そう。私はものが捨てられない。昔から、捨てるのが本当に下手な人間である。
昔から、母親にこんなもの溜め込んで、とよく怒られた。
他人から見ればただのガラクタでも、ただの貝殻や石ころでも、本人にとっては想像力を掻き立てる魔法の石だったり、したわけである。
思い出の品ー自分が足を運んだ芝居や映画、催しのチケットやパンフはもちろん、
仕事の資料一式(もう使うことはないであろうものも含め)
面白いと思った記事、チラシ、本、ビデオ、雑誌等…、
どんどん荷物が増えていく。
特に贈り物は、たとえ自分が使わなくても、手放すことに非常に罪悪感を感じてしまってなかなかできない。
よくこれで、何度も引っ越しをしているものだと思う。
思い返してみると、生れてから、13回もの引っ越しをしているのである!
引っ越す時は、前の部屋より広い部屋になる、のは必然なのだが、その部屋にもどんどん本やものが増えていく…。
古本屋などに立ち寄って、興味のある本や、明治~昭和初期の文化、芸術、風俗に関する本などを見ると、思わず買ってしまうのだから、しょうがない。
先日。
たまたま、ベストセラー「捨てる技術」の著者辰己渚さんのトークショーに行く機会があった。
だいたい、「必要なモノ」は最初から捨てるかどうかの選択肢に入れられることはない。
「不必要なもの」はゴミとしてさっさと捨てられる。
「必要になるかもしれないモノ」「捨てるに偲びない、気がするモノ」、このグレーゾーンのモノたちが、部屋の多くを占拠していたりするわけでやっかいなのであるが、
実際、これらのモノはほとんど必要にされることなく場所をとっているもので、捨てて後悔することはほとんどないのだと彼女はいう。
彼女曰く、
「自分が必要でなくとも他人にとって有用なものは、あげたり、リサイクルしたりすればいいし、誰にも必要にされないものは思いきって捨てる。
その捨てる時の「痛み」を知ると、逆に本当に「モノを大切にする」ことができるようになる。
大事にできないものを買ったりもらったりすることは、そのものに対しても申し訳ないこと」
これはすべてのことに通じている。
すべてを抱え込むことがものを大切にすることではない。
必要なもの不必要なものを取捨選択することで、選択したものを大事にしていける。
そう、思う。
そして、とってもインパクトがあったのは、
「古いものを捨てなければ、新しいものは入ってこない」という風水からの言葉。
スペースが、キャパシティが、限られているのだから、これはもっともである。
目に見えるモノも、見えないモノも。
時間も、頭の中、心の中、人間関係も、もしかしたら多分にその傾向があるのかもしれない。
当たり前だけど、どれも難しい…。
ちなみに、彼女は、本の執筆をしながら、マーケティングの仕事もこなし、二人の子育て、家事も行うスーパーウーマン。
日本画家の旦那様と子どもさんと一緒に、今年の夏のフィルムセンターでの活弁公演に来てくれていたと聞き、びっくり。
旦那様が6月の茅ヶ崎館公演に来てくれたのがきっかけだったらしく、「ぜひ子どもにも見せたい」と。これは光栄の一言だった。
…こんなことを書いているのも、
「思いきって必要ないものは捨てよう!」と思い立ったはいいけれど、行き詰まったからに他ならない。
彼女の境地に達するのは、いつのことやら。
昔から、母親にこんなもの溜め込んで、とよく怒られた。
他人から見ればただのガラクタでも、ただの貝殻や石ころでも、本人にとっては想像力を掻き立てる魔法の石だったり、したわけである。
思い出の品ー自分が足を運んだ芝居や映画、催しのチケットやパンフはもちろん、
仕事の資料一式(もう使うことはないであろうものも含め)
面白いと思った記事、チラシ、本、ビデオ、雑誌等…、
どんどん荷物が増えていく。
特に贈り物は、たとえ自分が使わなくても、手放すことに非常に罪悪感を感じてしまってなかなかできない。
よくこれで、何度も引っ越しをしているものだと思う。
思い返してみると、生れてから、13回もの引っ越しをしているのである!
引っ越す時は、前の部屋より広い部屋になる、のは必然なのだが、その部屋にもどんどん本やものが増えていく…。
古本屋などに立ち寄って、興味のある本や、明治~昭和初期の文化、芸術、風俗に関する本などを見ると、思わず買ってしまうのだから、しょうがない。
先日。
たまたま、ベストセラー「捨てる技術」の著者辰己渚さんのトークショーに行く機会があった。
だいたい、「必要なモノ」は最初から捨てるかどうかの選択肢に入れられることはない。
「不必要なもの」はゴミとしてさっさと捨てられる。
「必要になるかもしれないモノ」「捨てるに偲びない、気がするモノ」、このグレーゾーンのモノたちが、部屋の多くを占拠していたりするわけでやっかいなのであるが、
実際、これらのモノはほとんど必要にされることなく場所をとっているもので、捨てて後悔することはほとんどないのだと彼女はいう。
彼女曰く、
「自分が必要でなくとも他人にとって有用なものは、あげたり、リサイクルしたりすればいいし、誰にも必要にされないものは思いきって捨てる。
その捨てる時の「痛み」を知ると、逆に本当に「モノを大切にする」ことができるようになる。
大事にできないものを買ったりもらったりすることは、そのものに対しても申し訳ないこと」
これはすべてのことに通じている。
すべてを抱え込むことがものを大切にすることではない。
必要なもの不必要なものを取捨選択することで、選択したものを大事にしていける。
そう、思う。
そして、とってもインパクトがあったのは、
「古いものを捨てなければ、新しいものは入ってこない」という風水からの言葉。
スペースが、キャパシティが、限られているのだから、これはもっともである。
目に見えるモノも、見えないモノも。
時間も、頭の中、心の中、人間関係も、もしかしたら多分にその傾向があるのかもしれない。
当たり前だけど、どれも難しい…。
ちなみに、彼女は、本の執筆をしながら、マーケティングの仕事もこなし、二人の子育て、家事も行うスーパーウーマン。
日本画家の旦那様と子どもさんと一緒に、今年の夏のフィルムセンターでの活弁公演に来てくれていたと聞き、びっくり。
旦那様が6月の茅ヶ崎館公演に来てくれたのがきっかけだったらしく、「ぜひ子どもにも見せたい」と。これは光栄の一言だった。
…こんなことを書いているのも、
「思いきって必要ないものは捨てよう!」と思い立ったはいいけれど、行き詰まったからに他ならない。
彼女の境地に達するのは、いつのことやら。
読まない本、小学生の頃の参考書、プラモデル、その箱、壊れた物…
処分しなければとは思っていますが、なかなか…
プラモデルは飾ってはいます
佐々木さんは片付けられそうですか?
こちらもなかなか一筋縄ではいきません。
整理しなおそうなんてひっくり返したとたんに、ワンダーランド行き。
片っ端から手に取った本やノートなどを斜め読みしてしまいます。
プラモデル、といえば、多趣味な大学時代の悪友がめちゃくちゃプラモデルや本や漫画を持っていて、所狭しと飾られていたなあ。
もしやあなたは…