その昔、貧乏学生であったその頃は、自宅から弘前の下宿まで、少し贅沢をして早く着いても18時間ほど、ふだん普通に行けば丸24時間近く要した。新幹線を利用するなんてことは贅沢の極みであった。また、上野駅から夜行急行列車の自由席に乗るため、確実に座れるように最低2時間は上野駅では並ばねばならなかった。
そんな昔話をすれば、若者の多くは単に「??!?」といったところだろう。新青森まで新幹線が延びたことで、今弘前の下宿まで行こうと思えば8~9時間ぐらいで着くだろう。およそ三分の一の時間で済む。なにせ、上野・青森が約11時間半を要したが、今は3時間半程度だ。
今日、久しぶりに西川リビングの本社に行った。もちろん新幹線だ。その帰り、京都から【たぶん】「軍事アナリスト 小川和久氏」が隣の席に座った。初めは似てるな、という程度だった。だが、席に着くとノートパソコンを開きtwitterを始めた。見てはいけないと思いつつチラッと見てしまった。どうも本人のようだった(間違っているかも、その時はゴメン)。
彼はもちろん横浜へ帰るのだろう。 jijiは名古屋で降り名鉄に乗り換えた。新幹線の中は、ノートパソコンを開く人が多かったが、名鉄電車の中の周りにいなかった。携帯かゲーム機で遊んでいる方が全てといっても過言ではなかった。
車内の景色は昔と今では全く違う。昔は新聞や週刊誌を読むのが関の山であり、あとは眠るだけであった。ちょっとナウイ人でイヤホンでラジオを聞く程度であった。今では無線LANによってノートパソコンでネットサーフィンが可能となった。
当時はまだ、ディーゼル特急だったと思う
学生時代一度だけ大阪発青森行きの昼間特急「白鳥号」グリーン車に乗って弘前に帰ったことがあった。実家のふとん屋が忙しく、休みギリギリまで手伝い、弘前に着くや否や必須の授業(試験だったか?)に出席しなければならなかったので、貯めていた小遣いで乗ったことがあった。乗りこむとjijiの席にコートを頭から被って寝ている野郎がいた。空かさず連れがjijiに近づき席を代わってくれと言ってきた。体調が悪い人なんだろうと思い、違う席に座った。敦賀の駅を過ぎた頃だろうか、食堂車のウェイトレスが何枚かの皿を持って来た。その皿に何とjijiの席に寝ていた野郎がサインをしているではないか。何者だ?誰あろう「五木ひろし」さんであった。彼らは福井で降りた。
新幹線と特急を乗り継いでも下宿まで18時間以上は優に掛かった。そのスピードは今から思えばのんびりしたものだったということだ。
何が言いたいか?って。・・・・・・・・年を取ったということだ。今年もあと20日と少し・・・・・・。