白井佳夫先生が10月に急逝され本当に寂しいですが、年明けに先生のご自宅にご焼香に伺わせていただきました。
毎月バッカス活弁公演の解説撮影をさせていただいていた書斎のデスクが祭壇になっており、
親指を立ててカメラ目線で決めた遺影がデスクの上から山積みの映画の本に囲まれていて、
まだそこに白井先生がいらっしゃって映画の思い出話を語って下さるような気がしてなりませんでした。
奥様や真木さんにも若い頃のお話など伺い、ご家族の存在あって仕事に邁進できたことをしみじみ感じました。
昨年11月21日に、先生が代表呼びかけ人として携わってこられた「阿佐谷市民講座」に伺いました。
当初は「兄とその妹」(松竹1941年)の講演の予定でしたが、先生の急逝で「白井佳夫さん追悼」企画となり、白井先生がレポートされた「尾崎ゾルゲ事件ーいまそれを考える」(1991年)と「無法松は二度切られたー戦中・戦後検閲と伊丹万作」(1990年NHK「現代ジャーナル」放送)の収録テープの一部を皆で観ながら、先生を振り返る機会となっていました。
私は過去2回ほどしか伺ったことがありませんでしたし、ほとんどの方を存じませんでしたが、往年の同志たちがたくさん集い、思い出話尽きない様子と、先生のリポート姿に、なんだか奮い立つ思いでした。
先生は映画を評論するだけでなく、映画という媒体を通して、社会と対峙し、人権を守り、権力や不正に対抗し、社会をよくしたいと闘った運動家だったのだとしみじみ思いました。
毎回、本当に高円寺バッカスでの活弁シネマライブを楽しみにいらして下さり、アフタートークでの先生の感想や気づきが私たちにとってありがたい言葉の贈り物でした。
先生に頂いた薫陶を胸に、活弁と映画文化を盛り上げていける自分でありたいと思いますし、
映画を通して、社会を、時代を、歴史を見つめ、ほんの少しでも温かく生きやすい世界に寄与できたらと、微力ながら白井先生の遺影に誓ってきました。
12月に発売のキネ旬1月号には白井佳夫先生の追悼ページも。
東京芸大の白井佳夫先生の講座「日本の黒白古典映画」で一緒だった内藤和之さんが
「キネマ旬報」以降の活動について寄稿、バッカスでの活弁シネマライブ解説を最後まで務めて下さっていたことにも
触れてくれています
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます