個体数が観察された時には、北と西の二つの沼で少なくとも20羽前後は生息が確認されていた。ところが西印旛沼のポイントではサイクリング・ロードが建設されたり、ヨシ原を含む湿地全体が乾燥化してしまったりして早くからサンカノゴイが姿を消して行った。そして北印旛沼で、もっとも多くの個体が観察されていた南部の広大なヨシ原には地元自然保護団体の保護活動や反対署名が展開されたにも関わらず、8年前に成田空港にアクセスする高速鉄道が横断建設され、姿を消してしまった。残る生息地は、僅か2か所ほど。

サンカノゴイは環境の変化にとても敏感な鳥なのである。2014年版、環境省編の「Red Data Book 2 鳥類」では「絶滅危惧ⅠB類(近い将来における野生での絶滅の危険性が高いもの)」として記載されている。日本列島全体で生息数のかなり希少な野鳥である。住まいの近くで、たかだか30年弱で生息地を追われつつある。この状況、なんとかならないものだろうか。また、野鳥のブログを書き終えて深い溜め息が出てしまった。醍醐天皇から高貴な位を叙した「ゴイ一族」の一種の未来に幸あらんことを切に願います。画像はトップが水田に下りたサンカノゴイのアップ。下が向かって左から水田で採餌するサンカノゴイ2枚、ヨシ原上を飛翔するサンカノゴイ。