長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

247. 里山からアオバズクがいなくなる時。

2016-05-27 20:54:18 | 野鳥・自然

このところ野鳥のネタが続いている。理由の一つとして、実は今年、僕が野鳥観察を始めてからちょうど40周年の節目の年なのである。版画制作を始めてから36年なので野鳥観察歴の方が古いということである。40周年のことは別の機会に更新するとして、このところ強く感じているのは「長く野鳥観察を続けてきた者の義務として伝えていかなければならないことがある」ということである。それにはSNSはちょうどいいメディアなのである。

今回の話は里山などに生息するフクロウ類のアオバズクのことである。工房のある、ここ千葉北東部では毎年4月の下旬になるとアオバズクが渡って来る。日没とともに、どこからともなく「ホッホー、ホッホー」と繰り返し、よく通る声で鳴きながら里山を巡回するようすは、この季節の里山の自然風物の一つである…というか、あったという方が正しいかもしれない。

アオバズクはフクロウ科のハトよりやや小さい野鳥で、インド、ヒマラヤ、東南アジア、中国東部、朝鮮半島、ウスリーに分布し北方のものは冬季は南下する。日本ではほぼ全国に分布し、九州以北では夏鳥として渡来し、南西諸島では留鳥である。平地から低山の林で繁殖する。同じ科のフクロウなどと同様大木の洞などに営巣する。青葉の季節に渡って来るので漢字名は「緑葉木菟」と書き、英語名はその濃褐色の羽色とタカに似た横顔から「Brown Hawk Owl」と呼ばれている。

アオバズクは以前ブログで紹介したタカの仲間のサシバやシギ・チドリ類などと同様、近年とても生息数が減少している種である。どうも越冬地に森林開発の進む東南アジア地域がからむ野鳥の個体数の減少が著しいようだ。この工房のある住宅地の周囲の里山には大木のある社寺林や雑木林などアオバズクが好む環境がそろっていて、少なくとも3~5ペアは観察していた。初夏の夕刻から夜にかけてよく見かけることがあり、テレビアンテナに止まって鳴く姿や公園などの街灯にやってくる好物のカブトムシやオオミズアオ(大型の蛾の1種)をブンブン飛び回って捕える姿も観察することができた。それが、30年近い年月の中で徐々に徐々に見かけなくなり、とうとうその声すらもなかなか聴くことができなくなっていった。今年は先月の25日の深夜に一度だけ声を聴いた。その後、聴いていないので通過個体なのだろうか。季節的には一番盛んに鳴いているはずなのだが。

あのクリクリとした坊主頭と黄色に輝く眼、そして長閑な気持ちにさせてくれる声が日常から失われてしまったのがとても寂しい。いつか環境が改善されて戻って来てはくれないだろうか。アオバズクを始め夏鳥たちのおかれている状況は、もはや我が国だけの環境改善の問題に収まらず国際的な保護対策が必要な時代に入ってきたのだと思う。

音もなく静かに絶滅していく野生生物たち。長い年月、野鳥観察を続けてきて、ふと気が付いたら周り中が絶滅危惧種か、その予備軍に指定されていた。人間の日常生活に直接関係していないので、多くの人々がこのことを知らない。そして近年、そのスピードに加速度がついてきているように感じている、いったいこのまま行くと地球環境はどうなっていくのだろうか?微々たる歩みではあるがSNSを通してこの事実を発信して行こうと思っている。

画像は過去の在庫から転載した。トップが日中青葉の繁る大木で休む成鳥。下が向って左から営巣していた洞のある大木、同じくアオバズク成鳥、巣立ち雛3カット、好物のオオミズアオ。

 

                

 


245. 沈黙の春 2 ~シギ・チドリが干潟から減少する時~

2016-05-12 19:56:22 | 野鳥・自然

前回に引き続き「春の渡り」のシギ・チドリの話題である。ゴールデン・ウィーク中にもう1か所、鳥見に出かける場所がある。それは千葉県習志野市にある谷津干潟国設鳥獣保護区である。ここは埋め立てによってわずかに残された干潟で現在も2本の水路により東京湾とつながっており、潮の干満がある。干潮時には干潟が広がり、この季節には渡り途中のシギ・チドリが観察される貴重な場所となっている。

5日の子どもの日。いつものように望遠鏡やカメラを入れたザックを背中にしょって電車に乗って訪れた。京成谷津駅を降りてテクテク歩いて行くと周囲は住宅地やマンション高速道路などで囲まれているのだが干潟からは風に乗ってツーンと潮の香りがしてくる。心地よい瞬間でもある。干潟の端に着くと潮が引いていてチラホラと野鳥の姿が観られた。近くにいた1羽を胸にぶら下げた双眼鏡で確認するとチドリ科のダイゼンが忙しく歩き回ってはゴカイなどの餌を捕えていた。今日の潮の状態は「中潮」と呼ばれ、ここでは正午頃、干潮となり17時過ぎに満潮となる。干潟の野鳥を観察するには、そこそこ良い「潮回り」となっている。時計回りに遊歩道を歩いて行くと東側に大勢の人たちが集まっている。ここは全国でも有名なシギ・チドリの渡来地で連休ということもあり、さまざまな団体による「探鳥会」が開催されている。そしてこの時期、普段なかなか会えない鳥仲間に再会することができるのも楽しみの一つだ。今日は千葉で長年野鳥保護に関わってきたH.T氏、児童文学者で鳥の本も多く執筆しているT.Kさん、水鳥の図鑑を執筆しているベテラン・バーダーのM.K氏、東京湾近郊の野鳥写真を撮影しているA氏などと挨拶をかわしシギ・チドリの情報交換をした。

南側にたどり着き、いつもの屋根つきのパーゴラで大休止。ザックから望遠鏡とカメラを取り出して腰を据え観察し始めた。潮の引いた干潟面や水路にはダイゼン、メダイチドリ、トウネン、ハマシギ、キョウジョシギ、オバシギ、オオソリハシシギなど種によって数に多い少ないがあるものの春の渡りの常連のシギ・チドリ類を観察することができた。しばらくすると、ここで40年以上、野鳥のカウント調査をしているI氏とそのグループに遭遇した。3日に工房近くの水田にシギ・チドリを観察に行った時、あまりの少なさに愕然としたことを話し、気になっていた干潟のシギ・チドリの生息状況について伺う。すると「ここでも同じだよぉ。ハマシギは最盛期の半数以下、メダイチドリは三分の一、トウネンなど普通に来ていたけど今日は10羽くらいしか観ていないよ。全国的な現象なんじゃないのかなぁ」という答えが返ってきた。そしてここでも越冬地、中継地、繁殖地それぞれの状態が悪化している話題が出るのだった。

鳥談議に夢中になっていた時、干潟の中央に集まっていた数種類のシギ・チドリの混群がいっせいに飛び立った。パーゴラで観察していたバーダーが、こちらもいっせいに上空を見上げた。「ハヤブサだっ!」誰かが叫ぶと恰好の良い猛禽類のハヤブサが上空から干潟面を獲物をめがけ急降下してくる。上がってはまた急降下を何度か繰り返すとハマシギ、オオソリハシシギ、ダイゼンを中心とした群れがパラパラッと飛び上がったかと思うと東京湾方面に出て行ってしまった。ほんとにパラパラッとだった。「これが15年ぐらい前の同じ時期だったら、ザーッという大きな羽音をさせて今の何倍もの数のシギ・チドリが飛び立ったんだが…、本当に少なくなってしまったんだなぁ」 ”キリッ、キリッ”聞き慣れた声がしたかと思うと、ここで最近めっきり数が減少しているカモメの仲間のコアジサシが3羽、水路から干潟に入ってきた。

さらに、観察と撮影を続けていると待ち合わせをしていた家内と次女がやって来た。I氏のグループと別れて観察センター内で開催中の知人でプロ・カメラマン、T.K氏の「野鳥写真展」で日本の美しい風景の中に生きる野鳥たちの姿を堪能してからレストランに移動しコーヒーとケーキで休憩。窓から見える淡水池にはエレガントなセイタカシギの番(つがい)が長いピンクの脚でゆったりと歩きながら移動していた。環境省編の「Red Data Book(日本の絶滅のおそれのある野生生物)」という冊子が出ている。この本は鳥類を始め哺乳類、魚類、昆虫類など日本に生息する絶滅のおそれのある生物が網羅されたリストなのだが、その危険度に応じて「絶滅危惧Ⅰ類」、「絶滅危惧Ⅱ類」などと分類されている。さきほど、干潟で観察したオオソリハシシギやコアジサシ、そして目の前にいるセイタカシギなどはこの中で「絶滅危惧Ⅱ類」に分類されてる。解説に「現在の状態をもたらして圧迫要因が引き続き作用する場合、近い将来『絶滅危惧Ⅰ類』のカテゴリーに移行することが確実と考えられるもの」とある。そしてこのⅠ類はというと「…野生での存続が困難なもの」とあるのでかなり危険な状況に置かれているということである。

平野部の水田や低湿地、そしてこの干潟などに生息する鳥類の未来を想う時、溜め息ばかりが出るこの頃である。目の前で池のセイタカシギを観ている二人に向って呟くように「日本産鳥類図鑑からシギ・チドリの姿が消える日がくるのも大袈裟ではなく、そう遠くはないかもしれないよ」と言ってみるのだった。

画像はトップが絶滅の危機に瀕している夏羽のオオソリハシシギ。下が向かって左からこの日の谷津干潟の風景、チドリ科のメダイチドリ、ダイゼン、シギ科のハマシギの群れ、キアシシギ、チュウシャクシギ、ハヤブサの登場に飛び立つシギ・チドリ混群、淡水池のセイタカシギ。

 

                                                      

 

 


244. 沈黙の春 1 ~シギ・チドリが水田から姿を消す時~

2016-05-04 19:09:15 | 野鳥・自然

工房のある住宅地の北側をしばらく行くと広大な水田地帯に出る。ここは千葉県で最も大きな内陸水面である西印旛沼と北印旛沼に挟まれた一帯である。中央に農業用の水路が蛇行して走る。江戸時代に田沼意次が始めた一大干拓事業から現在に至るまで幾度も繰り返された干拓によりできた広い水田地帯である。この水田に毎年ゴールデンウィークの頃になると渡り鳥のシギ・チドリの仲間が渡って来る…いや、来ていたと書いた方が正しいかもしれない。そして毎年の儀式として、この場所をマウンテンバイクで巡回しながら観察、カウントするのが恒例となっていた。

日本列島の水辺に飛来するシギ・チドリ類は旅鳥と呼ばれ、越冬地である東南アジアやオーストラリアなどから春、4月~5月に北上、日本の干潟、水田、河川の岸辺などの水辺で数週間を過ごす。この間、彼等は餌を採り続け、エネルギー補給を充分してから繁殖地であるユーラシア大陸の北極圏やシベリアなどの湿原に渡っていく(春の渡り)。たんへん長い旅をするのである。そして繁殖を済ませると8月~10月に上記の越冬地へと帰って行く(秋の渡り)のである。このことから「旅鳥」と呼ばれているのだ。

工房近くの干拓地に渡って来る種はチドリ科ではムナグロが最も多く、シギ科ではチュウシャクシギ、キアシシギ、キョウジョシギなどが個体数が多い。他に数は少ないがメダイチドリ、ツルシギ、アオアシシギ、タカブシギ、ウズラシギなども観察された。ここに転居してもうすぐ30年になるが引っ越して来た頃はほんとうに賑やかで春に水田に行くと頭上を鳴き交わしながら多くの混群が"ザーッ”という羽音をたてて飛んで行ったのを思い出す。とても心地のよい時間を持つことができた。

ところが15年ほど前から野鳥研究者やバーダーの間でシギ・チドリ類の渡来数が減少していることが話題になり始めた。特にこの5-6年は激減しているとのことである。広域に調査したところ、主な原因として、一つには彼等が繁殖する北極圏などの湿地帯が地球の温暖化により北極の氷が解け水位が上昇、水浸しとなってしまったこと。このことで繁殖地を追われてしまった。二番目は越冬地である東南アジアの熱帯雨林の大規模な伐採と開発。三番目は中継地である日本の広域水田の農薬使用による餌の小動物の減少などが挙げられている。渡り鳥の保護の難しさはここである。シギ・チドリ類など長距離の渡りをする種類は繁殖地、中継地、越冬地と、どこが欠けても生きられないのだが、追い打ちをかけるように、どこもかしこも厳しい状況になったのだからたまらない。

では、どれほど減少したのだろうか。百聞は一見にしかず。何年かぶりで、いつもの観察コースを巡回してみることにした。3日の午後、いつものように双眼鏡、カメラ、カウンターなどの調査・観察用具をザックに背負い、田植えの始まった広い水田地帯をマウンテンバイクでゆっくりと移動しながら丁寧に探して行った。水を張った鏡のような水田に青空と雲が映り込んで美しい。最も数の多いムナグロで7年以上前のカウント記録では同じ時期の同じコースで平均500羽前後が見られ、MAXの年では700羽以上をカウントしていた。走り出して30分、このぐらい走るともう100羽近くは見られていたはずだった…「いない!?」 行けども行けどもシギ・チドリの姿が見つからない。ようやくタシギが1羽飛び立った。さらに進んでカウント調査の終着地点までたどり着く。ここはかつて数百派の混群が観察されていた場所である。マウンテンバイクを降りて干拓地の真ん中の農道から双眼鏡をかまえて360°グルリと丁寧に探していると畦にムナグロの小群が休んでいるのを発見。カウンターを使用するまでもない。「1羽、2羽、…たったの11羽かぁ」双眼鏡を覗いたまま思わず呟いてしまった。最大710羽を数えた場所でわずかに11羽である。70分の1!! かなり寒くなる心の動揺を抑えられずに帰りはずっとブツブツと独り言をいいながら強風だということもあり疲労困憊し家までたどり着いた。

この状態、何かの本で読んだことがある。そうだ、まさに1962年にアメリカの生物学者、レイチェル・カーソン女史が発表した『沈黙の春(Silent Spring)』の内容そのままである。DDTを始めとする当時の農薬の大量空中散布による化学物質の危険性を「野鳥たちが鳴かなくなった春」という出来事を通し訴えた有名な作品である。

そして、工房の床に寝転がりながら頭の中では妄想が膨らみ始め、ある強烈な映像が浮かんできた。『ウオーターワールド』。1995年のケヴィン・レイノルズ監督によるアメリカのSF映画。未来の地球は、温暖化の進行により北極・南極の氷が解けて海面が上昇した結果、海だけが広がる海洋惑星となった。その中で人類が人工的な浮遊島を建造し生き残っていくという旧約聖書の「ノアの方舟」のような物語である。実際に北極の氷が解けて生息地を追われているシギ・チドリのような生物がいるのだから、その延長線上にないとは限らない。今日のトリの姿は明日のヒトの姿そのものなのである。

地球上の生命の中のほんのわずかな存在であるシギ・チドリ類。彼等のこの厳しい生息状況は人類に何を暗示しているのだろうか。もちろん地球環境破壊の氷山の一角である。そして温暖化の影響や熱帯雨林の開発に我が先進資本主義国の日本が結構な割合で関わっていることも忘れてはならない。

画像はトップが水田に渡って来る代表的な大型チドリのムナグロ。下が向かって左から水を張ったばかりの干拓地風景、シギの仲間のキョウジョシギ、チュウシャクシギ。

 

      


241.サシバが里にやってきた。

2016-04-09 06:35:04 | 野鳥・自然

「春を告げる鳥」と言って思い浮かぶのは、いったいどんな種類の野鳥だろうか。一般的に平野部から山間部にかけての人里ではウグイスがその美しい囀りから代表選手に挙げられるだろうか。あるいはもっと街中では、人家や商店の軒下に巣をかける身近な夏鳥のツバメの到来だろうか。当工房では少し事情が違う。それはこれから紹介するタカの仲間の夏鳥『サシバ』のことになる。

工房がある千葉県北東部の里山では毎年、3月の下旬ころ、ソメイヨシノが開花し、水田に日本アカガエルの大合唱が聞こえてくる季節になると、毎年決まってサシバという鷹が渡って来る。”ピックイーツ、ピックイーッ”とやや哀調を帯びた良く通る甲高い声で、ほぼカラス大のぺアの鷹が里山の上空を旋回飛行する姿を観察することができる。「ああ…、今年も無事渡って来た」とホッと胸をなでおろす瞬間でもある。

サシバはタカ目タカ科の猛禽類で漢字では「差羽」、英語名を Gray-faced Buzzard という。特徴としては大きさはカラスよりやや小さく、頭上以下の体上面は茶褐色、喉は白くて中央に黒褐色の縦線が1本ある。胸は茶褐色の幅広い班があり、腹は白くて茶褐色の横斑がある。鳴き声はピックイーッ、またはキンミー、などと聞こえる。分布はロシア沿海地方・中国北東部・朝鮮半島で繁殖し、中国南部・東南アジアで越冬する。日本では本州・四国・九州に夏鳥として渡来する。南西諸島では越冬している。秋、9月から10月の渡りの時期には愛知県伊良湖岬・鹿児島県佐多岬などに集結し大規模な渡りをすることがよく知られている。いわゆる「鷹の渡り」を代表する種である。生息場所は平野部から山間部の林、林縁、農耕地など良好な里山環境。

今年、この地の初認日は4月3日の午前11時18分だった。30年近く記録を取っているのだが1週間とずれないので毎度のことながら自然の神秘には感服してしまう。この時確認できたのは1羽で大きなよく通る声で鳴きながら隣接する斜面林の上空を飛んでいた。昨日は工房の上空をペアでさかんに鳴きながら飛び回っていた。そしてツミという小型のヒヨドリ大の鷹の♂が、そのうちの1羽を猛烈な勢いでモビング(moving)していた。簡単に言うと追いかけっこである。これは野性鳥類によく観られる行動でテリトリー争いの1種である。おそらく繁殖場所や餌場が重なるのだろう、しばし、この素晴らしい空中戦に見入ってしまった。

そして工房に隣接する林では繁殖期から渡りの時期までずっと生息しているので毎年、繁殖活動をしているのだと思う。もっとも日本野鳥の会では鷹だけでなく野性鳥類の巣の観察や写真撮影は繁殖の妨げになるとしてご法度となっているので証拠をつかんだことはない。ただ夏には巣立った幼鳥を見ることが多いのでまず間違いないだろう。親鳥が雛たちに与えるエサを捕りに行く狩場は「谷津田・やつだ」と呼ばれる丘陵と丘陵の間に作られた細長い水田のことが多く、獲物はカエルやヘビ、バッタなどの大型昆虫、ネズミやヒミズなど小型の哺乳類である。頭上を大きなヤマカガシを嘴でくわえ、ぶらんと垂らしながら飛ぶ個体を観察できることもある。

ある年、サシバが餌を捕る谷津田で、朝から夕方までその行動を観察し、記録をとったことがあるのだが、農作業をする地元の農家の人がカメラの三脚に地上用の高倍率の望遠鏡をつけて、じっとサシバを待っている僕を不審に思ったのか「何かの測量か?」と尋ねてきたので「鷹を観察しているんです」と言うと、「あーっ、マグソダカ(馬糞鷹)だんべ、毎日飛んでるよ」という答えが返ってきた。ずいぶんと、ひどいあだ名を付けられたものである。そりゃあ、オオタカやハイタカなど鷹狩りにも使われる美しい種と比べれば全身が茶色で地味な姿かもしれない。それでも。アップにして見れば、なかなか精悍な顔立ちをしているし、鳴き声の美しさは日本に生息する鷹の中でもトップクラスと思っている。

30年近く前、この地に移り住んだ頃には、この里の周辺にある谷津田という谷津田には必ず1ペアのサシバを観察することができたのだが近年は全国的にも減少傾向にあるようだ。原因としてはいろいろと調査研究されているが、越冬地である東南アジアの森林の大規模開発や日本での水田農薬による餌となる小動物の減少などが挙げられている。

生息環境が悪化する中、サシバの将来を想うと、とても厳しい現実が見えてくる。中型の鷹の寿命は統計的に10年前後ということになっている。と、いうことは工房の隣の林に来ているサシバもおよそ3~4世代にわたって観察していることになる。いったいいつまでこの地に渡って来てくれるだろうか? サシバという種は今後ますます良好な里山環境を示す重要なバロメーターになっていくことだろう。画像はトップが工房の隣の住人、サシバ。下が向かって左からいろいろな季節に撮影したサシバ画像4カットと狩場としている谷津田の風景2カット。

 

               


239.『赤い鳥をさがして-In search of Red Birds-』 ②清里高原

2016-03-30 20:00:33 | 野鳥・自然

2月23日(火)7時。カラス、カーッで目が覚める。赤い鳥をさがす旅の2日目は清里高原の宿泊施設「清泉寮」の朝からスタートした。予定よりも遅く起きてしまった。夕べのワインがまだ少し残っている。熟睡していた連れ合いに声をかけて起し、食堂へと向かう。ホテルの朝食は和洋、選択できるヴァイキング形式である。

『清泉寮』は1938年にキリスト教の一派の青年運動団体の創始者であるジェームズ・L・ホーテリング氏を記念し団体の指導者の訓練キャンプ場として奉献された施設である。その後1941年、太平洋戦争による国際情勢の悪化からキャンプ場は封鎖された。戦後、1945年荒廃しきっていた施設をGHQの将校、ポール・ラッシュ博士によって新たに「KEEP(キープ)協会の宿泊施設として創設され現在に至っている。このホテルのある高原は富士山、東に奥秩父連山、西は南アルプス連峰、北に八ヶ岳という絶好の景勝地となっている。僕らが訪れるのは5年ぶりである。その時は晩秋で近くの美術館での版画のワークショップをおこなった帰りに立ち寄った。

今日は1日たっぷりと清里高原一帯を歩き回って「赤い鳥さがし」をする予定である。朝食を済ませ、9時過ぎに出発。野外に出ると快晴で「八ヶ岳ブルー」と呼ばれる独特な青の抜けるような空が広がっていた。露出した顔に触れる高原の空気が痛いほど冷たい。ゆっくりと冬の小鳥の姿や声を求めて歩き始めた。初夏の森林ならば野鳥たちは美しい囀りを聴かせてくれるが生い茂った葉によってその姿を見つけるのには苦労する。これに対して冬の落葉した森林では視界も良くその姿は見つけやすいが声は地鳴きと言われる小さく地味な声なので声による種の識別には苦労する。”チッチッ”とか”ジジッ”とか似たような響きの音をたよりに探していくのである。とりあえず「八ヶ岳自然ふれあいセンター」という高原の中央に建つ公共施設を目指して遊歩道を進むことにした。ここは連れ合いが学生時代に自然観察指導員のアルバイトをしたという思い出の場所でもあった。

周囲の山岳を見上げると、フロントのホテルマンが「今年の冬はここ十数年で一番暖かい」と言っていた通り積雪が少ない。後ろを歩いていた連れ合いが日陰に残った雪や泥の上に獣の足跡を見つけた。「えーと、これはシカ…こっちはノウサギ…これはたぶんアナグマでその隣の小さめなのはテンかしら…」などとブツブツ言っている。普通に観光に来ている人には、さぞやおかしなペアに写っているだろうなぁ。こう見えて連れ合いは僕から観ればベテランの先輩バーダーなのである。学生時代には北海道の最果ての島の利尻島にギンザンマシコという赤い小鳥を見つけに行ったり、沖縄本島の山原(ヤンバル)の森林に当時発見されて間もないヤンバルクイナを探しに行ったりと日本列島を北から南まで鳥を求めて歩き回った山ガールならぬ「鳥ガール」であった。社会人になってからは韓国までも遠征している。場数を踏んでいるだけにフィールドでの鳥を見つける「感」はピカイチである。特に耳がいい。たよりになる相棒なのだ。

自然ふれあいセンターに着くと、この日は休館日で閉まっていた。計算外。5年前に来た時はセンター前の広場を渡って来たばかりの冬鳥のマヒワの見事な大群に遭遇した思い出がある。ここから進むコースの確認をしているとセンターの横の道からレンジャー風の若い男性が2人歩いて来たので、呼び止めて冬鳥情報を尋ねてみると、親切にこの先の探鳥コースまで指導してくれた。さっそくそのとおりに進み森林の中に入っていく。ヒガラ、コガラ、シジュウカラ、ヤマガラ、ゴジュウカラ、コゲラ、アカゲラなど森林を代表する留鳥が次々に出現するが赤い鳥の姿は見えない。「アカマツの木も結構多いから松ぼっくりが好物のイスカでも出ないかなぁ…」 ところが、行けども行けども出会うのは同じカラ類ばかりだった。再度地図を確認し、環境を変えて探してみようということに意見が一致して森林と牧草地の林縁部を集中して観察することになった。

林を抜けるとポッカリと広い牧草地が見える場所に出た。ここでコンロでお湯を沸かし、持ってきたカップ麺とパンの遅い昼食をとってから林縁部をゆっくりと歩き始めた。カシラダカやツグミなど平地でも普通に見られる冬鳥を観察。しばらく進むと冬枯れの藪の中から”チッ、チッ”という地鳴きが聞こえてくる。声のする方を双眼鏡で覗いていた連れ合いが「このエンベリザ普通のと違う」と言った。エンベリザ(Emberiza)というのはスズメ目ホオジロ科の学名である。しばらく丁寧に観察し西日本などに多く冬鳥として渡って来るミヤマホオジロの♀と判明した。その後、「青い鳥」の代表選手であるルリビタキの♀などと出会うが肝心の今回のお目当てである「赤い鳥」の仲間がなかなか出現しない。ざっと見てきたところ冬鳥の個体数もかなり少ない感じである。とうとうこの牧草地のはずれまで来てしまった。午後2時を回った頃、林縁の藪の奥から”フィッホ、フィッホ”と聞き覚えのある声が聞こえてきた。声の方向を双眼鏡で丁寧に見ていくと「いた!ベニマシコの♀だ」 さらに道の反対側の叢に♂が1羽イネ科と思われる植物の種を食べている。初の赤い鳥登場。♂は短くしっかりした嘴でパチパチと種を砕いて食べていて移動しない。ここで証拠写真をパチリ。ベニマシコは北海道と青森県の一部で繁殖し、秋冬には本州以南の山地から低地に移動する。なにも高原でなくとも平野部の叢や水辺のヨシ原などにも秋から冬に渡来する。実は今冬もすでに湖沼のヨシ原で何度か観察している。

それでも赤い鳥であることに違いはない。「ベニマシコで満足だね」連れ合いが自分を納得させるように言った。ここでこの日の行動はリミット。日入りの時間帯となり薄暗くなった元来た森林を抜け宿へと急ぎ足でもどった。すぐに冷え切った体を露天風呂で温め、夕食を食べるとすぐに寝床についた。翌日、出発の日、早朝に起床しバスの時間ぎりぎりまで高原を歩いたが、赤い鳥はまた同じ場所でベニマシコに再会できただけだった。帰りは清里駅までバスで出て小海線に乗車、帰路に着いた。今回の2日半の探鳥行で観察できた野鳥はスズメ、カラスも入れてちょうど30種。バーダーは目的の鳥が観れなかった時「はずす」という言葉を使う。今回は「赤い鳥をさがして」ではなく「赤い鳥をはずして」というタイトルにしなければいけないのかもしれない…いやいや唯一その姿を堪能させてくれたベニマシコに感謝しなければいけない。

メーテルリンクの童話「青い鳥」の中でチルチルとミチルの兄妹が幸福の青い鳥を求めて旅に出て、とうとう見つけられず結局、最も身近な鳥籠の中にいたという青い鳥。僕らの「赤い鳥」は身近な環境にもどってから、どこかで発見することができるのだろうか。 画像はトップが出現したベニマシコの♂。下が向かって左からベニマシコの♂もう一枚、八ヶ岳をバックにした清泉寮、林縁で野鳥を探す僕、牧草地の片すみで休憩する連れ合い、宿の中に展示してあったシカの頭骨。

 

            

 

 


238. 『赤い鳥をさがして-In search of Red Birds-』 ①八ヶ岳倶楽部周辺

2016-03-26 20:40:05 | 野鳥・自然

2月、3月と冬の野鳥ネタが続く。今回、ブログは何やらベルギーの作家モーリス・メーテルリンクの童話『青い鳥』のようなタイトルがついている。主人公のチルチルとミチルの兄妹が幸福の青い鳥を探して過去や未来の国に旅をするが見つけられず結局、自分たちの最も身近なところにある鳥籠の中にいたという有名な物語である。今回の旅がこんなにロマンチックな内容というわけではないが美しい鳥を探しに行ったことには間違いない。

寒さが本格的になって来た頃、古い鳥友でもある連れ合いが突然、「ねぇ、今年の冬は赤い鳥を探しに行かない?」と言いだした。『赤い鳥』とバーダー(野鳥観察者)たちが呼ぶのは外国の珍しい飼い鳥のことではなく、スズメ目アトリ科の野鳥の中のベニヒワ、コベニヒワ、ハギマシコ、アカマシコ、ナキイスカ、イスカ、オオマシコ、ベニマシコ、ウソなど羽衣が赤い羽、あるいは部分的に赤色が混じる小鳥類の総称である。中には日本の北部で繁殖する種もいるが、ほとんどは秋冬に大陸や日本列島より北の地域から越冬のために渡ってくる種が多い。これに対してコルリ、ルリビタキ、オオルリといった羽衣が青い小鳥類も人気があり、『青い鳥』などと呼ばれている。

『赤い鳥』は日本の野鳥を主題とした版画シリーズでもぜひ制作しておきたいグループでもある。渡りに船、「そうだね、ひさびさに版画の取材も兼ねて探しに行ってみよう」ということになり、場所をどこにするかということで、あそこでもない、ここでもないと候補地を上げているうちに、さらに連れ合いが 「去年の秋に野鳥の会の本部でお話しを伺った柳生博会長がオーナーの八ヶ岳倶楽部はどう?あそこはオオマシコが渡って来ることでも知られているし…」ということになり、ここと少し先の清里高原を結んで「赤い鳥探し」の旅へと出ることに決定した。

先月22日。早朝4時代に家を出発、千葉県内から1日1本だけ出ているという中央本線に乗り入れる特急に船橋駅で乗り継ぎ一路、小淵沢駅まで向かった。八王子を過ぎ、しばらくすると車窓からは裏高尾の山が間近に見え、さらに進むと奥多摩、大菩薩の山並が見えてくる。そして山梨県に入り長坂あたりまで来ると奥秩父や南アルプス、八ヶ岳、そして富士山など山梨県を代表する高山が出迎えてくれた。この辺りは学生時代ワンゲルまがいのサークルを同級生と作って、よく登った山域である。移り変わる景色を眺めているうちにあっと言う間に小淵沢駅に到着。ここでローカル単線の小海線に乗り換える。ゆっくりと山麓の雑木林や別荘地を走り抜け、わずか3駅で目的の「甲斐大泉駅」に到着。スマホを見ると10時13分、家を出てから5時間半ほどたっていた。電車を降りるとヒンヤリと山の空気が冷たい。駅の北側にはどっしりと八ヶ岳がそびえているが思いの外積雪が少ない。ちょっと嫌な予感がした(理由は後で書きます)。

明日は1日、清里高原の森林を歩き回る予定なので、コンビニに食糧や飲み物を調達しに行くことにした…ところがコンビニが遠くて坂道だったため、この往復に時間がかかり、一汗かいてしまった。八ヶ岳倶楽部まで歩いて行く予定だったが少しでも時間を稼ぎたいのでタクシーを利用する。ドライバーに最近の天候のことなど訪ねているうちに倶楽部入口に着いた。事前に連絡していたスタッフのK氏が迎えに出て来てくれて敷地内を案内してくれると言う。荷物をレストランに預けて林に作られた枕木の周回路を1周する。カラ類の声、アカゲラの声、頭上を飛ぶイカルの群れなどが確認できた。林の中に点在する「ステージ」や「ギャラリー」と名付けられた木造の山小屋のような施設などを丁寧に案内していただいた。一周して元来たレストランいに戻ってくるとK氏が、「今日は柳生もおりますから会って行ってください」とのこと。奥の方から聞き覚えのある声がして日本野鳥の会会長の登場。レストランのテーブルに案内され昼食を取りながらの歓談。広いガラス窓の外に設営されたミニサンクチュアリ(冬場の野鳥の給餌台)には入れ替わり立ち代わり小鳥たちが訪れてくる。

シジュウカラ、ヤマガラ、コガラ、ヒガラ、ゴジュウカラなどのカラ類を中心に、エナガ、アトリ、シメ、イカルなどが次々にやって来てはさまざまな餌を食べている。クルクルと忙しく飛び回るさまは、まるで小さなサーカスでも見ているように楽しい。それもオーナー柳生博さんの解説付きという贅沢な状況である。「この給餌場は冬の人気のスポットなんだよ」と嬉しそうに言った後、「この冬は寒さが中途半端でねぇ、オオマシコは来ていないんだ。それどころか例年普通に来ているウソの姿も見ない」ということだった。先ほど駅を降りて山の積雪量を見て「嫌な予感」がすると言ったのはこのことである。「赤い鳥」たちは繁殖地の状況や日本の亜高山、北国の寒さや雪の状況などが影響し年によって渡来数に当たり外れがあるのである。

食事を済ませ、しばらくすると若い女性のスタッフの方が「あちらで柳生が待っています」と奥のサンルーフのようなガラス張りの部屋に通してくれた。そこに柳生さんが一人座っていて「いつもは3時過ぎから飲むんだけど面倒くさいから今から飲んじゃおう!」と言われ3人でワインを飲むことになった。「ここは僕の特等席でね1年に1度この真上をイヌワシが大きくゆっくりと旋回飛行していくんだよ」という話を枕詞に八ヶ岳倶楽部を家族みんなでどのように作ってこられたかという苦労話、野鳥や自然環境のこと、そして役者生活のことなど秋に東京でお話を伺った時より、かなりリラックスして話された。最も愉快だったのはドラマ撮影の楽屋の裏話だった。知っている俳優さんたちの名前がぞろぞろと登場し、撮影のエピソードなどを延々と語られた。そして柳生さんの話は聞く側をグイグイと引きずり込んでしまい飽きることがない。そりゃあ「語るプロ」だからねぇ。時間を見ると夜の7時を過ぎている。閉店時間である。1時ごろから飲み始めたので6時間ぐらい柳生博さんの「語り」を聞きながら飲んでいたことになる。たいへん贅沢な話である。

楽しい時間はいつでもあっという間に過ぎるものだ。お名残惜しいが挨拶もそこそこ、タクシーを呼んでもらい今日の宿である「清泉寮」まで向かった。「赤い鳥さがし」は明日のお預けである。

柳生博会長、八ヶ岳倶楽部スタッフのみなさん、とても楽しい時間をありがとうございました。

画像はトップがオーナーの柳生博さんとツーショット。下が向かって左からクラブ内の施設でスタッフのK氏と、給餌台に来ていたイカル、シメ、コガラ、日暮れ時の八ヶ岳倶楽部風景。

 

              

 


237.『東京にハクガン飛来す』の巻

2016-03-23 21:38:17 | 野鳥・自然

毎年、晩秋から冬になると東京近郊の野鳥仲間の間でさまざまな「鳥情報」が飛び交う。関東周辺で数少ない冬鳥や珍鳥の出現数の多い季節なのだ。まだ観ていない観察種を増やしたり、貴重な迷鳥の記録写真を撮影したりとバーダー(野鳥観察者)にとってもっとも忙しい時期ともいえる。なかなか腰の重い僕の元にも昨年の秋が深まる頃から冬にかけてさまざまな鳥情報が入ってきた。

ここでご紹介するのはその中の一つ。例によってメールや口コミで情報の飛び交う中、ある鳥友(ちょうゆう)と会った時、「北千住にハクガンが3羽出ているよ」と唐突に言われた。「えっ、北千住?ハクガン!?」一瞬わが耳を疑った。「北千住と言えば思い浮かぶのは駅周辺の飲み屋街、赤ちょうちんと焼き鳥を焼く煙だし…ハクガンと言えば日本では稀な冬鳥だし…いったいどこでこの二つが結びつくんだい!?」と質問すると鳥友はゆっくりとした丁寧な口調で詳しく語りだした。「北千住と言っても駅からは離れた荒川の河川敷でハクガンは幼鳥が3羽である。10月の下旬から出ており人に警戒心がほとんどない」とのことだった。その場は「ふぅん」とたいして感心がないように装って別れた。

以前は友人知人からの情報で珍鳥が出たと聞けば飛んで観に行ったものだが、近頃、珍鳥というものにあまり関心がなくなってしまった。そうした現場に行けばインターネットと携帯電話の普及によりあっと言う間に情報が伝わり何十人、何百人と人が集まり、たちまち超望遠レンズの砲列が並ぶ。こうした中に身を置いて小さな珍鳥が出現するのを待っている空間に嫌気がさしてしまったのだ。最近では「もっと普通に生きている鳥を詩的に観たい」などと言って自分自身の気持ちを納得させている。

ところが、ハクガンは別である。長い間、憧れていた鳥である。1989年にアメリカの自然写真家であるギャレンバレルという人が『ハクガンは再び~When the SnowGoose are gone』という写真集を発表し、和訳されたものが日本でも出版された。その頃日本で野鳥写真と言えばカリカリにピントのあった生態的なものが主流だったが、このバレルの写真集は違っていた。風景的であり、物語的であり、抒情性もあった。それまで生態写真ではタブーとされてきたハイキーな画像や軟調なトーンのものなどを多く用いとても絵画性に富んだものであった。内容としてはアメリカのハクガンの越冬地である太平洋ノースウエスト地域の広大なライ麦畑の四季を追ったドキュメンタリーでハクガン以外にもさまざまな野鳥が登場する。「いつかこの写真集に出てくるようなハクガンの群れを観てみたい」こう思い続けてきた。そうこう思い出しているといてもたってもいられなくなり先月10日と今月18日の2回にわたって会いに行ってしまった。

飛来現場は荒川の河川敷にできた運動公園で野球場、サッカー場などがあるところだが場所によっては雑草が生え放題といったところもあり、ハクガンの若い3兄弟はここで四六時中歩き回っては冬でも青々としたロゼット植物やらクローバーやらの葉を短く丈夫な嘴で根こそぎ抜いては食べていた。ときどき、トビやハヤブサなどの猛禽が上空を飛翔すると警戒し立ち止まる。そして場合によっては川の水面まで3羽揃って飛んで行って身を守る。でも、しばらくするとまた戻ってきては草を食べ歩きそして休息するのを繰り返していた。行動する時はいつも3羽仲良くいっしょである。「ハクガン3兄弟」なのである。バーダーやカメラマン、犬の散歩の人、ジョギングの途中の人がすぐ傍にいても全く気にしないどころか”ククッ、ククッ”と小声で鳴いて彼らから近づいてくることさえある。ここまで人に慣れるととてもかわいい、家に連れて帰りたくなる。

ハクガンはもともと北アメリカおよびグリーンランドの北極圏、北東シベリヤのコリマ川下流域などで春から夏にかけて繁殖し北アメリカ東海岸および西海岸で越冬するカモ科のガン類で日本では数少ない冬鳥として北海道、本州、九州などで稀に記録されるなどとされてきた。この東京での記録も58年ぶりということだ。しかし近年では秋田県や新潟県の日本海側で数十羽~数百羽が越冬している。世界的にみると生息数がとても増えていて繁殖地であるツンドラ地域の植物を食べまくってしまうので有害鳥獣に指定されカナダやアメリカでは駆除の対象になっているらしい。その猟銃で撃たれる総数はハクガンの生息数のかなりの割合とも言われている。日本の鳥で言えば昔天然記念物で今は漁業の有害鳥獣となったカワウを想い浮かべてしまう。人間はいつだってそうだ。増えれば有害だとする。銃で片を付けようとするのはどこかの国の無差別爆撃に似ているじゃないか。有害有害と言ってもこの青く美しい星の上でもっとも有害な生き物はヒトではないのか。自分の同朋を殺すことが本能上できるのは多くの生物の中で「ヒト科・ヒト」だけである。他の動物はこれも本能上安全装置を持っているのだ。

目の前の黙々と草をはむ人懐っこい3兄弟を眺めながらハクガンの置かれた厳しい現状を想像してしまった。どうか春になったら無事に繁殖地のツンドラまで帰ってほしい。そしてハンターの銃弾を潜り抜けながら無事繁殖を済ませ、新しいファミリーで安全な日本に戻ってきてください。憧れの白く美しい姿をたっぷりと楽しませてくれて感謝しています。

画像はトップが東京の町を背景とした3兄弟。下が向かって左からカメラマンが来ても逃げないハクガン、2枚目、3,4,5,6枚目といろいろ、7枚目に顔のアップ。

             

 


233. 日本野鳥の会 柳生博会長 訪問記

2016-02-19 19:35:53 | 野鳥・自然

昨秋、東京目黒区にある(公財)日本野鳥の会本部に柳生博会長を訪れ、お話しをうかがう機会を得た。僕としては所属する自然保護団体の会長であり、昔から俳優として1ファンなのだから渡りに船だった。実は柳生会長と直接お会いするのはこれが二度目である。一度目は都内で開かれた野鳥の会の古い会員の集いに出席した時でお酒の席だった。当然ブラウン管を通してしか接したことがなかったのだが、ご本人はとても明るくフレンドリーな方でリアルでもファンになった。

今さらだが柳生博さんは、1937年茨城県生まれで、俳優、司会者、タレント、作庭家であり、2004年からは(公財)日本野鳥の会第五代会長に就任、コウノトリファンクラブの会長でもある。そして現在、住まわれている山梨県北杜市のパブリックスペース『八ヶ岳倶楽部』の主催者である。

さまざまな番組に出演し華々しいご活躍をされた方だが、ここまで順風満帆できたわけではない。若い頃は船乗りを目指して商船大学に入学するが体調不良で中退、その後俳優を目指し劇団俳優座の養成所に入所し役者としてスタートしたのだが、TV俳優としては遅咲きだったという。30代半ば過ぎまではTVに出演しながら肉体労働のアルバイトをしていたという苦労人でもある。その後の活躍はここで書くまでもなく誰もが知っているとおりである。

鳥仲間の方と五反田駅から目黒川沿いにテクテクと歩いて行き15分ほどで日本野鳥の会の本部に到着した。係の人に会議室に通されしばらく待っていると、柳生博会長が登場した。挨拶をし名刺交換などを済ませた後に、高校生の頃、TVの青春ドラマに登場した柳生さん演じる『塚本先生』のファンだったことを告げる。ドラマの中では主人公をいじめる嫌われ役なのだが、長い放映の中で一回だけ『塚本先生』が主人公になった回がある。内容は娘さんとの人情話で悪い父親が優しい面をみせるというもの。すると柳生さんが一言「そういうひねくれた人が時々いるんだよねぇ」と言われた。だが、何故か自分の俳優、柳生博の始めのインパクトはこのドラマなのである。

会長のお話が始まって、右へ左へ移動しながらポートレイト撮影をしていると、さすがに俳優である。顔の表情、手の動きが実に豊かである。そして話がとてもおもしろい。生まれ育った茨城県霞ケ浦地域での自然の中での遊びの話、前に書いたが船員を目指すが事情で俳優に転向した頃の話、TVの俳優としてヒットして年間700本も番組に出ていたという超ハードな頃の話、八ヶ岳の山麓に移住、荒れ果てた雑木林を整備、再生し作庭を始めた頃の話、そして訪問者が増えてきたので、より多くの人たちが自然を楽しめるパブリックスペースとして『八ヶ岳倶楽部』をスタートした頃の話、野鳥の会の会長に就任した頃、愛知県豊橋市の里山での地元の人々のコウノトリの保護活動に感動、共感しコウノトリファンクラブの活動に参加したことなど…途切れることがなく情熱的に語っていただいた。時計を見るとあっという間に二時間が過ぎていた。わずか5人ほどの少人数のギャラリーでの贅沢な講演会が終了した。このお話しの中で印象に残った言葉がいくつかあるのだが、最も強く残ったのは「我々の世代は戦後の時代を馬車馬のように働いて駆け抜けてきたんだけど、その反面失ってきたことも数多い。」という前置きから「特に自然環境はたくさん破壊されてきたね。僕は残された人生、野鳥を始め自然や他者に少しでも迷惑をかけないで生きていきたい。そのことが我々世代に課せられた大きな責任なんだ」と語っていたことである。自分を含めた世代を加害者として捉え、反省しつつ前向きに生きていこうとする人に久しぶりに出会えた気がする。78才、今この人が熱い。

 

最後に3人、三つ巴で硬い握手。会長の情熱が大きな掌から伝わってきた。柳生会長、ご多忙の中、貴重な時間とお話しをいただきありがとうございました。感謝します。そして、いろいろとお気遣いいただいた日本野鳥の会本部スタッフの方々に感謝します。

この記事の掲載は柳生会長と野鳥の会本部のご好意により掲載しています。

 

               

 


228. フィールドノートから② 印西市『白鳥の郷』今年の鳥見初め

2016-01-13 19:53:04 | 野鳥・自然

今年の鳥見初めは3日に千葉県北東部に位置する印西市の『白鳥の郷』で白鳥三昧をしてきた。東京に下宿している長女が暮れから帰って来ていて、「久々にお正月にハクチョウを観に行きたい」と言う。そういえばこの子が中学生ぐらいまでは、毎年、正月はここにハクチョウを見に来るのが、わが家の年中行事だった。だんだん子どもたちが成長してくると、子ども抜きで冬に1回来る程度になってしまった。子どもにとっては、ハクチョウを観に来ることイコール新年という印象が記憶の中に、すり込まれていたのだなぁ。と、いうわけでハクチョウの塒入りを観察するには午後3時過ぎぐらいが良いだろうと家族で車に乗り込んで出かけた。

この『白鳥の郷』は最初は冬に水を張った田んぼに、たまたま一家族が渡来しただけだったという。それが、毎年渡来するようになり、地元「白鳥を守る会」の人たちの並々ならぬ保護活動の努力の結果、現在では最大1200羽もの白鳥類が飛来するようになった。僕らが見始めた頃は200羽前後だったように記憶しているが、その6倍にも膨れ上がったんだねぇ。が日本列島に越冬に渡って来るハクチョウ類はオオハクチョウ、コハクチョウが多く、その他、稀にナキハクチョウやコハクチョウの北アメリカ亜種のアメリカコハクチョウなどが観察されている。それぞれの種は一見似通っているが識別のポイントは嘴の基部の黄色の形状を比較するのが解り易い。以下、今日のフィールドノート。

<観察種> コハクチョウ(成鳥、幼鳥合計400羽±)、亜種アメリカコハクチョウ(成鳥×4羽)、オオハクチョウ(成鳥、幼鳥合計20羽+)、オナガガモ(♂♀合計900羽±)、カワウ(×1羽)、アオサギ(×1羽)、ダイサギ(×1羽)、タシギ(×2羽)、モズ(×1羽)、ハシボソガラス(×1羽)、ハシブトガラス(×3羽)、ヒバリ(×1羽)、ムクドリ(×50羽+)、ツグミ(×2羽)、タヒバリ(×7羽)。以上、14種。※亜種アメリカコハクチョウ(C.c.columbianus)は亜種コハクチョウの群れの中を探しているうちに成鳥4羽を発見できた。幼鳥や交雑個体もいたのかもしれないが見つけられなかった。今冬は暖冬のせいか、南下してくる数がまだ昨年の半数以下だということだった。

それにしても、この亜種アメリカコハクチョウは図鑑で見ると分布域が亜種コハクチョウとはまるで違っている。コハクチョウがユーラシア大陸北部で繁殖し、ヨーロッパ北西部や東アジアで越冬するのに対して、アメリカコハクチョウは北アメリカ北部(カナダ北部やアラスカ北部)で繁殖し、北アメリカ中部で越冬する。渡りのコースからもはずれているのだが、いったいどこで交差するのだろうか?ベーリング海峡上あたりだろうか?そんなことに想像を膨らますのも「渡り鳥」を観察する魅力の一つである。

日の入の時間前後に管理小屋に「白鳥を守る会」の人が来て給餌を始めるとこの群れには狭く見える冬水田んぼがコオーツ、コオーッ、…とハクチョウたちの元気な声で大騒ぎになってきた。西の空を見るとオレンジ色に染まった美しい夕空が広がっている。ここで今年の「白鳥参り」は終了となった。画像はトップが『白鳥の郷』の冬水田んぼで休息するハクチョウたち。下が向かって左からコハクチョウの成鳥と幼鳥、亜種アメリカコハクチョウの頭部のアップ(嘴の基部の黄色がわずかしかない)、オオハクチョウ成鳥、日の入時間の給餌のようす、この日の夕景。

 

            


224. フィールドノートから 西印旛沼・今年の鳥見おさめ

2015-12-29 21:01:15 | 野鳥・自然

今年もいよいよエンディングに向かって秒読みの時期に入ってきた。今月の25日と29日にひさびさに工房の近くの西印旛沼に野鳥観察に出かけた。いつもと志向を替えて記録をつけているフィールドノート(野帳)の内容をご紹介する。

・12/25(金)晴れ(風はほとんどないが寒い)16:33、日の入時間前後の西印旛沼北東部とその周辺、3地点をサイクリングロード沿いにMTBで移動しながら観察した。以下、フィールドノートより。重要と思われる種は性別や観察数を記載した。

<観察種> ヨシガモ(♂×93羽♀×82羽)、マガモ、カルガモ、オナガガモ、トモエガモ(♂×2羽♀×1羽)、コガモ、キンクロハジロ、ミコアイサ(♂×1羽♀×3羽)、カイツブリ、カンムリカイツブリ(23羽)、ハジロカイツブリ(×52羽)、キジバト、カワウ(×361羽)、アオサギ、ダイサギ、コサギ、バン、セグロカモメ、トビ、チュウヒ(×4羽)、オオタカ(幼鳥×1羽)、モズ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、ヒヨドリ、ウグイス、ムクドリ、シロハラ、ヒタキsp(声×1)、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、タヒバリ、カワラヒワ、ホオジロ、アオジ、オオジュリン。以上39種を観察。

※ ヨシガモは沼の北東部水面に固まっていた。トモエガモはオナガガモの大きな群れの中に混ざっていた。チュウヒとオオタカ幼鳥はヨシ原上を低く飛翔した。風が弱く沼の水面は穏やかで水鳥の観察がしやすかった。日の入後しばらくして東の空からオレンジ色の不気味な月がゆっくりと上がってきた。とても幻想的な風景である。

・12/29(火)晴れ、風がある。寒い。午前中から午後にかけ日中に西印旛沼(と、その周辺)の萩原入り口から船戸大橋まで、6地点をサイクリングロード沿いにMTBで時計回りに移動しながら観察した。以下、25日同様、フィールドノートより。重要と思われる種は性別と観察数を記載した。

<観察種> キジ、ヨシガモ(♂×54羽♀×64羽)、マガモ、カルガモ、オナガガモ、トモエガモ(♂×20羽♀×11羽)、コガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、ミコアイサ(♂×6羽♀×8羽)、カイツブリ、カンムリカイツブリ(×45羽)、ミミカイツブリ(×2羽)、ハジロカイツブリ(×44羽)、キジバト、カワウ、ゴイサギ、アオサギ、ダイサギ、コサギ、オオバン、ユリカモメ、セグロカモメ、ミサゴ(×2羽)、トビ、チュウヒ(×6羽)、ハイイロチュウヒ(♀×1羽)、ノスリ(×1羽)、カワセミ、ハヤブサ(×1羽)、モズ、ハシボソガラス、ハシブトガラス、シジュウカラ、ヒバリ、ヒヨドリ、、ウグイス、エナガ、メジロ、ムクドリ、シロハラ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、タヒバリ、カワラヒワ、ベニマシコ(♀×1羽、声×3)、ホオジロ、カシラダカ、アオジ、オオジュリン。以上53種を観察。他、シナガチョウ、カワラバト。

※トモエガモは25日と同じくオナガガモの大きな群れの中に混ざっていた。ここでは少ないミミカイツブリ2羽が沼中央の水面に観察された。猛禽類6種が観察された。ベニマシコをヨシ原で観察した。日中であることと25日より観察範囲を広くしたことでより多くの種類と数が観察できた。

以上、フィールドノートの記録を拾い書きしてみた。

画像はトップが冬の印旛沼の名物、冬羽に換羽したカンムリカイツブリ。下が向かって左から沼水面に浮かぶマガモの群れ、近年、生息数が減少しているコサギ、沼の風景3カット。

 

        

 


194. 谷津干潟・春の渡りのシギ・チドリ観察。

2015-05-22 21:55:31 | 野鳥・自然

今月5日。ひさびさに習志野市の谷津干潟にの渡りのシギ・チドリ類を観察しに出かけた。毎年、ゴールデンウィーク前後は繁殖地へと向かう水鳥のシギ・チドリ類が日本列島の干潟や水田などに立ち寄っていく時期にあたり観察のベスト・シーズンとなっている。この時期に1-2回は谷津干潟を訪れるのが僕自身の年間行事ともなっている。

僕が野鳥観察を始めたのは今から〇十年前、高校二年の冬に東京湾岸の干潟に友人に誘われて冬鳥のカモ類や猛禽類を観察に行ったのがきっかけである。当時はまだ『バード・ウォッチング』という外来語が耳慣れず、市民権をようやく持ち始めるところだった。ただ、この延々と広がる埋立地に泥を運ぶサンドパイプが伸び、大型ダンプカーが砂埃をたてて走り回っていたのをよく憶えている。そして、大規模な自然破壊の象徴でもあるこの地から野鳥観察を始めたことが、その後の僕の自然観を決定してしまったと言っても過言ではない。高度経済成長の真っただ中にあって、かつて渡り鳥の一大中継地として世界中の鳥類学者の注目を集めていた東京湾周辺の水辺は、「開発」の名のもと、見るも無残に破壊されていた。それでも野鳥たちはその片隅に残された水辺環境で生き続けていたのである。初めて望遠鏡越しに観た水鳥たちの美しさの虜となり、以来、ずっと通い続けることになって今日まできている。

この日は『大潮』。予報では谷津干潟は昼ごろ干潮で午後から夕方に向かって満潮となっている。干潮時に干潟全体に分散していたシギ・チドリ類は潮が満ちてくると近い距離に集まってくる。つまり、ちょうど良い観察日和ということである。昼ごろに干潟の北側に到着するといつものように時計回りに周遊路を歩き始める。双眼鏡で干潟全体をを観まわすがシギ・チドリの姿は少ない。ダイゼン、キアシシギ、チュウシャクシギが少し観られただけ。「今日は欲をかかずにノンビリと観ることにしよう」。日陰のベンチで持ってきた昼食をすませ東岸から南岸に向かってさらに歩いて行く。午後二時過ぎ、ダイゼンとキョウジョシギの60羽ほどの混群が飛んできた。東岸の干潟にはハマシギとメダイチドリの小群が近い距離で観られた。潮が満ち始めるまで、まだ時間がある。観察センターの先の淡水池を覗いて来ることにしよう。

淡水池ではたいした収穫はなかった。時間となったので南岸の四阿にもどる。干潟の中央に真っ赤な夏羽となったトウネン11羽とチュウシャクシギが31羽観られた。今日はチュウシャクシギをよく観る。四阿に集まって来ていた鳥屋さんの中にここでよくお会いするK氏を見つけた。挨拶も早々、鳥情報をお聞きすると「昨日は夏羽のオオソリハシシギ数十羽が目の前に並んだんだけど、今日は1羽も見ない」とのこと。まぁ、そーゆーことはよくあるんだよね。タカの仲間でも出現したのかなぁ。しばらく雑談をしていると水路からグングンと潮が上がってきたので、最後にシギ・チドリが集まる東岸のポイントに向かう。

東岸のポイントに集まってくるシギ・チドリを望遠鏡で観察していると、後ろからここで長く野鳥のカウント調査を続けているベテラン・バーダーのI氏と鳥類図鑑画家のT氏夫妻がやってきた。ひさびさの再会で鳥談議に話がはずんだ。いつの間にか日入りの時間も近づいていた。今日はこの辺でタイム・オーバーとなったのでみなさんに挨拶して帰路に着いた。最後に残された夕暮れの干潟ではシギ・チドリ類の哀調をおびた声が響き渡っていた。画像はトップが満潮時に集まってきたシギ・チドリ類。下が向かって左から北側から見た谷津干潟、チュウシャクシギ、メダイチドリ。

 

      


179. 北印旛沼・冬鳥観察記

2015-02-24 20:29:48 | 野鳥・自然

2月も20日を過ぎた。そろそろ春の気配が近づいてくる頃だ。この冬も仕事場に籠っていてほとんど野外に出ていない。以前は鳥の絵を描くための「取材」と称してしょっちゅう出かけたものである。

23日の午後、工房の近くの北印旛沼へひさびさに冬鳥の観察に行ってきた。朝のうちは晴れ間ものぞいていたのだが、午後からは今にも雨が降り出しそうな鉛色の空となっていた。「鳥の写真はうまく撮れないなぁ…」しかし贅沢は言えない。次に仕事の切れ間ができるのはいつになるかわからない。望遠鏡など野鳥観察道具を車に積んでベテランバーダーでもある連れ合いといつもの観察ポイントに向かった。

始めの観察ポイントに着くとここに居ついている大きなモモイロペリカンが出迎えてくれた。「カン太くん」というニックネームで呼ばれているのだが、近隣の温泉場の社長がゲージで飼っていたのが放されて居ついてしまったと聞いている。もう20年ほどになる。地元で内陸水面漁業を営む漁師さんたちがザコやテナガエビなどを与えて大切にかわいがってきたのだ。カン太くんに見守られながら望遠鏡をセットして沼の南部を中心に観察を始める。水面にはマガモ、ヨシガモのペアが目につくが数は少ない。カンムリカイツブリが2羽視野に入ってきた。黙って双眼鏡で沼を観察していた連れ合いが「チュウヒっ!!」と叫んだ。冬枯れ色のヨシ原上をタカの仲間のチュウヒがゆったりと舞う。僕の好きな風景である。遠い杭の上では同じくタカの仲間のミサゴが魚を捕えて食事中だ。しばらく観てから次のポイントに移動することにした。車に観察道具を積もうとしているとハヤブサの仲間のチョウゲンボウが頭上をヒラヒラと飛んだ。これで本日、猛禽類を3種確認。

車で沼の西岸のポイントに移動。実はここからが今日のお目当てとなる。事前情報で冬鳥でカモの仲間のトモエガモが3000羽以上入っているとのこと。トモエガモは主に日本海側の水辺に渡来するが太平洋側では少ない。それが北印旛沼ではここ数年多数が飛来しているのだ。原因としてここ数年間の冬期の日本海側の気象状況の厳しさがあげられている。越冬地となる水辺環境が大雪などによって荒れているのだろう。7-8年前の冬、やはり日本海側の気象が荒れた時、50羽ほどの群れが入って驚いていたが、千羽単位が渡来しているのだ。「これは地元バーダーとしてぜひ一度観ておきたい」ということになった。西岸ポイントに到着、望遠鏡を担いで土手に上がると正面の水面遠くにカモ類の大きな群れが目に入った。望遠鏡の倍率をあげて確認するとすべてトモエガモである。ほぼ沼の中央で北へとゆっくり移動し始めていた。

ポケットからカウンターを取り出して覗きながらカチカチとカウントを始める。「1000羽はいないなぁ…」カウントをし終えて打たれた数を確認すると♂♀合わせて538羽だった。15日で猟期も終わったし、そろそろ春の気配。ここから移動して分散し始めたのだろう。目当ての鳥が見られてほっとしたこともあり、ここでティータイム。土手に座って、ポットの熱いコーヒーを飲んでいるとヨシ原からこの沼の名物でサギの仲間のサンカノゴイが「ウッ、ウッ、ボォーッ」と繁殖期に出す低い声で鳴いた。鳥の世界ではもう春が始まっている。2時間弱の間に33種の野鳥を観察することができた。空が一際高く広く見える湖沼空間でしばらくのんびりしてから帰路に着いた。画像はトップがこの日の北印旛沼の風景。下が左から同じく沼風景、モモイロペリカンの「カン太くん」、沼中央で観察したトモエガモの群れ。

 

      


174. 2015年・初鳥見

2015-01-19 20:36:04 | 野鳥・自然

暮れから新年にかけていろいろと仕事やら用事が重なりブログが遅れ気味である。そろそろまたがんばって更新を始めることにしよう。

と、いうわけで今回は今年の初鳥見(バード・ウオッチング)の話題。4日、工房近くにある西印旛沼の日入り時間前後に一人MTBに乗って出かけた。ちょうど冬鳥が出揃う季節、いつもの土手、望遠鏡をセットするポイントは決まっている。26年前、この地に移り住んで初めて野鳥を観察に来たのも、この沼のこのポイントである。以来何度訪れたか数えきれない。いつ来ても広い沼の風景はたっぷりと水をたたえていて心を癒してくれるが晩秋から冬の日入り時間は特にお気に入りなのである。その頃と比べれば、沼の南側にチューリップ広場や東京湾から利根川まで続くサイクリング・ロードが開通して訪れる人も増えたが、北東部のこのポイントは人も少なくてまだまだ静かな環境だ。

今日もサイクリング・ロード沿いに3つのポイントを移動しながら双眼鏡と望遠鏡で野鳥を観察して行く。水面に浮かぶカモ類、カイツブリ類。ヨシ原には越冬の小鳥類。時折、上空をタカなどの猛禽類が飛翔する。今年の冬も寒さが厳しいせいか冬鳥たちが元気に賑わっている。今日のスターは水面では23羽を数えた冬羽のカンムリカイツブリ。ヨシ原では一瞬姿を見せてくれたベニマシコの♀。そして猛禽類ではミサゴ、チュウヒ、ハイイロチュウヒが飛翔姿を見せてくれた。

観察記録を付けている野帳(フィールド・ノート)を確認すると合計39種の野鳥を観察していた。時計を見るとそろそろ日入り時間近くになっている。今日は吹く風も弱く穏やかな日で絶好の探鳥日和である。日が傾きかけてくると水面、冬枯れのヨシ原、水鳥たちの群れが夕日で薄ピンク色に染まってきて、例えようもなく美しい景色となる。西側に眼を向けると隣接する新興住宅地の高層マンション周囲が真っ赤に燃えて見える。いつものようにポットに入れてきた熱いコーヒーをすすって冷え切った身体を暖めながら望遠鏡の三脚をたたんだ。「さて、ボチボチ切り上げだ」。

新年から美しい風景を堪能させてくれた沼の竜神様と野鳥たちに感謝!! 画像はトップが沼の杭に羽を休める冬鳥のオナガガモの群れ。下が日入り時間にピンク色に染まる西印旛沼と夕日にシルエットが浮かびあがる高層マンション。

 

      


157.秋の渡りの谷津干潟 その2 

2014-08-28 21:15:56 | 野鳥・自然

24日。15日に続き秋の渡り鳥、シギ・チドリ類を期待して習志野市の谷津干潟鳥獣保護区に行ってきた。続けて通うのはひさびさである。

11時16分に干潟入り口に到着する。この日は日曜日で天候にも恵まれ、潮の状態も『大潮』という好条件にあたるため野鳥観察会のグループが多かった。日本野鳥の会・千葉県支部、同神奈川県支部、千葉県野鳥の会、そして谷津干潟観察センター主催の面々と人間の方も賑わいを見せていた。外国人バーダーが多かったのは、ちょうど東京で『国際鳥類学会』が開催されているからだと誰かが話していた。外国人バーダーはフットワークが良くて、こうした機会にはさまざまな探鳥地に足を運んでいるらしい。満潮というのは午前中から昼にかけて干潟面が干潮になり、午後にかけて徐々に潮が満ちてくることをいうのだ。つまり、干潟全体に散らばっていた水鳥のシギやチドリの仲間が水面が増えて来るとともに水際に集まってきて観察しやすくなる。これをバーダーの間では『潮待ち』などと言ったりする。僕もこの瞬間は好きである。

北側の遊歩道から干潟面を双眼鏡で観察していくと9日間でシギ・チドリの個体数が増えてきているのが解る。「今日は期待できるぞ」 遊歩道をゆっくりと移動しながら、ポイントに着くたびに望遠鏡をセットして、じっくりと観察していく。キアシシギ、ソリハシシギ、キョウジョシギ、ダイゼン、セイタカシギいつもの干潟の役者が勢揃いしている。南側に回りかけた頃、上空をずっと見上げている人がいたので視線の先を追うとタカの仲間のミサゴが翼を大きく広げて浮かんでいた。まるで白い洋凧のようなゆうゆうとした姿である。「幸先が良い」干潟の中央を望遠鏡で観ていくとシギ・チドリの混群が見つかった。端から丁寧に追っていくと、メダイチドリ、ダイゼン、オオソリハシシギ、オバシギ、アオアシシギ、トウネンと秋の渡りの顔ぶれが出揃っている。その時、スコープの視野を素早い動きのシルエットが横切った。「ハヤブサだっ!!」 前回に続き、またもや猛禽類の登場。身の危険を感じたシギ・チドリの混群がいっせいに飛び立ってしまった。中でもオオソリハシシギはこの時から戻ってこなかった。

仕方がないので、淡水池を覗く。ハイドの木陰でしばらく休んでいると「お立ち台」に人気者のカワセミ君登場。良く見ると頭や胸の色彩がずいぶん黒っぽい。今年、繁殖した幼鳥のようだ。カワセミの好きな粘土質の崖地があるわけでもないのに、いったいどこで繁殖したのだろう。コンクリート擁壁の使用していない水道管でも巣として使ったのだろうか。この個体、繰り返し横に飛んではトンボ類を捕食していた。子供だから、まだうまく魚をダイビング・キャッチできないのだろう。随分とサービスのいいカワセミに見とれているうちに満潮の時間が近づいていた。あわてて干潟に戻るとだいぶ潮が満ちてきていて干潟面が少なくなっている。『潮待ち』のセオリーどおりにシギ・チドリ類が残りわずかな干潟面の水際に集まってきている。オバシギ、トウネン、キアシシギが近い。じっくりと撮影する。そうしている間にもどんどん潮が満ちて来た。今日もまたどこからか大好きなアオアシシギの哀調を帯びた声が聴こえてきた。「キョーキョーキョー…キョーキョーキョー…」そろそろ引き上げるとしよう。画像はトップが淡水池にいたカワセミの幼鳥。下が向って左から水際で観察したオバシギとキアシシギ、トウネンの群れ、この日の干潟風景。

※この日、上記の種類の他にハジロコチドリ、キリアイといった希少種のシギ・チドリ類も観察されていたようだが、僕は見られなかった。

 

      


156.秋の渡りの谷津干潟 その1

2014-08-21 20:24:25 | 野鳥・自然

今月はお盆に入って少し暑さがゆるんだと思っていたら、明けてこの猛暑に閉口している。工房で冷房をつけていても頭がボーッとしてくるほどだ。

暑いといっても山野や水辺の生物の世界の暦ではすでに秋のシーズンが始まっている。15日、お盆の中日。ひさびさに千葉県習志野市にある『谷津干潟国設鳥獣保護区』に野鳥観察に行ってきた。以前は、月に2-3回、集中的に通っていた時期があったが、最近は仕事(制作)の関係で一年に数回のペースとなってしまった。この干潟の今の季節はシベリヤやアラスカなどの原野で繁殖した旅鳥のシギ・チドリが多数立ち寄っていく時期である。これから秋冬期に向かい越冬地である東南アジアやオセアニアに渡っていく途中、餌となるゴカイやカニなどの多い日本の干潟で十分栄養補給をしていくのである。

干潟での野鳥観察は『潮』の干満があるため干潮と満潮の時間を事前に調べて行かなければならない…と、書くと海釣りを連想する人もいるだろう。なぜかと言うと、満潮時にあたってしまうと鳥が留まることができず他の場所へ飛び去ってしまうし、逆に完全に干潮になれば広い干潟に鳥たちが散らばってしまって、距離が遠かったりする。その、中間を狙うのがベテラン・バーダーなのだ。この日は『中潮』。干潮が15:19で、満潮は21:26。と、いうことは午後遅くからゆったりと満ちてくるというところである。したがって、いつもよりゆっくりめに家を出た。

お昼過ぎに干潟の周回路入り口に到着。ほぼ満潮状態で干潟には水の中に立っていられる足の長いサギ類の姿が目につく。日陰のあるハイドのベンチで持ってきた弁当を食べながら望遠鏡をのぞいているうちに、東側に干潟が現れてきて、1時半ごろ東京湾方面からシギ・チドリの混群が飛来した。白黒のコントラストが眩しいチドリ科のダイゼン、同じくチドリ科で後頸から胸のオレンジが美しいメダイチドリ、そしてチョコマカと動いているのはシギ科のキョウジョシギとトウネンだ。ここでは特別珍しい野鳥というわけではないのだが、この季節と4-5月の春の渡りの時期にしかお目にかかれないので、じっくりと望遠鏡をかまえて観察しようとした…その時、視界に猛禽類の姿が横切った。と、同時に30羽ほどのダイゼンが飛び去ってしまう。あわてて双眼鏡を向けるとハヤブサである。干潟上を滑翔するように低く飛ぶと、顔面の特長的な模様がはっきりと解るほど近くを飛んでサービスしてくれた。まさに格好の良い戦闘機といった勇士であった。

さらに歩いて観察センター横の淡水池を除くがサギ類とカルガモ、カイツブリが見られたのみ。南側の四阿にもどると定位置に鳥友のK氏が来ている。挨拶を交わして鳥情報を交換したり、干潟の最近のようすを聴いているとあっという間に時間が過ぎ、東京湾から水路を通って、干潟の潮がグングンと満ち始めた。分散していたダイゼンやキアシシギがひっくり返ったボートのお立ち台に集まってくる。そろそろ今日の観察も終盤となる。ここから元来た周回路を右回りに戻り夕映えの中の野鳥たちを観察しつつ、心地よい潮風の吹く中、帰路に着いた。この日観察できた野鳥はスズメやカラスを入れて26種だった。画像はトップが夕映えの風景の中、水辺で休息するシギ・チドリ類。下が左から望遠鏡と谷津干潟風景。満潮時、干潟に集まってきたキアシシギ、水路周辺に群れるサギ類、夕映えの空。