長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

192. 開創一千二百年・高野山滞在記 (六)最終日・塔巡り 

2015-05-08 21:18:59 | 旅行

6回に亘ってつづってきた高野山滞在記も今回でようやく最終回となった。それだけ旅の内容が濃かったということだねぇ。最終回は4月12日の最終日、この開創1200年の年、日曜日でもあり帰りの電車の混雑が予想される。情報では午後は電車のチケットが購入し難くなるという。お昼前後に高野山を出発したい。と、いうわけで、壇上伽藍を中心とした塔巡りをすることにした。

仏教建築の中で塔ほど魅力的で象徴的な存在は他にない。『塔』は古代インドの言語であるサンスクリット語ではストゥーパ(Stupa)という。あの日本のお墓にある卒塔婆(そとば)はその音写である。その起源は仏教以前に遡り、王などの供養塔であったとされる。モニュメント的な性格が強かったようである。仏教に取り入れられたのはブッダの入滅後、その帰依者だったアショーカ王によって建立されてから広まったとされている。全インドに8万4千の塔を建立したと伝えられている。主な素材は泥土や石材で作られ、初めはブッダの仏舎利(遺骨の一部)を収めていたのだが遺骨はいくら細分化しても限りがある。時代が下って、それが経典や仏像へと変化していった。日本では大規模な塔はすべて木造で現存するものでは三重塔、五重塔などが多い。奈良・法隆寺の五重塔、京都・東寺の五重塔などは代表的なものである。

朝食後、宿坊でチェック・アウトを済ませてから観光地図で塔の位置を確認し、真っ直ぐ壇上伽藍へと向かった。蛇腹道から歩いて行って最初に出会う塔は『東塔』である。もともと1127年白河上皇の御願によって創建されたが1843年に焼失。1984年、弘法大師御入定1150年を記念して140年ぶりに再建されたものである。さほど大きくはないが端正でよくまとまったデザインの塔である。伽藍内のいくつかの小さな御堂を見ながらさらに進み、中央の広場上になった場所まで来ると大きくそびえ立つ朱色の『根本大塔』が現れる。弘法大師・空海が高野山を開創する際に「高野山上に曼荼羅世界を」と構想し、胎蔵界、金剛界の両界曼荼羅に基づいて諸建築を配置したと伝わっているが、その中心部にシンボリックな存在となっているのが、この大塔である。この塔も何度かの火災で焼失し再建されたが、現在の塔は1937年に建てられたものである。塔の正面に立つとその大きさとダイナミックな形態に圧倒され、首が疲れるまで見上げてしまう。堂内には本尊・大日如来と金剛界の四仏を中心に立体曼荼羅を擁し、周囲をお参りすることができる。ここでゆっくりと本尊と対峙し、お参りした。根本大塔を出て少し西側に進んだ鬱蒼と木々が茂った場所まで来ると『西塔』に出会う。この塔も開創当時から構想されたもので、根本大塔と一対をなすように、そびえ立っている。現在の建物は江戸時代、1834年に再建されたものである。堂内にはこちらも本尊・大日如来を中心に胎蔵界四仏(重要文化財)を配している。とても大きくてどっしりと存在感のある塔だが、ほどよく年代を感じるせいか、周囲の木々とよく調和している。個人的に僕はこの西塔が好きである。

話は塔から離れるが、この根本大塔と西塔の中間に『御影堂』というお堂が建っている。ここのご本尊は弘法大師・空海の御影(肖像画)なのだが、この御影を描いたのが空海十大弟子の一人、『真如法親王』である。この人は平城天皇の第三皇子で俗名を高丘親王という。出家後、862年、唐(中国)に渡り、さらに天竺(インド)を目指すがシンガポールあたりで消息不明となってしまった…ここまで書くと文学好きにはピンと来た人もいるだろう。そう、澁澤龍彦の晩年の歴史幻想小説『高丘親王航海記』の主人公その人なのである。

帰りの時間と相談しながらの今日の行動である。時計を見るとまだ少し余裕がある。あと、一つだけ再会しておきたい塔があった。伽藍を出て速足で目的の寺院に向かった。中央道を東に向かい千手院橋の交差点を過ぎたあたりで右折、小田原谷という地区の緩いが少し長い坂道を上り詰めると金剛三昧院という宿坊寺院に到着する。ここに国宝の『多宝塔』がある。門をくぐり拝観料を払って境内に入ると左手に小さな塔が見えてくる。1223年、鎌倉時代、源頼朝の妻、政子が源氏三代の菩提を祈り建立し臨済宗の祖、建仁寺の栄西を招いて落慶法要を行ったとされる由緒ある塔である。高野山で現存する最も古い建立物で国宝、世界遺産となっている。この日は幸運にも堂内の秘仏で重要文化財の『五智如来』が特別に御開帳となっていた。薄暗い堂内の秘仏をゆっくりと鑑賞し、お参りさせてもらった。少し離れたところから写真を撮影していると野鳥のミソサザイが屋根の下に下がる小さな鐘を出たり入ったりしている。ザックから双眼鏡を取り出して良く観察すると嘴に巣材のコケをくわえている。「こんな小さな鐘の中に営巣しているんだ、国宝の中で巣立った若鳥はさぞやりっぱになることだろう」。ここでタイム・リミット。境内を一巡し、バス停までの道を急いだ。ここからケーブルの駅に向かい、さらに南海電鉄の特急に乗り継いで帰路に着く。3泊4日。充実しきった旅となった。最後に6回の連載にお付き合いいただいたブロガーのみなさん、感謝します。画像はトップが金剛三昧院の多宝塔。下が向って左から東塔、根本大塔、西塔、金剛三昧院境内でのスナップ。