福島県のほとんどの小中学校は7月20日に1学期の終業式を迎えました。それをきっかけに小中学生約1,000人が県外へと転校します。もちろん理由は原発事故の人体への影響を心配してです。春休みには小中学生約12,000人が県外に転出したので、第2波です。
県内のあちらこちらで放射性セシウム等が検出されているので、転出する子どもやその親御さんの気持ちは痛いほど分かります。国や県が「直ちに健康被害は出るレベルではない。」と言っても、低線量で何十年も生活を続ける住民が安全であるといったデータに乏しいのです。妊娠しているお母さん、小中学生の子どもを持つお母さんの心配は半端ではないはずです。現在のところ、野菜や畜産品への被害(実害も風評被害も含めて)も大変なことになっています。しかし、最後は人間に来るはずです。数十年後先に、「福島県出身者とは結婚したくない。」等の話が出ないとも限りません。チェルノブイリ原発事故や水俣病などの公害病の教訓が全く生かされていません。爆発時のバカ高い放射線量や気象情報を封印しておいて、細野原発担当相(この人って、かつての山本モナ担当大臣でしょ!)が言う「住民がパニックになるから、すぐに公表しなかった。」なんて言い訳にもなりません。
県は8月あたりに県民全員の健康調査を実施すると言っています。3月の水素爆発の頃にどこにいて(屋内・野外など)、何を食べたかなどを日付ごと(!)に調査用紙に記入させ、長期にわたって県民の健康状況を追跡するそうです。でも、5ヶ月も経ってから爆発後の1日1日の行動を思い出せるのか甚だ疑問です。私の場合、当時は通常の接客業務が完全ストップし、臨時打ち合わせとか顧客訪問とかばかりをやっていたので、その時の打ち合わせ要項を見返せば何とか行動は分かります。でも、何を食べたかとなると、まったく記憶にありません。多分、その頃は食堂もコンビニも閉まっていたので自宅から持っていったおむすびを食べたのでは?と思う程度です。対応が遅すぎます。
おまけに月曜日の雑誌戦争が激化しています。そう、週刊現代と週刊ポストです。10年ほど前は、両誌共にヘアヌードで売り上げを競っていましたが、ここ数ヶ月は原発被害です。「現代」は殊更に放射線の危険性を煽り立て(←画像参照。一番下は同様に危険性を煽るAERAです。)、「ポスト」は現在の低線量では全く問題ないという主張です。「ポスト」が今の線量は大したレベルではないということは、裏を返せば、50年ほど前の米ソ中が原水爆実験を繰り返していた頃は今とは桁違いに放射能レベルが高かったということですから、1960年生まれの私にとってはこちらもとってもとっても怖い話です。
県内のあちらこちらで放射性セシウム等が検出されているので、転出する子どもやその親御さんの気持ちは痛いほど分かります。国や県が「直ちに健康被害は出るレベルではない。」と言っても、低線量で何十年も生活を続ける住民が安全であるといったデータに乏しいのです。妊娠しているお母さん、小中学生の子どもを持つお母さんの心配は半端ではないはずです。現在のところ、野菜や畜産品への被害(実害も風評被害も含めて)も大変なことになっています。しかし、最後は人間に来るはずです。数十年後先に、「福島県出身者とは結婚したくない。」等の話が出ないとも限りません。チェルノブイリ原発事故や水俣病などの公害病の教訓が全く生かされていません。爆発時のバカ高い放射線量や気象情報を封印しておいて、細野原発担当相(この人って、かつての山本モナ担当大臣でしょ!)が言う「住民がパニックになるから、すぐに公表しなかった。」なんて言い訳にもなりません。
県は8月あたりに県民全員の健康調査を実施すると言っています。3月の水素爆発の頃にどこにいて(屋内・野外など)、何を食べたかなどを日付ごと(!)に調査用紙に記入させ、長期にわたって県民の健康状況を追跡するそうです。でも、5ヶ月も経ってから爆発後の1日1日の行動を思い出せるのか甚だ疑問です。私の場合、当時は通常の接客業務が完全ストップし、臨時打ち合わせとか顧客訪問とかばかりをやっていたので、その時の打ち合わせ要項を見返せば何とか行動は分かります。でも、何を食べたかとなると、まったく記憶にありません。多分、その頃は食堂もコンビニも閉まっていたので自宅から持っていったおむすびを食べたのでは?と思う程度です。対応が遅すぎます。
おまけに月曜日の雑誌戦争が激化しています。そう、週刊現代と週刊ポストです。10年ほど前は、両誌共にヘアヌードで売り上げを競っていましたが、ここ数ヶ月は原発被害です。「現代」は殊更に放射線の危険性を煽り立て(←画像参照。一番下は同様に危険性を煽るAERAです。)、「ポスト」は現在の低線量では全く問題ないという主張です。「ポスト」が今の線量は大したレベルではないということは、裏を返せば、50年ほど前の米ソ中が原水爆実験を繰り返していた頃は今とは桁違いに放射能レベルが高かったということですから、1960年生まれの私にとってはこちらもとってもとっても怖い話です。