話題作ということで27日のメンズデイ(男性1,000円)に鑑賞しました。午前8時半開始の1回目上映は観客3名。子どもたちの冬休み期間なので、他の時期よりも早い時間帯から「ウルトラマンゼロ」「チェブラーシカ」「ハリー・ポッターと死の秘宝」などを上映していますが、本格的な年末年始休みに入っていないために大人向け作品の本作は3人のための上映でした。
概ねの映画評では高い評価が多かったのですが、やはり一言で言うと、「絵は美しいが、内容がない」。撮影がリー・ピンビンで、この人は「トロッコ」や「空気人形」を撮影した人です。「トロッコ」(←この作品も何が言いたいのか分からなかった。)の森のシーン、「空気人形」の墨田川沿いの景色などは確かに出色の出来です。日常の風景をうまく切り取ることができる人だと思っていました。本作も雪山、草原、食卓、プールなどのシーンではっとさせられます。
でも、登場人物の苦悩がほとんど感じられません。重苦しい場面が多いのは分かりますが、人物の内面までを描き尽くしているかというとそこまでいってないようです。映画で内面を描くのは、文学作品と比べて難しいことですが、回想するとかモノローグを入れるとかしないと、登場人物が今、何をしたいのかが見えてきません。村上春樹の「ノルウェイの森」を超ダイジェストにして、特に工夫もせずに時間の経過通りにそのまま映像化したようです。もしかしたら、原作を読んだ人にはうまく伝わっているのかも知れませんが(実は、私も当時、初版で買いました。「ベストセラーはほとぼりが冷めてから読め。」という誰だかの言葉を信じてまだ読んでないけど。あ、言い訳?)、疑問が解決されないままに、話が進んでいって、徐々に混乱します。それから、混乱のもう一つの原因は、ワタナベのぼそぼそした喋りと直子の囁くような台詞のため、5%くらいの台詞を聞き取れなかった私の耳のせいかもしれません。
高校の同級生・キズキは何で自殺したの(あのことだけで??)?
ワタナベは直子を義務感で愛しているの?
直子は東京に出てきて何をしていたの?
60年代の二十歳そこそこの若者が冷蔵庫やステレオを持っているの?
ワタナベや直子の台詞回しがなぜに書き言葉なの(漢語も多い)?
曲の使い方があれでは、題名を「ノルウェイの森」にした意味が余りないのでは?
緑はどうして東南アジアのカワイコちゃん顔なの?
ワタナベとキズキと緑のスタイルが良すぎるのはなぜ?
などなど。
小説「ノルウェイの森」を原作に、この映画が出来ているのだが、やはり映画も独立した作品であるのだから、時間的な構成や台詞回し、人物設定、舞台などもう一工夫して欲しいと感じました(←村上春樹に気を遣った?)。登場人物のやりとりの間に挟まれたリー・ピンビン撮影の素敵な自然美では彼らの苦しさ・悩みが感じられません。さわやかなだけです。
ラスト近くもどうなんだろう…です。精神治療施設で直子と一緒だった音楽療法士のレイコ先生がワタナベの部屋を訪ねてきて、交わる場面です。この場面は、本来は直子に対する2人の鎮魂歌でなければならないのでしょうが、これでは恋人を失ったばかりの年下を誘惑する単なるエッチなお姉さんです…。原作ではビートルズの曲が沢山登場するし、「ノルウェイの森」の曲も何度か出て来るようですが、映画では中盤、施設内でレイコ先生が生ギターで1曲弾き語りするだけです。ビートルズ・ナンバーの使用料が高かったか、映画の内容にふさわしくないとビートルズの楽曲を管理する団体から許可が下りなかったのでしょうね。
最後の最後、緑に電話するワタナベで終わります。再生の物語なのでしょうが、緑も一癖もふた癖もある女性なだけに、「(500)日のサマー」のような前向きな希望が感じられません。ワタナベは面倒臭いタイプが好きな「メン専」なのかも知れません。
冬休みには、今月中旬に買ったトラン監督のDVD「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」を見て、もう少し彼を研究してみます。原作本もちゃんと読んでみようかしら。
☆総合得点 75点
概ねの映画評では高い評価が多かったのですが、やはり一言で言うと、「絵は美しいが、内容がない」。撮影がリー・ピンビンで、この人は「トロッコ」や「空気人形」を撮影した人です。「トロッコ」(←この作品も何が言いたいのか分からなかった。)の森のシーン、「空気人形」の墨田川沿いの景色などは確かに出色の出来です。日常の風景をうまく切り取ることができる人だと思っていました。本作も雪山、草原、食卓、プールなどのシーンではっとさせられます。
でも、登場人物の苦悩がほとんど感じられません。重苦しい場面が多いのは分かりますが、人物の内面までを描き尽くしているかというとそこまでいってないようです。映画で内面を描くのは、文学作品と比べて難しいことですが、回想するとかモノローグを入れるとかしないと、登場人物が今、何をしたいのかが見えてきません。村上春樹の「ノルウェイの森」を超ダイジェストにして、特に工夫もせずに時間の経過通りにそのまま映像化したようです。もしかしたら、原作を読んだ人にはうまく伝わっているのかも知れませんが(実は、私も当時、初版で買いました。「ベストセラーはほとぼりが冷めてから読め。」という誰だかの言葉を信じてまだ読んでないけど。あ、言い訳?)、疑問が解決されないままに、話が進んでいって、徐々に混乱します。それから、混乱のもう一つの原因は、ワタナベのぼそぼそした喋りと直子の囁くような台詞のため、5%くらいの台詞を聞き取れなかった私の耳のせいかもしれません。
高校の同級生・キズキは何で自殺したの(あのことだけで??)?
ワタナベは直子を義務感で愛しているの?
直子は東京に出てきて何をしていたの?
60年代の二十歳そこそこの若者が冷蔵庫やステレオを持っているの?
ワタナベや直子の台詞回しがなぜに書き言葉なの(漢語も多い)?
曲の使い方があれでは、題名を「ノルウェイの森」にした意味が余りないのでは?
緑はどうして東南アジアのカワイコちゃん顔なの?
ワタナベとキズキと緑のスタイルが良すぎるのはなぜ?
などなど。
小説「ノルウェイの森」を原作に、この映画が出来ているのだが、やはり映画も独立した作品であるのだから、時間的な構成や台詞回し、人物設定、舞台などもう一工夫して欲しいと感じました(←村上春樹に気を遣った?)。登場人物のやりとりの間に挟まれたリー・ピンビン撮影の素敵な自然美では彼らの苦しさ・悩みが感じられません。さわやかなだけです。
ラスト近くもどうなんだろう…です。精神治療施設で直子と一緒だった音楽療法士のレイコ先生がワタナベの部屋を訪ねてきて、交わる場面です。この場面は、本来は直子に対する2人の鎮魂歌でなければならないのでしょうが、これでは恋人を失ったばかりの年下を誘惑する単なるエッチなお姉さんです…。原作ではビートルズの曲が沢山登場するし、「ノルウェイの森」の曲も何度か出て来るようですが、映画では中盤、施設内でレイコ先生が生ギターで1曲弾き語りするだけです。ビートルズ・ナンバーの使用料が高かったか、映画の内容にふさわしくないとビートルズの楽曲を管理する団体から許可が下りなかったのでしょうね。
最後の最後、緑に電話するワタナベで終わります。再生の物語なのでしょうが、緑も一癖もふた癖もある女性なだけに、「(500)日のサマー」のような前向きな希望が感じられません。ワタナベは面倒臭いタイプが好きな「メン専」なのかも知れません。
冬休みには、今月中旬に買ったトラン監督のDVD「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」を見て、もう少し彼を研究してみます。原作本もちゃんと読んでみようかしら。
☆総合得点 75点