私の元勤めていた会社のOBの為の新聞に表記のような投稿がありましたのでその概要を報告します。
括弧の中に私が気づいた点に注記を入れてみました。
ゆとり教育で土曜日の授業がなくなり学力低下を心配した父母や元教師らが立ち上げた土曜教室で、無償で教えてくれる先生に応募した。
(私:この時学校や現役の先生たちは、この様な動きにどの様に対応したのだろうか?)
(教師:ゆとり授業は日教組が長い間の闘争の後勝ち取った権利で、忙しい教師が始めてゆとりを持つことが出来たのだ。まして無償で教えるなど、論外だ?)
(学校:ゆとり教育は学校としては支援するが、学校としては関係ない???)
始めて見ると、驚いた事に、生徒たちは希望者だけくるせいか、皆素直で真面目。宿題などもきちんてしてくる。
(私:これが教育の理想的な環境。何故現役の教師がこのようなチャンスを逃すのか?)
その内の一人の生徒に今学校で何を習っているか尋ねたが判らないと言う。
良く聞くと「いじめ」にあって学校には来ているが教室には出て居ない事が判った。
つまり、学校ではいじめにあっている生徒を特別の部屋に隔離する。
然しそれだけで別建ての従業をしないとそうだ。
(私:教育の機会均等はどっなっているの?)
(学校:教室で正規の授業をするだけで手一杯だ?
特定の人に特別の授業をするのはそれこそ教育の機会均等の考えに反する?)
生徒が三年生で高校受験を控えているのでこれではまずいと思い彼を自宅によんで特訓をした。
11月から3月始めまで、土、日、祝日、正月休み全て使って延べ60時間しごいた。生徒は頭が良く砂が水を吸うように良く覚えた。
(私:その生徒は良い先生に巡り逢えて、急に意欲が湧き、いじめにあった生徒達の為の特別の部屋で猛勉強をしたのだろう?)
私は生徒の抜群の学校の出席率(教室には出ないが学校には行く)を武器に学校に掛け合い推薦入試を受けられることになった。
(私:彼は明らかに先生の分を超えている。頼り無い学校も良く決断したものだ。)
師弟懸命の努力の甲斐があって、高校はとても無理だと言われていたのに、その生徒は学校からの推薦者25人の内、合格者5人の中に一発で入った。
まさに親と子、私、一緒になって涙、涙の合格であった。
(私:この事実に対し、学校、現役教師はどう思ったのだろう?)
(学校、教師:これはあくまでも例外で、この事実が大げさになっては困る?
我々は教室に出ている生徒達の教育で精一杯だ?
個々の生徒にいちいち関わっていたら身体が幾つあっても足りない?)
その生徒からの「高校ではいじめはなく、楽しく通っています。今変身中です。」と言う手紙に、教師冥利とはことことかと胸が熱くなった。
教師冥利など経験のない私にとっては、羨ましいばかりです。
学校の先生達も学校の規則、組合の締めつけや他の先生方への遠慮などいろいろ障害があると思います。
然し、その才能と生徒達と関わりを持てると言う立場を活かして、このような悩みを持った生徒達の救いなっとあげては如何でしょうか。
そして、教師冥利と言う他の職業に携わるものでは得られない、かけがえのないものを享受されては如何でしょうか。
参照: July 11投稿