井上もやしの日常

ほぼ「つぶやきの墓場」となっております。ブログやSNSが多様化して,ついていけないのでございます。

宮城県石巻市立大川小学校

2012-08-26 23:03:40 | Weblog
 去年の東日本大震災から間もなく1年半となります。自分なりに、この大震災を近いうちに総括したいと思っています。自分の心の中だけに留めるか、このブログに載せるかはまだ決めていません。でも、マスコミや国会、東京電力などとは違った視点で、地震のこと、原発事故のことなどを個人的にまとめてみたいと思っています。

 その前に訪れておきたかったのがここです。福島県は原発事故が前面に出ましたが、岩手県・宮城県はやはり津波の被害が大きく報道されていました。その中でも目立ったのが石巻市北部の大川小学校です。全校生108人のうち74人が亡くなったことで、今でも県や市の防災体制、学校の安全対策が遺族側から追及されています。新聞では「なぜ裏山に逃げなかったのか?」という言葉が盛んに書かれていました。大地震の次には津波が来るかも知れないのに、何故?逃げなかったのでしょうか。実際の現場をこの目で見たいと思ったからです。8月25日に出掛けました。

 大川小学校は北上川河口から4kmほど上流南側にありました。トラロープが校舎全体に張り巡らされ、関係者以外は立ち入り禁止との看板もありました。ただ、校舎周辺は自由に歩けるようになっているので、入り口近くの供養塔で犠牲者の方々のご冥福を祈った後に、窓やコンクリートの割れ目などから内部の様子を少しだけ覗くことができました。校舎自体は教室と集会場(?)、体育館がコンパクトにまとめられた2階建てです。2階の天井が大きく歪んでいたものの、屋根のテレビアンテナは全く曲がっていなかったため、2階天井辺りまで津波が襲ったようです。

 画像の右側(南)はやや急ですが裏山に登ることは可能だと思いました。問題は左側(北)です。見渡す限り校舎以外何もありませんでしたが、津波襲来の前は郵便局や交番、民家、墓地などが学校の周りにあったようです。各種建物の後ろが堤防になっていました。その堤防のために、北上川の水位が全く見えません。当時、わずかでも水位の変化が見えていたのならば…と強く思いました。また、私は新聞で見た「裏山へ逃げろ!」の言葉から山に囲まれた小学校を想像していましたがそうではありませんでした。周りの住宅地よりも一段高いところに建てられた学校をよく見ます。しかし、大川小学校は全くの平地の学校です。校庭も低いところにあり、もしかしたら校庭の高さは北上川の水面の高さと同じくらい?との印象を持ちました。

 報道等を整理すると、地震発生後に校庭に児童を集合させ、話し合いの結果、40分後くらいに学校より高い場所にある新北上大橋の付近へ避難させることとなったようです。(実際は避難途中で新北上大橋付近の堤防から津波が襲いました。)この40分も「どうしてこんなに時間が掛かっているのだ。」と遺族の間で問題になっているようです。でも、日本の学校は全員いるかどうか何重にも点呼をとるし、もしかしたら、我が子を迎えに来た保護者に対応していたのかも知れません。

 

映画「桐島、部活やめるってよ」 ~部活ヒエラルキーの世界~

2012-08-21 23:20:31 | Weblog
 幸福な高校生活を送っていた者には、単なる「筋なし、山なし、落ちなし」の映画に感じられるかも知れない。でも、私は間違いなく高校時代の、あの気持ちがよみがえってきた。

「桐島、部活やめるってよ」というタイトルではあるが、桐島という人物は登場しない(それらしい人物が屋上に腰を下ろしているワンカットが入るのみ)。バレー部のキャプテン桐島がいなくなったことによって、残された他の登場人物がどんな影響を受けるかという映画である。残された者の映画という点では、設定的に映画「キサラギ」に近いと言えよう。

 何気ない高校生の日々を描いているが、描かれる世界は「部活動ヒエラルキー」である。同一の高校内であるので、学力的な差はほとんどないと思われるが、とにかく「運動部」と「文化部」と「帰宅部」とのまるっきり別世界ぶりが、35年程前の自分自身を思い出させてくれて、とてもほろ苦い気分になった。高校時代は、とにかく運動ができて、背が高く、顔がよければ、生活全般が順風満帆である。運動が野球、サッカー、柔道、バレーボールなどの花形競技なら尚更である。だから、文化部は二の次、そして、生徒会公認でない自分たちだけの同好会やサークル、そして帰宅部に至っては三・四がなくて五の次である。秋の学園祭に向かって短編8mm映画を制作したり、映画雑誌(「ロード・ショウ」7回に、「キネマ旬報」2回、「スクリーン」が1回のローテーションか?)を愛読したりしていたので、「桐島~」では神木隆之介くんが演じた前田涼也に近い位置であったのだが、芸術性をいくら語っても、運動部の連中の外見の爽やかさに負けてしまう悔しさ…。空しい…。映画では、女の世界、先輩・後輩の世界も描かれていたが、この映画の一番の描きどころはどうしようもなく出来上がっている部活のピラミッド構造である。映画研究会に属していたのでは絶対一流になることのできない生まれもっての階級社会である。つまり、「前田涼也」が部活を辞めても何も起こらないのである。

 この映画は一部の人たちから共感を得るだろうが、映画「告白」のように複数の人物の視点を軸に出来事を描こうとしているのが少しもどかしい(それぞれの「金曜日」が引き続いて表現されている。ま、ここがいいという意見も聞いたが。)。小説なら、それもありかと思えるが、映像にしてしまうと余り差異のないものが続けて映されることなる。そのために、冗長な感じを抱かせてしまう点は少し残念であった。私としては複数の視点よりはスピード感を重視してほしかった。次回作に期待である。


 ☆ 総合得点 80点

あ、ゆとり教育の旗手だ!

2012-08-11 22:35:02 | Weblog
 先週はソウルに行っていたので、先週発売の「アサヒ芸能」「週刊プロレス」「週刊文春」を近所のミニストップで確保しておいてもらいました。それをまとめて読んでいたら…。

「アサヒ芸能」(8月9日号)で元官僚(寺脇研さん)が書いたロマンポルノ論が紹介されたいました。選評では文部官僚程度の紹介ですが、この人は「ゆとり教育」の教祖みたいな人として有名な人です。私も10年ほど前に品川区の某所でこの人の講演を聴いています。講演の趣旨としては、現代の教育は知識偏重で自分の頭で考える教育を展開しなければならないこと、狭い教科主義に囚われず総合的な学習を進めること、子どもの学習にとっては時間的・内容的なゆとりが必ず必要であることなどを熱弁されていました。これは本当に正しいことだと今も私も思います。でも、でも、ですよ! この人は、「ゆとり教育」への各方面からの反動(日本の子どもたちがバカになる、円周率は3のはずがない、大学生なのに分数のたし算ができない…などの様々な揺り戻し)を感じ、文部科学省をさっさと辞めて、大学教授と映画評論家(←こっちのほうは学生時代からアルバイト的に「キネマ旬報」などに投稿していたらしい。)になってしまいました。時代が変わろうと「ゆとり教育」を擁護し続けると言っていたのに…。転職してしまったら、「ゆとり教育」のスポークスマンになれないじゃない。うちの2人の息子たちは死ぬまで揶揄を込めて「ゆとり世代」と呼ばれるのにぃ。

「週刊文春」(8月9日号)では「評論家の映画製作が続々だ。寺脇研氏が坂口安吾の『戦争と一人の女』をプロデュースしたのに続き、(略)」

というこぼれ話が載っていました。知人の話によれば、教育現場では「ゆとり教育」終了後に教科書の厚さが1.5倍になったそうだし、抽出校実施でよいはずの学力テストにほとんどの学校がもろ手を挙げて参加するようになったそうだし、「脱ゆとり」のごたごたが続いているようです。「ゆとり」の旗手が勝手に自分の趣味の世界に行ったのを見て、教育現場の人々は何を思っているのでしょう。とほほのほ。 

街でばったり同級生に会ったような  ~カロリーヌとの再会~

2012-08-11 21:32:38 | Weblog
 韓国ネタから少し離れます。昨日、仕事関係の資料を借りるために県立図書館を訪れました。ついでなので、カロリーヌ・シリーズを検索してみると、いくつかヒットしました。カロリーヌ・シリーズとは私が低学年の時(40年以上前!)にクラスで大人気だったフランスのピエール・プロブストが描いた子ども向けの絵本です。当時、小学館の「世界の童話(全40巻)」にカロリーヌが登場するものが4冊入っていました。

 15年近く前からBL出版でカロリーヌ・シリーズの復刻版が出されたとは聞いていましたが、やはり子どもの頃に読んだあの本が見たい気持ちが心のどこかにありました。Yahoo!オークションなどでは1冊5千円ほどで小学館版が取引されていますが、そんなお金はありません。県立図書館でヒットしたのは、「カロリーヌのぼうけん」「カロリーヌのせかいのたび」(この2点は「世界の童話」シリーズ)、そして、番外編のような「ユーピーのぼうけん」(これは、本が薄めの「カロリーヌの絵本」シリーズ全15冊のうちの1冊)の計3冊で、すぐに借りました。

 この本のどこが好きかというと、全然説教臭くない点です。童話といえ、学校に置いてある本はどこか道徳的であったり、どこか糞真面目だったりして、好きになれませんでしたが、この「カロリーヌ」シリーズや「不思議の国のアリス」は楽しさに溢れていたり、ナンセンスなことがいっぱい出てきたりするので、私のお気に入りでした。今読んでもカロリーヌの自立心、行動力、ユーモアのセンスに驚きます。大人の言動に左右されずに、自分で考え、自分の意志で行動しているのです。赤いオーバーオールのカロリーヌは、間違いなく私の元カノです。

究極の韓国語会話

2012-08-06 22:02:29 | Weblog
 書店へ行くと、「ハングル入門」と「韓国語入門」等の書名の本が沢山売られています。しかし、ハングルと韓国語では意味合いが違います。ハングルはとにかく文字が読めることを主眼としています。韓国語のほうは日常会話ができることを目的に書いてあります。だから、英語で言えば、ハングルはアルファベットに相当します。

 多くの日本人が行くような観光地や食堂はだいたい日本語が通じるようですが、日本語が全く通じない場所もあり、そこは「究極の韓国語会話」で乗り切りました。それは、「○○ チュセヨ。」です。○○には自分が欲しい物を入れます。とにかく会話というものは、極言すれば、自分が要求するものを相手に伝えるためのものです。英会話の"***,please."に相当する表現です。蛇足ながら、「チュセヨ」は「~ください」「~してください」というニュアンスです。「ユッケ チュセヨ。」「コピ(←コーヒーです) チュセヨ。」などで十分に通じました。これと、「カムサハムニダ(ありがとうございます)」で何とか買い物とか食事とかを済ませることができました。

 画像は伝統的な韓国家屋が連なる北村地区の東側に建つ中央高校。「冬ソナ」のロケ地になっていたそうです。

MBCドラミア

2012-08-06 21:35:22 | Weblog
 7月31日に訪れたのがここです。本当はソウル市内にある景福宮に行きたかったのですが、火曜定休日ということで、ドラミアにしました。

 MBCドラミアは京畿道龍仁市(キョンギドヨンニンシ)にあり、ホテルからは車で1時間半ほど掛かりました。先の記事で述べたとおり、慣れない土地を公共交通機関で行くのは無理だと思ったので、ホテルのフロントで1日定額で走ってくれるタクシーをお願いしました。5分後くらいにやってきたのはドライバーのキムさんです。10時間20万ウォンでどこでも行くよと言ってくれました。日本語と英語のチャンポンで何とか意思疎通を図りました。

 最初に向かったのが、MBCドラミアです。妻が韓国ドラマ好きで、「太王四神記」「イサン」などのロケ地だよと教えてくれました。私にとっては知らない世界です。ホテルから高速道路1号線(ソウルと釜山を結んでいます)をどんどん南下して、龍仁へ向かいます。高速道路の脇には高層アパートがずらりと並んでいました。韓国の都市部は一戸建てが少なく、ほとんどが集合住宅との話でした。地震がほとんどない国だから可能なのだと思います。また、龍仁が近づくと、畑や田んぼが広がり、日本の農村部にそっくりです。畑にはトウモロコシ、ダイズ、カボチャなどが栽培され、日本も韓国も東アジアの国々なのだと改めて感じました。

 で、ドラミアに着いてみると。岩手県にある「藤原の郷」のような山の中の宮殿です。もちろん、それは時代劇撮影用のオープンセットで、この日も何かの撮影をしていました。お昼が近かったため、途中で撮影が中断し、エキストラらしい人々が弁当を食べていました。

 この後は近くの食堂で冷麺を食べ、そこから30分ほどの歴史の街・水原へ向かい、ソウル市に戻ってNソウルタワーに上りました。

初めてのソウル市内観光

2012-08-05 23:21:32 | Weblog
 7月30日から8月3日まで、妻と母と私の3人で韓国のソウル市内観光へ行ってきました。海外旅行は25年前に新婚旅行で行ったハワイだけなので、今回が2度目の海外旅行です。50歳を過ぎ、出世する気もないし、長男も二男もお盆近くにならないと帰省しないし、75歳になる私の母も元気なうちに連れ出そうと、思い切って計画しました。


 日程を簡単に記します。(最初の日と最後の日以外はフリープランです。)

30日…仙台空港から仁川空港へ。現地ガイドとマイクロバスでソウル市内に入り、新羅デューティー・フリーでの買い物と東大門ショッピングと南山公園夜景ウォッチング。

31日…10時間20万ウォンでタクシーを貸し切って、MBCドラミア(山の中にある撮影用のオープンセット)と歴史の町・水原、南山のNソウルタワー等見学。

1日…歴史的建造物を復元した景福宮と韓国式家屋が連なる北村地区見学。

2日…明洞地区での足裏マッサージと洋服類の買い物。ついでにソウル駅北側のロッテマートでの買い物。

3日…ソウル市内から仁川空港へマイクロバスで移動。途中、食品館での買い物あり。そして、仙台空港へ。

 韓国を訪れて感じるのは、私って本当に「言語系」の人だということです。人によって快感も催すものは全く違うと思います。人によっては旋律だったり、人によっては動きだったり、人によってイラストだったり、人によって時刻表だったり、人によっては香りだったり、人によっては機械類だったり…。旅行前にハングルを覚えようと思いましたが、子音と母音の組み合わせで成り立っていることは理解できましたが、それ以上の濃音とか激音とかは聞いても違いがよく分からず、それに合成母音となるとお手上げでした。仕舞いには「ハングルって単独の母音で『エ』の発音が表せないの? 語頭の濁音が発音できないの? 全然合理的な言葉じゃないじゃん!」と毒づくようになりました。でも、実際に向こうへ行ってみて、ハングルに囲まれると私はわくわくしました。一方、ハングルの洪水に目まいする人だって相当いるはずです。もちろんさっぱり読めないし、ハングルというのは典型的な表音文字なので少々読めても意味は全く分からないのですが…。看板もハングル、表示もハングル、テレビもハングル…。でも、知らない文字に周りを囲まれて、本当に気持ちが高揚しました。

 それから、不安もありました。対日感情というやつです。私は、基本的に日本と韓国は中国文化を基底にした二卵性双生児だと思っています。時折、従軍慰安婦問題と竹島問題はマスコミの話題となりますが、もっと根本的なことは豊臣秀吉と伊藤博文です。日本人にとっては、2人とも偉大な武将、偉大な政治家でしょうが、韓国人にとっては間違いなく侵略者です。加害者が忘れても、被害者は忘れないとはよく言われることです。この辺の影がどこかに表れているのか少し心配でした。日本人と言うだけで、文句言われるのでは…とも思いました。

 南山公園の入り口に安重根の銅像がありました。この人はハルビン駅で日韓併合を進める初代首相・伊藤博文を暗殺した人で、韓国人にとっては英雄です。ライトアップされて黄金に輝いていました。


 そして、李舜臣です。この人は秀吉が朝鮮出兵したときに軍を率いて阻止した将軍です。市庁駅にある泊まったホテルから景福宮に向かう道路の左側に大きな銅像がありました。


 では、細かな話は追い追いと。