長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

267. 『クラーナハ展 -500年後の誘惑-』を観る。

2016-11-11 19:50:53 | 美術館企画展

芸術の秋真っただ中。この季節、どこの美術館も、その年度のメインの展覧会が開催されていて、どれを観に行ってよいのやら目移りしてしまう。知人の方より事前にチケットをいただいていたということもあり、9日の朝から上野の国立西洋美術館で開催されている『クラーナハ展 -500年後の誘惑- 』の会場へと向かった。

ルカス・クラーナハ(1472-1553年)と言えばアルブレヒト・デューラー等と並び、ドイツ・ルネサンスを代表する画家である。そしてエロティシズム湛えた個性的な表現の女性像を数多く描いた画家として名が知られている。しかし、日本での美術館企画展は今回が初めてとのことである。

僕は油彩画を描き始めた10代後半から20代初めの頃、西洋のルネサンス絵画にとても魅かれた時期があって、アルバイトをして小遣いを稼いでは神保町などの洋書店で画集を購入していた。イタリア・ルネサンスではアンドレア・マンテーニャやカルロ・クリヴェッリ、パオロ・ウッチェロなどがお気に入りで、北方ルネサンスでは、上記のデューラーやマティアス・グリューネヴァルトなどが特に好きだった。それからフランドル絵画のヒエロニムス・ボスやペーテル・ブリューゲルも忘れてはいけない。クラーナハはピカソやフジタが影響された画家として名前も作品も知ってはいたが、この頃は、はっきり言ってあまり好みではなかった。理由としては、数多い裸婦像のプロポーションが美しいと感じられなかったのだ。他のドイツ・ルネサンスの画家もそうなのだが、どことなくプロポーションがぎこちなく、言葉は悪いがグニャグニャとして爬虫類的に見えてたのである(クラーナハさん御免なさい)。このドイツ的なグロテスクな感覚はいったいどこからくるのだろうか。女性像はイタリアのダ・ヴィンチやボッティチェルリ、ベネチア派の画家達の作品に登場する健康的で均整のとれたものに魅かれていた。

その僕がクラーナハの作品が気になるようになったのは、20代の終わりから30代の初めぐらいにかけ自らの表現として幻想的な作風の銅版画制作を始めてからだった。この頃、幻想文学者の澁澤龍彦の著作に出会い片っ端から読み漁っていた。その中の『裸婦の中の裸婦』という西洋の絵画や彫刻の裸体画の中から好みのものを12点選び、それぞれに好みのことがらを書き綴った画文集の中で、クラーナハ(澁澤流ではクラナッハと書く)の「ウェヌスとアモル」という裸体画について「エレガントな女」というタイトルで書いているものがあった。そして対談風の文章のなかで「前略…イタリア・ルネサンスの裸体とも違うね。彼等のように、色彩の中に裸体を解き放つのではなく、線と形体の中に裸体を冷たく凝固させる。裸体をして、われわれの視線に撫でまわされるための、一個の陶器のごときオブジェと化せしめる。これがクラナッハ特有のヌードだな。16世紀の画家とは思えないほど、おそろしくモダーンな感覚の持ち主だよ」と絶賛している。澁澤氏らしいクールで品格のあるエロスの表現である。この名文に誘われたかのように、それまで意識の外にあったクラナッハを始めとしたドイツ・ルネサンスの人物像をよく観るようになっていった。

展覧会場は宮廷画家として活躍していた初期の宗教画や貴族の肖像画などの絵画から始まった。キャンバスがまだない時代、そのほとんどは菩提樹などの板にテンペラや油彩、あるいはその混合技法で描かれたものだ。こうした古い時代の絵画作品を観ていていつも思うのは「描かれた当時の絵肌が観てみたい」ということだ。500年ぐらい前の作品なので仕方がないと言えば、それまでなのだが全てが保存用のニスが何度も塗り込まれていて、表面はまるで漆のようにテラテラとしていて、なんとも特別な質感となってしまっている。絵画を制作することが多くなってきているので完成当時の絵肌や画家の筆致、息遣いを観てみたいという願望に駆られるのである。

さらに進むと版画作品がけっこう出品されている。中でもペン画と見まがうほどに下絵を忠実に再現した木版画には目を奪われた。うねるような線はこの時代のドイツの木版画の特徴で、同時代の「ドーナウ派」と呼ばれるアルトドルファーやグリーンの版画作品とも共通したものがある。きっと腕利きの彫り師と摺り師がいたのだろう。デューラーの銅版画作品なども比較対照として展示されていた。

それから今回のメイン会場ともいえる人物像、女性像の部屋に到着した。その中でも画家の代表作と言える「ルクレティア」、「ユスティティア」、「「サロメ」、「ユディト」などを主題とした作品は漆黒の暗い背景の中から浮かび上がりキラキラと輝いて見えた。まさに澁澤氏が言う所の「一個の陶器のようなオブジェ」なのであった。僕の好きな主題のルクレティアだけで3点も来ていたのは素直に嬉しかった。

そして最後の会場にはピカソの石版画や前衛芸術の中に登場するクラーナハのパロディなど近代、現代の作家作品が制作したクラーナハが展示されていたが、詳しく感想などを述べるとブログが長くなりそうなので、この辺で終了する。芸術の秋の一日。昔から恋い焦がれ、憧れていた女性にリアルで出会うことができた様な満足感を得て会場を後にした。

展覧会は年を越して2017年1月15日まで。洋画ファン、クラナーハ・ファンの方々、この機会をお見逃し無いように。画像はトップが絵画作品「泉のニンフ」、下が向って左からクラーナハ展の看板、絵画作品7点、木版画作品2点(全て展覧会図録よりの複写による部分図、タイトルは省略)、西洋美術館敷地内のロダンの彫刻「カレーの市民」。