普通のおっさんの溜め息

戦前派から若い世代の人たちへの申し送りです。政治、社会、教育など批判だけでなく、「前向きの提案」も聞いて下さい。

戦前の子供の暮らし(社会劣化の観点からみた)

2007-10-20 10:52:32 | 教育問題

 昨日「社会劣化と教育予算最低の日本」を書いているうちに、私の子供時代の子供の暮らしを知って貰うのも、私が偉そうなことを書いた趣旨を理解して貰えると思って、上記のことを書いて見ようと思った。
 然しこの「戦前の子供の暮らし」と言っても、研究家でも学者でもない私が書くことだから、私の子供時代の記憶しか書けない。

[私の子供時代の環境]
 それでなるべく正確に理解して頂くために、当時の環境を書いて置く。
場所:北九州市の旧八幡市、一戸建て、長屋と私の家族が住んでいた間借りの家が混在するその頃で言えば中の下?位の住宅地。
 歩いて10分位のところには、開発中の住宅地、15分歩けば田畑が見える環境にあった。
時:官営の八幡製鉄所がなど工業開発が進み、背後地の筑豊では炭鉱景気の絶頂期で、人々の流入が激しかった。
 国道三号線沿いでは電車や自動車が走っていたが、その隣の旧九州鉄道の跡地で旧線路と呼ばれていた通りではまだ馬車や牛車が中心で、うっかりすると馬や牛の糞を踏みつける時代だった。

私の家族:父は製鉄の職夫という今で言えば、工員と契約社員の間の地位で、給料も知れたものだった。
 それで、夫婦と食べ盛りの子供5人を抱えているので、今思えば貧乏な暮らしをしていたのに違いない。
 前にも書いたが私の弁当おかずは、鰹節に醤油をかけたものか、海苔の佃煮と決まっていた。
 昔のことで先ず思い出すのは母のことだ。
当時は、洗濯機、冷蔵庫などの家電製品は全くないので、学校から帰るといつも、盥(たらい)と洗濯板でごしごし洗濯しているか、料理をしているか、子供達のための毛糸を編んでいるか、あるいは家計を助けるための内職をしているかだった。
 しかもその合間には、漬け物を漬け込んだり、味噌や甘酒など迄作っていた。
 それも愚痴一つ言わずに。
 それだから子供の世話は姉や兄に任せられていた。
 私も姉にすっかり世話になっていたので、80を越したいまでも彼女には頭が上がらない。
 私自身も、一番下の弟をおぶって遊んだことを覚えている。 

[子供の遊び]
 今の子供と違っているところは、
・今の中学生から幼児まで大勢のが一緒になった遊びが多かったこと。
 年上の子は下の子を世話もするが、肩車して鬼ごっこするなど遊びの道具としても使っていたようだ。
・鬼ごっこ、隠れんぼ、果ては男の子達の荒っぽい広場での泥合戦(石を投げるのは反則)、けんけん相撲など体を使った遊びが中心だった。
・竹トンボ、当時まだ盛んだった七夕の笹飾りの竹から竹馬や正月の凧など子供達が自分で作って遊んだ。
・子供達が泥合戦や冒険ごっこなど自分で工夫して遊びを作った。
・水泳に行くにも川へは20分、海水浴へは約2時間歩いた。

[情報]
 当時の子供が得られる情報源は、子供同志の噂、親達の話しを聞く、当時はまだ珍しかったラジオを聴く他は本だけだった。
 それについて、私は兄が借りてきた本を読み終わって寝るのを待って、夜遅くまで読んだり、時々買って貰う「少年クラブ」に飽き足らず、母や姉が買った婦人雑誌まで盗み読みをした記憶がある。
 百日紅(さるすべり)、杜若(かきつばた)など今も覚えているのは当時の読書のお蔭だ。
 何故ならこれは学校では教えず、会社に行きだしてからは英文の原書
を読むことに変えたからだ。

 これからも記憶力盛んな若い時の読書の習慣づけが如何に大切か判る。

[勉強]
 ごく少数の中学校進学する子を除いて、また宿題を除いては全くと言う程勉強しなかった(と思う)。
 それでいて余り問題にならなかったのは、世の中がまだ競争社会になって無かったこともあるが、私の経験から言うと、当時の多くの子供達が素直で集中力や好奇心があり、先生達の話しをまるで乾いたスポンジのように吸収したからだと思う。
 何故なら小学校時代は記憶力抜群の時期で、学校が教える内容や程度ではそれで十分だったからだ。
 それと私が何とか皆に遅れずに就いて行けたのは、前に書いた読書のお蔭で、理解力が人並みにあったからだと思っている。

[いじめ]
 家内がテレビを見ながら私に「昔いじめなどあった」と聞いた。
 彼女も北九州出身だ。
 私がなんども書く様に、学校には当時で言う朝鮮人や当時差別されていた人達の子供もいたけれど、いじめなど全く見聞きしたことはなかった。
 それは、弱いものいじめしたり、大勢で一人をやっつけるのは、男として最低だ。女は女らしい思いやりとか気配りが大切と言う考えが子供にも行き渡っていたことと、土地柄が開放的な為だ。
(私のブログを前から見て頂いている人にお断りするが、本屋で県民性について書いたものを見たが、正確には「可なり開放的」とランクされているのは、全国で2~3箇所しかない内、福岡県でも北九州市の一部を除いた地域と、筑豊地方、筑後地方らしい。)

[現状の分析]
(1)昔のように学校から帰ったらいつも忙しく働いている母親を見て、子供がぐれるだろうか。
 大勢の子供を世話をする両親が、子供の養育の責任を放棄したり、果ては子供を虐待するだろうか、第一にそう考える暇もないだろう。
 細木数子さんは私の嫌い人の一人だが、家内に付き合わされてみるテレビで唯一良いことを言うと思うのは、「子供が悪いのは両親の責任だ、第一母親が金のために仕事に出かけて、子供の面倒をみないのが悪い」と言うのはよく分かる。
 ただ彼女の意見には、今の女性は金の為だけでなく、外部の仕事で自己表現したいと言う理由が抜けている。

  私の考えは、
今の時代では社会にでるのも、悪いことではないかも知れないが、家で何人かの子供産み育てるのも女性としての大切な役割で、社会に出ないのを馬鹿扱いにする風潮に流されないで、女性自身の判断自分のいずれの進路を選ぶかを決めて頂きたいと思う。

(2)昔は親の躾け、子供社会を経験し、外で多くの子供と遊ぶことで、社会訓練を経験した上で入学した。
 今の小中学校の教育にはその前提あるものとしているのが、学級崩壊やその前記の問題を引き起こしている。
(3)家では両親は勿論、兄、姉からの世話を受け、外で年上の子から面倒を見て貰うことで、目上や年上の人を尊敬し、その言うことに従うという経験を積んで来た。
 今は少子化時代で、その経験がないどころか、親から甘やかされ、個性尊重と言う名で我が儘放題の子供が出てきた。
 その結果両親や先生、コミュニティーの人達の言うことを聞かないと言う本人にとっても社会にとっても、残念な時代になってしまった。

(4)いじめ問題について藤原正彦さんの武士道や日本古来の美風の尊重がいじめ防止の基本だという意見が書かれた「国家の品格」が一次ブームになったが、いつの間にか忘れられている。
 いじめ防止には、男らしら、思いやりなどの日本の良い所の見直しと教育が一番大切だと思うのだが。

(5)今学力低下や、応用力の不足が言われているが、その基本として次の問題がある。
 1)好奇心の低下
 今学校以外で余りにも多くの情報が入ってくる。
 そのために学校で教師の言うことが面白くなくなり集中力が減る。
 そのため聞くだけで記憶に残り理解出来ることが出来ずに塾に通うことになる。
 2)一部と思うが今の子供達の遊びはゲームなど与えられたものばかりだ。
 遊びの中で自分で考えと新しい遊びを考え出したり、昔のように竹馬を自分で作る ときに、良い方法を考えたりする力とか習慣が無くなっている。
 3)子供の時からの読書の習慣がないので、人の言うこや書いてあることの理解力が不足をして居ないか。
 4)上記の根源はパソコン、ゲーム、テレビだ。
それで対策としては、今の時代では暴論かも知れないが、の禁止または遠ざける工夫があって良い様な気がする。
パソコンも子供が操作する範囲はおもちゃをいじるのと程度は殆ど変わらないので、ある年齢に達して、始めても直ぐに追いつく筈だ。
 5)但し念のために言うが私が勉強について書いたことは、小中学校までの話で、今の高校以上では、自学自習が必要になってくる。
これも生来の不勉強で、それなりのところで現役を退いた私が言うことなので間違いがない。

参照:
 カテゴリー → 少子高齢化
            いじめ

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