井上もやしの日常

ほぼ「つぶやきの墓場」となっております。ブログやSNSが多様化して,ついていけないのでございます。

ハムフェア2011

2011-08-28 22:44:39 | Weblog
 イノキゲノムのついでです。

 有明の東京ビッグサイトで行われていたアマチュア無線の祭典(!)「ハムフェア2011」も覗きに行ってきました。両国のビジネスホテルを出て、午前11時前に会場に入りました。髪が薄くなったり、腹が少し出たりのリュック背負ったオヤジハムがりんかい線やゆりかもめから次々と吐き出されていました。人の流れを見ると、20代半ばくらいのキャリーバッグを引いた小ぎれいな若い女性もかなりの数います。彼女らはどこへ向かうのかと見ていたら、ビッグサイト西で開催されている「コミック・シティー」というところへ向かっていました。マンガ同人誌の売買をしていたようです、よく分からない世界だけど(お互い様かぁ…)。

 ハムフェア会場のイベントコーナーの進行表を見ると、午前11時から日本音響研究所所長の鈴木松美さんがトークショーを行うとなっていました。鈴木所長はフジ「アンビリバボー」などに時々出て「幽霊の声」のようなものを科学的に分析している人です。グリコ森永事件やアキノ氏暗殺事件なども音響的に分析し、犯人像を絞った人です。私も50歳になっているので、歩き続けたり立ち続けたりするのが相当辛くなり、椅子に座って話を聞くのもいいなと聞くことにしました。「声紋」という言葉は鈴木所長が作った言葉であること、技術的な方面へ進みきっかけはアマチュア無線だったこと、小学生の頃からラジオやワイヤレスマイクを組み立てていたこと、アンドロイド携帯で無線機を操作して海外でも波を出していることなど、興味深い話が聞けました。鈴木所長がアマチュア無線家だったことは初耳でした。ハムフェアのパンフレットでは、この時間帯は「電子申請のすすめ」としか載っていなかったので、鈴木所長に決まったのは急なことだったのかも知れません。最後に質問コーナーがあって、私も幼児・小学生の英語教育に対しての音響学・音声学の立場からのご意見をくださいと聞きました。え、無線に関係ないって? 前の人も「モンゴルのホーミー」について質問していたから、ま、こういうのもいいかなと思って。さっきの鈴木所長の答えは「日本語の音声よりも英語の音声はずっと周波数が高いから小さいうちからネイティブの音声をどんどん聞かせなさい。」でした。

 アマチュア無線に関して、私は本当に開店休業状態です。車には430&144MHzのハンディー機を載っけてはいますが、ラジオやテレビがつまらないときにワッチしているだけです。それで、次に即売コーナーやクラブブースへも行きましたが、何も買わずに総滞在時間1.5時間くらいで東京駅へ向かいました。

 コンパニオンのお姉さんは去年と同じくKENWOODの製品案内ブースだけでした。寂しいなぁ。

 

イノキゲノム

2011-08-28 22:21:04 | Weblog
 自宅に戻ってきて、パソコンで打ち込んでいます。

「イノキゲノム~スーパースターフェスティバル2011~」は震災復興イベントとして27日の午後4時過ぎから約4時間強行われました。ライバルである日本武道館の「ALL TOGETHER」は選手層が厚いからタッグマッチやバトルロイヤルが行われたようですが、両国国技館はシングルマッチのみでした。週刊プロレスを毎週買っているものの、カラーグラビアをぱらぱら見る程度で熱心な読者ではないので、現在の状況を把握できていません。だから、かつてのK-1選手(ピーター・アーツ、レイ・セフォー、ジェロム・レ・バンナ)が総合格闘技という形でイノキゲノムのイベントに参戦していたのには新鮮な驚きを感じました。

 確かに日本武道館と比べると、準備期間が短いし、名前が知られた選手は少ないし、イノキゲノムのほうは集客が悪かったように思います。枡席・アリーナ席は正面はほぼ満員状態に近かったようでも、向かい・東・西は空席が結構目立っていて、特に2階席はぱらぱらでした。招待された被災者1,000人(←あるエリアだけお揃いの赤い闘魂タオルを首に掛けているので、すぐ分かります。)は正面席に固められて座っていたので窮屈そうでした。

 でも、内容的には面白かったです。猪木会長の切腹パフォーマンス(←ジョシュ・バーネットが契約問題で欠場したことへの責任を取っての)や打撃系VS組み技系の試合は非常に刺激的でした。

 8時20分頃に国技館を出たら、隅田川花火大会が佳境に入るところでした。

両国国技館

2011-08-27 14:59:47 | Weblog
弁当と赤い闘魂タオルを持った人々が次々にバスから降りて来て、国技館の入口に並びます。きっと、彼らが被災地からの招待客なのでしょう。幼児やご老人もいて、統一感のない集団です…。

イノキゲノム両国大会にやってきました! 本当は日本武道館で開かれる新日プロレス・全日本・ノア共同興行の「ALL TOGETHER」に行きたかったのですが、こちらは15,000円のアリーナ席しか残っていなくて、各種座席が残っていたイノキゲノムにしました。2階指定席7,000円です。

震災復興の武道館大会と同日に試合をぶつけてくるとは流石猪木さんです。一説によるとは、武道館大会のまとめ役である東京スポーツの猪木さんへの呼び掛けが後回しになったためとか。両国は隅田川で花火大会があるようで、出店が立ったり、浴衣姿の人がいたりと、混雑し始めています。とんでもない日に興行戦争を仕掛けたようです。
ヾ(^_^;

また震度4かよ!

2011-08-19 15:19:46 | Weblog
今日は休み。午前11時頃から久々にトレーニングジムで2時間半ばかり体を動かし、午後2時過ぎに宮脇書店を向かいました。面白そうな本を物色していたら、突然、床がゴゴゴゴと鳴りだし、店員さんに外に出されました。本棚が倒れるような事態にはなりませんでしたが、予告もなく、こちらの生活に入って来るので困ります。近頃、余震が多いように感じます。画像は書店の外に出されたお客さんたちです。

(-"-;)

北海道 ~福島市民夕張移住計画~

2011-08-14 01:03:36 | Weblog
 大学院生の長男は研究室の手伝いや就職活動で、大学1年生の二男は自動車学校に通っているので、夏休み中とは言え、まだまだ我が家へ帰省しません。子どもたちが小学生の頃には夏休みの家族旅行を時々していましたが、中学生以上になると部活動があったり、受験のための補習や夏季講習会あったりするので、ここ10年くらいは泊を伴う旅行らしい旅行をしていませんでした。子どもたちが家から離れている状況となったので、久々の旅行です。妻と母と私の3人での北海道行きです。

 8日早朝に仙台空港を発ち、8日支笏湖・洞爺湖・有珠山、9日神威岬(積丹半島)・小樽運河、10日夕張石炭博物館・札幌テレビ塔、11日富良野「北の国から」ロケ地・ファーム富田、12日札幌白い恋人パーク、苫小牧ノーザンホースパークなどを見てきました。北海道は都市が点在しているのでレンタカーで移動しました。新千歳空港近くで車を借り、4日後に返したときには走行距離が1,000kmを少し越えていました。

 大半の場所は子どもたちと共に昔々に訪れていましたので、今回初めて行った夕張市が一番の注目場所でした。それというのは、「福島市民29万人が低濃度放射線のために避難するとすれば、夕張市しかない。」という噂が春からまことしやかに流れています。本気とも冗談とも判断がつきませんが、いろいろな場所でこの噂を聞きます。

 10日は泊まっていた小樽のホテルから道央道・道東道と車で1時間ほど進み、夕張ICから25分ほどで夕張の市街地に着きました。

 その前にちょっと寄ったのが、画像の「幸福の黄色いハンカチ」ロケ地です。切符もぎりのおばちゃんは「実際に人が住んでいた炭鉱住宅をそのまま撮影に使ったんです。当時、この辺は炭鉱住宅が沢山沢山ありました。」と言っていました。そこを見てから、繁華街へ進みました。大型の映画看板と吹き流し提灯が掲げられた商店街ははっきり言って人が通っていませんでした。市役所も見付けましたが、最初、銀行(北洋銀行)の看板が目立つので、銀行の建物かなと思ってしまいました。夕張メロンの看板を掲げながらも、シャッターが閉じたままの商店も多く、確かに財政再建中ということを感じさせます。石炭博物館は、福島県いわき市にある同様の施設である石炭化石館(常磐炭鉱と首長竜関連の展示。現・ほるる)よりも規模が大きく、ヘルメットをかぶっての模擬坑道歩きが面白かったです。石炭とメロンと映画が夕張を支えてきた基盤であることを強く印象づけていますが、移住するかも知れない福島市民の観点で書きます。炭鉱住宅に代わって建てられたであろうアパートが各所にあり、それが結構空いているようなのです。部屋ががらんとしていたり、洗濯物が干してなかったりで、かなりの部屋が空いていると感じました。それに、小中学校の統廃合が進み、まだまだ使えそうなのに廃校になっている学校をいくつか見ました。29万人は無理でも、その4分の1くらいなら移住できそうです。問題は職場探しですね。サングリン太陽園夕張店や田中義剛の花畑牧場夕張店などで雇ってもらうか、収益率の高くて夕張の気候に適した農作物を栽培する道しかないようです。

Grundig G6 Aviatorを購入

2011-08-07 12:56:44 | Weblog
 久々にラジオを購入しました。6年ほど前にソニー製ICF-SW7600GRを買ったベストカカクさんのウェブページを見ていたら、宇宙飛行士バズ・オルドリン・エディションのポケットラジオ(\9,980)が販売されていました。オルドリンさんと言えば、月面に第1歩を踏み降ろしたアポロ11号のアームストロング船長と共に月面を歩き回った人で、当時小学生だった私たちの英雄です。ちなみに月着陸船に乗らずに司令船に残っていたのがコリンズさんです。彼ら3人に日本政府が文化勲章を与える際にちょっとした論争になったのも記憶しています。でも、何故に宇宙飛行士がラジオなのかという疑問が残ります。「個別指導塾のトライ」をAKB48メンバーが宣伝しているみたいな違和感です。

 Grundigは元々ドイツの家電メーカーで、そのブランドで携帯電話小物や災害グッズ等を販売している米イートン社が売っているという形です。もちろん中の人は、「Made in China」ですけど。ベストカカクさんに送金すると、2日後には製品が届きました。ベストカカクさんの事務所は千代田区鍛冶町になっていますが、製品は兵庫県の佐川急便須磨店から配送されました。あれ?と思いましたが、到着が早いから別に気にしません。

 画像ではG6をCD-ROMと並べてみました。想像以上に小さいです。単3電池を2つ入れて電源スイッチをONに。説明書を見なくても直感的に操作が大体分かります。右上のダイヤルをぐるぐる回して選局できるので、設定を変えたりする以外は面倒がなさそうです。その後、3か国語で書かれた説明書のトップバッター英文説明(残りは仏語とスペイン語かな?)を見ました。これが全く役に立ちません…。機能別に羅列して書いてあるので、買ってまず最初にどうしたらいいのかが分かりません。普通、説明書って電池を入れるとか、周波数を合わせるとか、音量を加減するとか、すぐに行うことから書いてありますよね。パソコンやデジカメでは「ファースト・ステップ・マニュアル」等の薄っぺらな説明書が付いているはずだし。G6は電池の種類や電池の液漏れ防止、本機を使っての内部充電池への充電の仕方、海外向けの周波数帯変更・ステップ変更みたいな馴れてきたら必要なことが先に書かれていて、とほほな説明書です。笑ってしまったのが、「短波やSSBについては地元の図書館やインターネットで調べてください。」って書いてあったことです。普通、日本の説明書だったら、全体像がイラストで載っていて、そこにあるボタンやつまみ、表示窓一つ一つに簡単な説明があるはずですが、そんな配慮もないので、説明書にあるボタン類の名称とその位置が結び付かなかったので、しばらく困りました。それから、タイマー設定の際に「月火水木金土日」の曜日を「1234567」という数字で表すのにびっくり仰天でした。

 でも、いじっているうちに、ダイヤルと数字キー長押しをしていけば、各種設定ができることが分かり、可愛い名器と感じています。感度的には並な受信機ですけど、旅行や散歩の際にポケットに忍ばせるのには最適です。

 ただ、音質の悪さには閉口しました。小型スピーカーなので、深い低音や突き抜ける高音は期待はしていませんでしたが、音量18~22(音量の最高表示は31です)くらいの表示で、音がかなりビリビリした音を伴います。今までに持っていたラジオでは聞いたことのないビリビリ音です。放送の無音部分ではビビリ音は出ませんが、音の立ち上がりや大きめのレベルのところではビリビリした音が出ます。最初は内部調整の問題かなと思いましたが、ステレオイヤフォンを接続して、それで聞いてみるとこれが素敵な音質です。どうやら本体スピーカーのコーン部に障害物でもあるようです。

 この件をベストカカクさんに連絡すると、「交換するので、本体のみを運賃先払いで千代田区の事務所に送ってください。」とメールが来て、昨日、クロネコ宅急便で送ったところです。ベストカカクさんはアフターサービスもちゃんとやってくれそうです。


PS
 8月13日に新しいG6が届きました。今回も兵庫県の佐川急便須磨支店からの出荷でした。千代田区鍛冶町の事務所はオフィス代行業あたりが運営し、実際に在庫があったり、発送したりするのは違うところのようです。届いたG6は問題のビリビリした音がなくて快調です。でも、先払い640円はやっぱり戻ってこないのかな?
(^_^)v
 

山本一典・著「福島で生きる!」

2011-08-06 22:28:33 | Weblog
 8月2日の朝、昼食用のサンドイッチを買おうとローソンに寄ったときに見付けたのが本書です。

 前に書いた佐野眞一さんの「津波と原発」は私にとってルポルタージュの教科書であり、事実の細部を見つめたり、その時々のにおいを感じさせる流行り物を散りばめたりと、大変興味深く読めました。ただ、不満を言ってしまうと、外部の人が被災者の暮らしを覗きに来たという枠組みであることは否定できません。でも、間違いなく、津波で家を流された元オカマや自衛隊員に救出されたために自衛隊に対して違憲などと文句を言うことを止め、救出時に与えられた毛布の温もりを今もって大切にしている元共産党幹部などの生々しいエピソードは現場を訪れた筆者しか知りようもなく、読者の関心をぐいぐいと引き付けてくれます。

 この「福島で生きる!」は田舎暮らしの取材を通じてその魅力に圧倒され福島県の旧・都路村に定住することとなった山本一典さんの東日本大震災や原発事故以降の毎日の生活が克明に書かれています。正確に言うと、震災以前の都路村との出会い等も最初のほうに記されています。佐野さんとは違い、現場の内部に住む庶民の視点です。本当にそこら辺に住む普通のおじちゃん、おばちゃん、おにいちゃん、おねえちゃんの記録です。役場の防災無線の様子や品不足のときのリオン・ドール(←地元のスーパーマーケットです。)やガソリンスタンドの様子、原発事故で避難勧告が出た話などが克明に書かれていて、これはその土地にずっと住んでいなければ分からない情報が満載です。私の住む福島市とは少々状況が違っても、確かにあの頃はこんなことで困っていたなぁといろいろと思い出しながら読み進めることができました。

表土除去が始まる

2011-08-02 23:40:30 | Weblog
 近くの小学校で今日から表土除去作業が始まりました。校庭表面に付着している放射性物質を取ってしまおうという工事です。ただ、正確に言うと、「除去」と言いながら、校庭に深い穴を掘ってそこに表面の土を埋め込むだけです。表面の土を削って集めたところで、埋め立て処分場周辺住民の反対運動が予想され、他の地区へ表土を運ぶことができないので、仕方なく穴を掘ってそこに埋めます。ま、行政のほうでは「仮置き」と呼んで、将来的にはどこかの処分場に運ぶか、東京電力に持って行ってもらうかしたいと言っていますが、全くめどが立っていません。

 福島市の小中学校でこの作業が始まったのがつい最近です。郡山市は4月下旬から作業を始めていました。動きの早かった郡山市に対して、文科省は「市独自の判断で進めているようだが、その効果はどうなのか。そこまでやる必要があるのか。」と事実上の待ったを掛けたほどです。その後、近隣の二本松市、大玉村、伊達市なども表土除去を始め、福島市は完全に後れを取った感じです。

 今まで表土除去をした学校では放射線量が作業前の十分の一程度になったそうです。現在の放射線量が1.2μシーベルト/h程度ですから、作業後は0.2μシーベルト/hくらいになって校庭でのびのびと遊べるようになるかも知れません。