長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

287. 古寺巡礼(六)・京都 三十三間堂

2017-04-20 18:40:29 | 旅行
3月15日。京都古寺巡礼、「聖獣・幻獣探訪の旅」2日目。京都駅前の定宿としているホテルで朝食を済ませ、荷造りチエック・アウトを済ませると急ぎ足で京都駅へと向かった。本日の取材スケジュールはなかなかハード行となる。今日は東山の三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)周辺で聖獣・幻獣を探して歩く予定だ。この周辺は「仏像ファン」にとっては「聖地」と呼ばれているようだ。仏教美術に限らず日本美術の名品にも出会えるスポットとなっている。

京都の寺院巡りはバス移動が主流のようだが、バスが苦手な僕はあくまで鉄道と徒歩移動にこだわる。JR京都駅から奈良線で東福寺駅まで南下し、ここで京阪電車に乗り換えて七条駅で下車。ここからはすべて徒歩。ただひたすら歩きます。3-4分で最初の目的地である「三十三間堂」の入り口に到着する。かなりひさしぶりの参拝となる。
僕の美術学校時代の恩師は和辻哲郎の「古寺巡礼」を愛読書としており、学生時代に僕たちゼミの生徒に「奈良、京都というのは人生の中で年代ごとに訪れるべきだ…年齢によって感じるものが変わってくるはずだ」と常々おっしゃっていた。最近この年になって寺院巡りをしているといつもこの言葉が浮かんでくるのだが、ようやくこのことが何を意味していたのか解ってきたような気がする。

国宝の三十三間堂は天台宗に属する寺院で、その歴史は平安時代後期の院政期まで遡る。もともとは広大な規模の敷地の一部であり、後白河上皇の信仰に基づくもので「蓮華王院」と呼ばれていたが、その本堂は創建当初より「三十三間堂」とも通称されていた。これはお堂の柱間の数が三十三もあるような長大な仏堂が珍しいのと、その数字によって、「観世音菩薩が三十三身に応現(変身)して衆生を救う」ということに基ずくということである。
順路に沿って進み、照明を抑えた堂内に入るとまず初めに千体の「十一面千手千眼観世音菩薩・じゅういちめんせんじゅせんげんかんぜおんぼさつ」の金色に輝く姿の圧倒的なパワーに驚嘆してしまう。しばらくぶりということもあり実に新鮮である。

インド・チベットから中国、朝鮮半島を経由して日本に伝来した「北伝の大乗仏教」ではタイやスリランカに伝わった「南伝の上座部仏教」とは異なり実に多くの仏・菩薩・天部の神々が存在する。その中で観音菩薩を崇拝する「観音菩薩信仰」はインドでもさかんであったもので、日本では「観音さま」として民間信仰となって親しまれている。
正しくは観世音菩薩、または観自在菩薩といい、その言語名は「アヴァロキテシュバラ」というが、文字通り「音(衆生の声)」を「観る(感じる)」菩薩であるから人間の苦悩する声を素早く察知し、その名号を唱えることにより救いの手を差し伸べてくれるという。さらに仏典によると菩薩というのは本来は悟りを得ていて仏界に上れるのだが人々を救うために地上に残っているのだというスーパーマンやウルトラマンのような存在なのである。
そして「三十三に応現する」というのは、いろんな人間の姿に変身して地上に待機していると説かれているのだ。ある時は国王であり、ある時は僧侶であり。ある時は長者であり、ある時は道行く普通の男女だったりする。つまり、あの人も観音様、この人も観音様、あなたも観音様というわけであるので地上に遍満しているということになる。

そういう、思想を知ってこの千体仏を改めて見直すと、なるほどとうなずける。そして千体の観世音菩薩がたくさんの顔と手を持ち、その手には一眼を有しているのだから、たいへんなパワー、無限の救いがあるということになるのである。平安当時の戦や飢饉、疫病が流行する中で、人々がどれだけ観世音菩薩に救いを求めたのかが伝わってくるのである。

お堂の端から端までゆっくりと移動しながら参拝者に並んで観て行ったのだが、千体物の最前列に間隔を置いてお祀りされている「二十八部衆」と「風神・雷神像」に目が留まった。鎌倉中期の作でいずれも桧材の寄木造りで表面が彩色され玉眼が入っている素晴らしいリアリズム彫像である。元々、二十八部衆は仏教以前の古代インドの神々であったが、仏説を聴くことを喜び仏教の信者を守護するようになったとされている。
一体一体を説明していくとたいへん長くなってしまう。その中の僕がもっとも好きな像である「迦楼羅王・かるらおう」の像が含まれていた。鳥頭人身で有翼の夜叉に表現される八部衆の一。横笛を吹き、右脚で拍子をとる音楽神として表されることが多い。
元々は古代インドのコブラを常食とする「金翅鳥・こんしちょう」とされ、これがガルダ神となり、迦楼羅王となる。中国を通して日本に伝来されると雅楽の舞踏にも登場し、それがカラスとなる。ガルダ~カルラ~カラスという変容である。バリに渡ると霊長ガルーダ(ガルーダ航空のシンボル)となり、こちらでも舞踏に登場する。また「カラステング」の祖先とも言われている。

結局、一度ではぜんぜん観足りなくて、お堂を2往復してしまった。ここまででもすごい密度である。このまま帰宅しても良いぐらいなのだが、このエリア、まだまだ先が長い。入り口を出てお堂の周囲を一周してから午後一時過ぎ、次の寺院へと歩き始めた。
画像はトップが「迦楼羅王」像、下が向かって左から同じく迦楼羅王像、風神・雷神像、十一面千手千眼観世音菩薩、お堂の中尊、千手観音菩薩坐像(国宝)以上、寺院解説書より転載。三十三間堂の屋根と外観。