長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

427.母校の美術学校の卒業・修了制作展を観る。

2021-03-09 18:05:28 | カルチャー・学校
昨日、コロナ禍で緊急事態宣言が発出されている東京に母校である美術学校の『2020年度 創形美術学校 卒業卒業・修了制作展』を観に行くために出かけた。

正午過ぎから千葉の工房を出発、久々の東京なので途中、買い物などを済ませながら母校のある東京池袋に到着したのは午後14:00過ぎだった。2階の受付カウンターに行くと「先生、観に来てくださったのですね!」と声をかけてくれたのは、この学校で担当している僕の銅版画の実習を受講したことがある中国からの留学生の女子だった。マスク越しに嬉しそうな表情が想像できる。少し話をしてサインを済ませると展覧会の図録を渡してくれた。「どうぞ、9階のフロアから観て降りて行ってください」。流暢な日本語でエスコートしてくれた。

指示に従いエレベーターで9階まで移動、縦に細長い校舎の展覧会会場を上から順番に観て行く。この美術学校は専門学校で本科が3年生、研究科が1年生となっていて、大きく分けてファイン・アート科(絵画・版画専攻)とビジュアル・デザイン科(イラストレーション・絵本・グラフィックデザイン・アニメーション&コミック専攻)とに専門が分かれている。
この日は雨天で午後遅い時間帯ということもあり会場に来場者は少なかった。最初の9階のフロアでまた女子学生に声をかけられた。今年卒業したが、コロナの影響でまだ就職が決まっていないと言っていた。母親と一緒に展覧会を観に来ていた。お母さんも心配そうである。

9階から5階ぐらいまでだったろうか?順番に学生たちが1年間、情熱を向けて制作した作品の数々を観て行った。大作、力作が多く、作品からは若いエネルギーをビンビンと感じ取ることができる。自分が実習を担当している版画作品も丁寧に観ていく。時間をかけて歩き回ったせいか心地よい疲れが出る。空いている会場で休憩用の椅子に座ってボ~ッと壁面の絵画を眺めていた時、37年前の3月の頃がおぼろげながら思い出されてきた。そお、自分の卒業制作展である。あの頃はがむしゃらに銅版画を制作していた。作品提出のギリギリまで無我夢中で銅板を削ったり引っかいたり、印刷用のインクで真っ黒にまみれてただひたすら、がむしゃらに制作した。当時、校外展は銀座の広いギャラリーを借りて開催されていて、自分と同級生の無事に額装され展示された作品が並んだ時には無性に嬉しかったことを思い出した。あれから随分時間が経ってしまったが、何か大切なことを忘れて来たような気持ちにもなった。年齢のせいなのかなぁ…。

けっこう丁寧に観て歩いたのでいつの間にか学校の終了時間となっていた。この後、もう一つ絵画実習の指導に行っているA美術学院でお世話になっている助手のK君が阿佐ヶ谷のギャラリーでちょうど個展を開いているので、そちらに移動した。場所はJR。阿佐ヶ谷駅の高架下にできたオシャレな商店街の中。閉廊近くに滑り込む。
たまたま本人もいて作品を前に話をすることができた。抽象的な絵画作品だが基底材にキャンバスの他、ビニールやアクリル板等に絵具で描かれている。そう言えば先ほど観てきた母校の絵画専攻の卒業制作作品にも同じような材質に描かれた抽象作品が何点か観られた。今の若い世代の共通な感覚なのだろうか?このことをK君に問いかけると「そーですか?特別意識はしていませんけど」という答えが返ってきた。同時代的な素材への感性であり同時発生的に無意識のうちに選んでいるのかも知れないと思った。

卒業制作と卒業したばかりの若いアーティストの作品に一日中触れたことで何とも形容することができない充実感が体中に蓄積された。小雨が降る中、体の中は少しほてりながら帰路に着いたのだった。