井上もやしの日常

ほぼ「つぶやきの墓場」となっております。ブログやSNSが多様化して,ついていけないのでございます。

とんとん山

2012-03-23 16:04:00 | Weblog
 22日は長男が大学院を卒院する日で、妻と母と卒業式会場がある盛岡市へ向かいました。ま、「卒業式」と書きましたが、正式には「学位記授与式」と呼ぶようです。

 式が終わって、夕飯をどこで食べようかという話になり、長男は「ちょっと遠いんだけど、紫波町の焼き肉屋に連れて行きたいな。」と言い出しました。カーナビに「紫波郡紫波町犬淵字西田…」と打ち込み、盛岡ICから東北道を南に進みました。紫波ICで下り、さらに花巻市の少し手前くらいの、山の麓みたいな薄暗いところに行き着きました。周りには商店も民家もなく、時折東側を走る東北新幹線の通過音がゴゴゴゴゴゴゴゴと響くのみです。焼き肉店の名前は「とんとん山」。古民家風の建物で、入り口も薄暗く(画像参照)、「え、この店大丈夫なの?」という感じでした…。

 でも、店内は広く、先客たちが楽しそうに肉を焼いていました。奥の個室に通され、私たちは牛すじ、カルビ、豚モツ、冷麺、ビビンバなどを注文し、届くのを待っていました。店のおばちゃんが運ぶお皿を見ると、「1人前」がかなり多めです。普通の焼き肉屋の1.5~2倍の量がありそうです。それに、焼いて食べてみると驚くほど柔らかいです。味付けもやや甘めで、好みの味付けです。

 一応個室なのですが、入り口の障子戸を閉めると、「料理が運べないから開けたままにしてくださいね。」と言われてしまいました。建物の天井が高く、小型のファンヒーターでは全体が温まらないようで、少し寒かったです。そのためか、部屋の隅っこにはちゃんちゃんこが置いてありました。

 4人でたらふく食べても全部で1万円ちょっとで済みました。長男は「ぴょんぴょん舎で食ったら、4倍はするな。」と言ってました。岩手県の人でも知る人ぞ知るの店みたいです。

安部礼司をradikoで…

2012-03-17 13:26:50 | Weblog
 先週、釜石市で公開収録された番組はエフエフ岩手だけでの放送です。当然、遠方の(と言うよりは途中に山があるため)福島市では電波が受信できません。アマチュア無線の経験から阿武隈山地にある天井山まで登れば、岩手県方面のFM電波が何とか拾えそうなのは知っていますが、生で収録の様子は見ていたので、radikoでいいやと思いました。

 radikoの復興支援サイトから、エフエフ岩手を選び、聞き始めました。放送開始の正午になっても軽めの音楽が流れ続け、いつになっても安部礼司が始まりません。民放ラジオは正時前に短めのニュースや交通情報、天気予報が流れるのが普通ですが、この時にも軽めの音楽が流れるままだったので嫌な予感はしていました…。復興支援サイトで他のふくしまFMや東北放送をクリックするとDJさんがいろいろなお話をしていたから、放送局で送信している内容に同期しているようです。

 エフエフ岩手のradikoは一体どうなっているの?


PS
 午後2時半頃にエフエム岩手HPを開いたら(正午頃はこのHPも重たかったです。radikoを聞けない人たちがここに大量アクセスしていたのかも知れません。)、配信トラブルでradikoやLISMO等では放送できなかったようです。24日(土)のお昼から放送すると告知されていました。


え、撮影OK? ~大震災から1年~

2012-03-12 23:11:52 | Weblog
 あの大震災から1年経つということで、ここ1週間くらい前からテレビや新聞では震災をしのぶための特集を組んで放送しています。特に今年の3月11日日曜日はほぼ1日中くらい三陸鉄道北リアス線のディーゼル車試運転の様子や福島原発周辺の近況を伝えていました。(日付的には3月11日が1周年という感じがするのでしょうが、私としては今年の3月9日のほうがあの日を思い起こさせました。あの日は金曜日で、朝からどんよりとした曇り空でした。今年の3月9日も金曜日で朝から曇天でした。)

 ただ、震災から1年を伝える各局のレポートは悲惨すぎる内容が多すぎます。肉親や友人が亡くなった悲しさ、仕事や家をなくした苦しさ、家族や仲間と離ればなれになった辛さなどを前面に押し出そうとして見るに堪えないものがほとんどです。あの頃の閉塞感が再び胸によみがえります。もっと明るい話題、楽しい話題、前向きな話題などもありそうなのですがそのようなものはほとんど出てきません。

 それだけに、TFM「あ、安部礼司」が岩手県釜石市で公開収録をすることを知り、是非とも見に行きたいという欲求が日に日に高まりました。そして、先週の土曜日に車で4時間半も掛けて釜石市へ出掛けてしまいました。「安部礼司」は単なるトレンディ情報ラジオ番組のように思われていますが、チームワークと家族愛と人間の成長を笑いで包み込んだ物語です。昨年の3月20日には緊急生番組を放送してくれ、被災地へ勇気と愛を届けてくれました。刈谷さんのしつこいほどの「僕(ボキ)たちはつながっているよ!」メッセージはどれほど被災地のリスナーを勇気づけたか分かりません。今回の釜石での公開収録も大津波で甚大な被害を受けた場所からメッセージを発信したいと場所が決められました。詳しく言うと、3月10日が地元のエフエム岩手主催で午後2時からの公開収録が行われ、11日にはエフエム岩手の釜石支局から全国に向けて午後5時からのレギュラー枠で生放送(非公開)が行われたのでした。

 3月10日のことを書きます。天気予報では雪模様だったので、私は雪降りだったらJRで向かい(東北新幹線→釜石線)、雪が降っていなければ車で(東北道→花巻JCT→東和IC→国道283号線)行くつもりでした。でも、前日に妻が一緒に行ってみたいと言い出したので、2人なら運転を分担できるし、少々雪が降ったとしても車で行くことにしました。午前7時半には自宅を出て、飯坂ICから東北道へ。5時間は掛かるかなと思っていましたが、思ったほどの降雪はなく、正午過ぎには会場の釜石シープラザ遊に到着しました。「早めに着いたから、椅子に誰も座っていないや。」と喜んだのも束の間、よく見ると椅子の上にはペットボトルや傘、手袋などが置いてあり、場所取りはすでに済んでいたのでした…。仕方がないので、椅子のすぐ後ろに立って、開演の午後2時を待ちました。


 2月5日の横浜・日産グローバル本社ギャラリーの「あべ博」では「ラジオドラマという性格上、イメージを壊さないように出演者を撮影しないこと」との注意事項が再三流れていました。ところが、釜石では撮影禁止等の指示が全くなく、多くの人がスチルカメラやビデオカメラに出演者の優ちゃん、飯野くん、安部くん、刈谷さんの姿を収めていました。4人は共に素顔隠しの黒縁メガネを掛けていましたが、これも説明なしでした。内容的には番組の今までの名場面集と観客参加のドラマ収録、安部くん・刈谷さんのいわて文化大使任命、名刺配布会などでした。会場のシープラザ遊は仮設テントで、広さの割に小さなストーブしかなく、冷気が漂い、おまけに釜石線のすぐ脇に位置するために時折電車の通過音が聞こえました。それでも安部ファミリーは熱演し、観客を沸かせました。


 最後の名刺配布は会場に集まった1,500人近くの観客に対して行われたので、何時に終わったのか分かりません。かなり遅くまで掛かったはずです。私は午後4時少し前には刈谷さんと飯野くんの名刺をもらってから(←刈谷さんに平泉バウムクーヘンをプチプチで包装してプレゼントしました! 妻は優ちゃんと安部くんの名刺をもらっていました。)会場を出ました。そうそう、帰り際に、安部礼司ネタをよくブログに載せていらっしゃるFFFさんとお会いできたのも収穫でした。

 早めに会場を後にしたのは、明るいうちに岩手の沿岸部の様子も見たかったからです。会場から釜石駅を抜けると繁華街のようなのですが、1階部分が柱だけを残して空洞になっていたり、入り口に大きなベニヤ板が張られていたりと、海に近い市街地が津波にやられたのがすぐに分かりました。釜石市のもう少し北にある、井上ひさしゆかりの大槌町にも向かいました。釜石から大槌町に入るあたりが本当に何もありません。更地とコンクリート土台と、瓦礫の山だけです。カーナビでは銀行やコンビニ、ガソリンスタンド、鉄道のマークが表示されているのに、周りを見ると何もありません。本当に街が持って行かれたのです。テレビなどで津波の映像を何度も見ていたのですが、カーナビ地図と目に映る景色のギャップには酷くショックを受けました。

東電原発事故賠償金の請求

2012-03-08 23:17:56 | Weblog
 昨年暮れに記事にした原発事故の賠償金についての請求案内が今日届きました。

 世帯ごとに氏名や年齢、性別等はすでに印字されていて、何カ所かに自筆で署名したり、賠償金を受け取る口座を記入したりすればよいようです。妊婦だったりすると母子手帳の写しを添付したりとちょっと面倒のようですが、引っ越しもせず福島で生き続けている者にはハードルは低そうです。震災当時、私と妻と二男が自宅に住み、現在も避難せずに住み続けているので(ちなみに二男は昨年4月より新潟市で学生生活を送っています。)、8万円掛ける3人分で合計24万円が請求できます。二男は震災の時には19歳になっていたので、「18歳以下の子供、妊婦は40万円」は見事にすり抜けました(苦笑)。

 東電から案内は届きましたが、やはり問題があります。この案内は世帯ごとに届きます。私のところは3人分のものが届き、同居しているものの世帯が別になっている母にも届きました。同封されている「まずこれを読んでください。」というパンフレットには「自主的避難等に係る賠償金ご請求のご案内」と大きな文字で印刷されています。私の母は「自主的避難をしていないから、これは出さなくていいよね!」と言っていたので、私はすぐに「とどまっている人にも8万円が出るから請求しなきゃ。」と答えました。この案内は、母と同様に「自主的避難者」のみが対象と勘違いする人がいてもおかしくありません。少しでも請求を減らそうとする東電の狡猾な手段かも知れません。