[女性の感覚]
神戸市須磨区の私立高校で起こった、同級生らから金を要求されて自殺した同校の男子生徒のテレビを見ていた家内が、「あんたの子供のころいじめなんかあった?うちなんか全然なかったけど」と訊いてきた。
私は「俺もそんな経験は全く無かった」と返事しながら、彼女がときどき的を得たコメントをすることを思い出していた。
彼女は新聞と言えば人生相談欄や健康情報を見るだけ、その代わりテレビのニュースはかがさず見ている。
お蔭でテレビ朝日の「スーパー・モーニング」や嫌いな古館さんのニュースにも付き合わされている。
唯一の救いは前者の大幅の改編が行われ、朝から気分を壊すことがやや減って来たことと、アンカーが割と公平なコメントをする赤江珠緒さんになったことだ。
家内のテレビを見ながらのコメントで一番記憶に残っているのは、前回の総選挙で、小泉さんの演説に熱狂する小母さんたちの報道ぶりを見ながら、「選挙中にこんな不公平な放送をして良いの?」と顔をしかめながら言ったことだ。
当時そのような偏った報道への批判は殆ど無かったが、結果は小泉さんの刺客派遣などの戦略に乗せられた、一方的な報道もあり自民党は未曽有の大勝をした。
一方の私は、ブログで安倍さんの閣僚に問題の人がいることや、そ問題を起こした閣僚の弁護や自分で自分の首を締める様な発言など批判してきた。
そんな男性の書いたブログより「安倍さんがかわいそう」と書いた女性のブロガーの意見の方がより見る人の心に訴える。
まして安倍さん引退に関して、死者を鞭打つような執拗な、朝日新聞の社説や報道より、彼女の意見の方が遥かに真っ当だと思う。
そのような女性の方達特有の感覚を活かして、今後とも益々のブログでの活躍を祈っている。
[いじめと土地柄]
私はブログで、
私の子供ころだった戦前は、クラスに朝鮮の人や当時はまだ差別されていた人達の子供もいたがいじめなど全くいなかった。
何故なら戦前は弱いもの苛めや皆で一人の子をいじめるのは、男として最低と思われていたこと、思いやりや気配りができる女性が尊敬されていた気風があったからだ。
と書いたところ、「私のいた土地では昔でも酷い苛めがあった」と言うコメントを貰った。
それで始めて戦前でも「いじめ」問題の有無や数は、も少なくとも土地柄により変わってくることに気がついた。
私の子供ころ住んでいた官営製鉄所の建設された北九州や、炭鉱景気に沸いた背後地の筑豊地方は昔から開けっ広げの性格の上に、多くの余所の人達の流入で誰でも受け入れる気風があってことがいじめが無かったもう一つの原因だと気がついた。
その点から言えば、農地開放以前の農村では、地主と小作人と言う社会格差と言うひずみがあり、余所者を受け入れないとか、地域のルールに反した人を「村八分」にするなどの風習が残っている地域では、戦前でもいじめが起こり安い環境にあったのだろう。
開けっ広げで思い出したのだが、一度炭鉱の親戚を訪ねたことがある。
そこで一番驚いたのは、共同浴場で何時もの習慣で壁に向かって体を拭いていて、ふと丁度局所の位置に覗き穴が開いて居たことに気付いたことだ。
詰まり男湯からも女湯からも向こうが覗けるのだ。
いかにも川筋と言われた所だけあって開けっ広げで、どこか牧歌的な所だった。
もう一つ開けっ広げと言えば、自民党の総裁選で、また人気がぶり返した麻生さんだ。
誰が考えても、麻生さんが他の派閥からの陰謀などでやられることはあっても、それを遺恨にして苛めたり復讐するなど考えられない。
そして金持ちの子の麻生さんが貧乏人の子を苛めたなど想像もできない。
唯、福岡県人として残念なのは、開けっ広げの麻生さんだから、権謀術数の政界で天下を取るのは難しいことは予想せざるを得ないことだ。
[いじめと教育環境]
時代は変わった。
一昔はイジメなど考えられなかった北九州でも小学生の恐喝事件で、その学校の校長が自殺したり、筑豊の中学校でいじめで自殺した生徒の親が敢えて実名を公表してまでして、いじめ問題に取り組んでいると言う報道が流れている。
戦後占領軍が来て以来の日本の変化で気付いたことは
1.日本全体が優しくなったことと女性化したこと
・女性の強くなり、男は優しくなる
・躾けの厳しい家庭の減少
・小中学校での躾け教育の消滅
・そして小中学校の男子生徒の陰湿ないじめの発生
昔ならこんな子は女が腐ったようだと軽蔑されたものだ。
女性の方御免なさい。
・我慢の足りない子供が増える
女性化は必ずしも悪いばかりではないと思うが、それに伴う弊害が今も除去されぬまま残っているのだ。
2.学校の教育環境の変化
・占領軍から戦前からの日本の価値観は全て否定され、民主主義が持ち込まれた。
その基本思想の国民の権利に重点を置くあまりそれに伴う義務や責任についての教育がおろそかになった。
・戦前、戦中はなりを潜めていた左翼の人が一部で英雄扱いをされるようになった。
そして彼等の唱える共産主義が聖典のようのにもてはやされ出した。
・上記の民主主義や共産主義の思想に心酔しいた人達が教師となって入ってきた。
それが日教組を造り学校内で猛威を振るい出した。
・日教組はお客さんである児童、生徒でなく、当面の敵?である文部省ばかり向いてきた。
・その学校は教育の独立のなど一般社会から隔離状態になり、子供達はその密閉空間の中で純粋培養された。
・恐らく一部の国民は戦前の反省から占領軍や左翼の人達の言うことをそのまま信じる人がいた。
・恐らく大半の国民は敗戦のショックで虚脱状態になりながらも、日本古来の美風も捨てるべきでないと思ったが、自信を持って子供達にそれを教えることが出来なかった。
・上記の理由で、弱いものいじめや多人数で一人の子をいじめるなどは卑怯だと言う考え、思いやり、気配りとかの次世代に伝え無ければならない日本古来の美風の伝承が途絶えてしまった。
・一方民主主義の基本の権利について、他人の権利を侵害しないという教育がおろそかになっていた。
・そして私の持論だが、一部の家庭だが、その様な教育を受けた子が大きくなり子供を持ち、その子がまた親になり子供を持つと言う様に、次第に社会が劣化してきた。
今は戦後から考えると二世代からもう三世代に差しかかっている頃だ。
[いじめ防止策]
以上列挙してみるといじめ防止策は明らかだ。
・日本古来の美風と共に価値観の良い所についての教育の徹底
・民主主義教育で軽視された義務、責任の教育
・親達の再教育、家庭教育の重要性の見直しと徹底
・一部改善しかかっている学校と地域の協力
・教員の持つ価値観は変えられなくても、良いものは良いことを児童、生徒に教えること
・教員が教育委員会や文科省でなく児童、生徒のほうを向くこと
・その為には学校の業務の合理化をして、教員の余力をもたせること
以上の防止策の大半は誰でも言っているし、私の言う日本古来の美風や、義務や責任の教育を含めて、難しさの程度は違ってもやれば出来ることだ。
安倍さん時代は学校や教師の管理ばかりに置いた政策を続けてきたが、福田さんはもっと現場の学校や教師の立場からも考えた施策を通して、学校の正常化や児童、生徒の学力の向上を図って貰いたいものだ。
参照:
カテゴリー → いじめ
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