井上もやしの日常

ほぼ「つぶやきの墓場」となっております。ブログやSNSが多様化して,ついていけないのでございます。

2月3~5日のこと

2012-02-07 00:06:51 | Weblog
 2月3日の東京都小金井市での研修会参加が決まったときに、行きたい場所がありました。少年時代にBCLやアマチュア無線をかじってきたので、小金井市と聞けば、反射的にJJYを想起します。JJYは、当時は郵政省管轄で、標準電波で日本標準時を発信する特別な放送局でした。時報代わりに、そしてラジオの周波数校正に利用していました。現在は独立行政法人・情報通信研究機構の一部ですが、今でもあちらこちらに普及した電波時計に制御信号送る大元締めの役割を担っています。

 地図を見たら、午後から研修会が開かれる施設から西へ向かって徒歩10分ぐらいなので、早めに行って一般に公開している展示室を覗いてみることにしました。光通信などの今時な展示物に混じって、存在感をアピールしていたのがかつて使われていた原子時計です。

これで日本標準時を作り出して、JJYで流していたのですね、しみじみ。午後0時半ぐらいに訪れたのですが、見学者は私一人だけでした…。

 研修会が終わってからは中央線に乗り、後楽園ホールへ。この日は全日本プロレスの「2012エキサイトシリーズ」開幕戦が行われていて、メインは秋山準vs大森隆男でした。

秋山が頭を丸めていたので、ぱっと見には「ジョー樋口vs610時代の武藤敬司」(←ご近所のプロレスファンによーく聞いてください。)みたいな感じです。それにしても、全日に新日系のゼロワン崩れが来ていたり、大日本プロレスやノアの選手が参入していたりと、馬場さん時代の純血プロレスを知る者からすると、余りにも大きい時の流れを感じます。最後は、新宿のビジネスホテルで就寝です。

 翌4日は特に予定がなかったため、JR都区内パス\740を購入して、今まで行ったことのないところをあてなく歩きました。小岩の駅ビルでコーヒーを飲んで、秋葉原のMADやあきばお~を覗いて(最近は物欲が乏しく、本当に覗いただけでした。)、水道橋のルノワールで新聞を読みました。次に向かったのが、中野ブロードウェイ。アキバ以上の趣味の世界と聞いていたので、ここも期待感を持ち、覗いてみました。建物の3・4階(特に4階)がマニアックな店ばっかりで驚きました。フィギュアやコミック、鉄道模型、オーディオ、ボードゲーム、LP・LDの店などなど好きな人にはたまらない店舗ばかりでした。趣味が違う人と一緒に行ったら喧嘩しそうです。その後は、後楽園ホールで17:45開始の「第498回ダイナミックグローブ」です。そう、ボクシングです。前日の全日プロレスを見た時に、ホールのチケットガイドを見たら、まだ販売中なのが分かり、「後楽園ホールはプロレスファンの聖地だけでなく、ボクシングファン、笑点ファンの聖地でもあるんだよな。」と思い、初プロボクシング観戦です。全7試合で、メインが日本ミドル級王座決定戦となるカルロス・リナレスvs湯場忠志です。挑戦者・湯場はベテラン35歳で4階級制覇が掛かっていて、チャンピオン・リナレスの速いパンチにぐいぐい攻め込んでいきました。

観客の多くは湯場を応援していて、結果はR7で湯場のノックアウト勝ちでした! 最後は新宿のビジネスホテルで就寝。

 5日は横浜日産ギャラリーで開催される「あべ博」へ向かいました。開場30分前の午前10時には着いたのですが、会場より1階高いところにある入り口前に人がごちゃごちゃ。午前中の公開収録組と一般観覧者の組で長い列が出来ていました。スタッフはあべ博の資料が入った袋を訪れる人々に次々と配っていました。開会の午前10時半になるとエスカレーターで下にある会場へ進み、一般観覧者はメインステージへ集まり、午前11時半開始の「安部礼司プロデュース公開収録」当選者は整理番号順の列に並びました。

兎に角、人がごちゃごちゃしていたことと、ラジオドラマは番組のイメージが大事だから出演者を絶対撮影しないようにと言われ続けたことが印象に残りました。ラジオ番組のファンがキャラクターに親近感を持って万単位で集結するのは今時珍しいと思いました。ま、私が小学生の頃には「あしたのジョー」に登場した力石徹の葬式が実際に行われましたけどね(古!)。

 撮影の件は肖像権とかパブリシティ権とかではなく、あくまでも番組のイメージ戦略ということでファンは理解していました。しかし、今日、検索すると、マイナビニュース(←そのうち、リンク切れするかも。)で出演者の顔が堂々と「報道」されていたので、なんだかなぁです。会場にはお土産売り場、大日本ジェネラル商品開発本部オフィス再現ブース、放送300回の年表などなどファンには嬉しい展示ばかりです。

あちらこちらに列が出来て、「最後尾」のプラカードを持つスタッフがいましたが、一体何の列なのか分からない状況でした(苦笑)。会場を歩いているときに、偶然刈谷さんとスーザンヌちゃん、姫ちゃん(可愛い!)と遭遇して握手してもらいました。刈谷さんの手が一番しっとり柔らかでした(笑)。それから、番組出演者が会場内で名刺を配っていましたが、大場ケイコさんは、長い列が出来ていた他の出演者と違って、日産関連の展示場やあべ博会場などを自らあちこち歩き回って名刺配りしていました。私はケイコさんから2ヵ所で名刺をもらいました。

 午後1時が過ぎると、サブステージの前に、刈谷さんプロデュースの公開収録当選者の列が出来始まりました。私は200番台の後ろのほうにいました。指示に従って並び、ホール内に移動し、午後2時半からの刈谷さんのステージを待ちます。始まってしまうと、あっという間でした。刈谷さんの歌とダンス、安部礼司と飯野ッスくんの恋愛トラウマ再現、2月12日放送作品の収録などがあり、最後には渡辺美里姉さんが登場して「マイ・レボリューション」を歌ったものだから会場は大盛り上がりでした! ホールを出るときには出口に名刺を配る刈谷さんがいるので混雑しないように、次のステージがある刈谷さんがそれに遅れないようにと、客席をAからFのブロックに分けて出していきました。哀しいことに私が座ったのは一番最後に退場するAブロックでした。本当は刈谷さんに「震災緊急生特番で勇気をもらえました。ありがトゥーございます!」と言うつもりでしたが、刈谷さんに近づいた段階でスタッフに背中を押されて名刺をもらっただけでところてんみたいに流されました(汗)。

 この頃にはお土産コーナーの人の列が短くなったので、行ってみました。でも、トートバッグや手ぬぐい、ボールペンなどの手頃な安めの物は売り切れていて、Tシャツと金環食サングラス(安部礼司と日食って…。なぜ?)くらいしかありませんでしたので、何も買わずに、「明日は普通出勤だからそろそろ帰るべえ。」と京浜東北線に乗り込みました。本当に熱い会場でした。