日教組の「お手手つないでゴール」・私の経験・「子育ての社会化」と「子育ての外注化」・シンガポールの社会で子育てと教育
民主、自民、公明3党は6日、高校無償化に関する実務者協議の論点整理をまとめた。所得制限について、導入を求める自民党の見解を明記した一方、「制度の理念を大きく後退させる。実務的にも困難」とする民主党の意見も併記した。(産経新聞より)
民主党は子供手当てでも同じ所得制限の自民党の要求でも同じ理由で反対しました。
この理念とはネット出調べて見ますと「社会で子育て」の理念だそうです。
だからどちらの場合でも、「所得制限 は必要なく、「どんな年収の子供でも社会で育てる」と明確化させる。」ことだそうです。
私はこの報道を見て直ぐ日教組の「お手手つないでゴール」、「みんな百点」を思い出しました。
自民党も多分同じ事を言ったと思うのですが、財政が楽なら良いが、厳しい時代だから所得制限を付けるのは当然だと思うのですが。
私は何度も書くように貧乏人の子沢山の生まれで、父は一日中仕事、母は手仕事の炊事・洗濯・掃除から味噌から漬け物作り、内職と朝から晩まで働いていました。
そんな家庭ですからこれと言った家訓もなく「余所様に迷惑をかけるな」「悪いことをすればお天道様が見ている」と時々言われる位で良く言う親の背を見て育ったようなものです。
だから当然子供の教育、子育ては親の責任、仕事が就いた子の弟や妹の応援は 当然と思っていました。 (確か学校教育でも教育の一義的な責任は親だという安倍さんの時代にはっきりして、モンスターペアレンツの出現もあり 、それまで国・教育委員会・校長・教員との責任追求論議が下火になりました。)
勿論、夫婦共稼ぎが普通になり、然も親の収入も減少している世界ですから社会の支援が必要なのは当然ですが、然し国の財政事情が苦しいのに、民主党もそのため約束のマニフェストが碌に出来ぬのに、何故「社会での子育て」の理念に拘らねばならぬたのかと思って、「社会での子育て」の考え方をネットで調べたところ、
「子育ての社会化」と「子育ての外注化」 と言う子ども文化総合研究所の資料を見つけました。
・「子育ての社会化」というのは、子育て中の親たちが子育てに関して、これまで以上の責任と役割を担うことになる。子育てが社会化していない場合、親は自分の子どもだけを育てていればよいということでもある。ところが、子育てを社会化すれば、親は、わが子以外の子どもの子育てにもかかわらなければならなくなる。
・「子育て支援」というのは、もともとは「子育ての社会化」をめざしていました。しかし、「子育て支援」が進んでも、自分の子ども以外の子育てにも責任と役割を担う親たちが増えたようには思えません。それどころかむしろ、自分の子どもの子育てにさえ責任と役割を担うという意識が希薄な親たちも目につくようになってきました。
なぜこのようなことになったのでしょうか。『子育て支援の危機―外注化の波を防げるか―』という本の中で、「子育ての外注化」という言葉を使ってそのことをわかりやすく説明しておられます。著者は子育て支援というのは「保護者と子どもが、ともに生活する存在としてある、それを社会のシステムがサポートする」ことだと述べておられます。ところが実際は、子育て支援と称する「子育ての外注化」がおこっているというのです。つまり「子どもが消費サービスの対象物、すなわちモノとしてしか見られなくなるという危険性」が孕まれています。
・「子育て支援」という名の下に、「子育ての負担を母親から保育園へ転換するという政策」が展開された。そのことが「子育ての外注化」を引き起こしている。「良心的な営みとして子育て支援」をしようとしている多くの人が、「社会全体の流れの中で、外注化のシステムの中に組み込まれていくことが問題」である。
「社会での子育て」、「子育ての社会化」、「子育ての外注化」の繋がりまたは違いがなんであるか判りませんが、「子育ての外注化」と言う言葉には引っ掛かります。
・シンガポールの教育
「社会で子育て」と言いますがその典型的な例が、私が元滞在していたシンガポールです。
小学校4年の学力試験で上級クラスと普通クラスに分けられ、6年の卒業試験で「特別コース」「特級コース」「普通コース」、さらに中学卒業時には日本のセンター試験でさらにコースが決まっ来ます。
その上一般の生徒も就職試験ではセンター試験の成績で採否が決められます。
詰まり子育ての外注化どころか、政府が「子育ての社会化」をしているのです。
日本では「社会での子育て」と言いますがどの学校へ進めるか、そのために塾にやるか否かは、親が決めます。詰まり「子育ての外注化」です。
これは必ずしも悪い訳ではありませんが、問題は皆が高校へ行くから勉強は嫌いだが、高校に行く、大学もこれと言った当てもないが、とりあえず就職に潰しの効く文科系を選ぼうと言う親がおり生徒がいることです。
このような生徒や、裕福な家庭の生徒に一律に無償化の援助をするなんて。
結果は未曽有の就職難。離職率の増大。
どう考えてみ的理念のための無駄遣いと思います。
社会で子育てもいいですが、シンガポールの場合は極端としても何らかのメリハりを付けるのが本当の子育てではないでしょうか。
そのような金があるのなら優秀な向学心に燃えている生徒に思い切った学費の補助ををしたり、学問は嫌いだが手仕事が好きな生徒への応援もすべきと思うのですが。
これだけ考えてもやはり始めの直感のように、「社会での子育て」の理念の名に借りた社会主義的な悪平等の一律のばら蒔きとしか思えないのですが。
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参考:シンガポールの教育制度
○4年の終わりに各学校ごと学力試験があり、その結果に基づいて5年6年のクラス分けがなされる。即ち、「語学(英語と母国語)能力の高い上級クラス」と「基礎英語及び基礎母国語による授業を受ける普通クラス」の2種類である。(実際は語学力の高いクラスもさらに2種類に分けられる) 語学力別にその後の各教科の授業内容が組まれるため、個々の理解力・能力に応じた授業が行われるメリットがある反面、その後の試験で基礎クラスの子が上級問題に挑戦する機会はほぼ失われるとも言える。
○小学校6年の終わりには卒業試験がある。この成績によって、中学校4年間のクラスが「特別コース」「特級コース」「普通コース」に分けられる。つまり中学校クラス分けのための小学校卒業試験の成績は、4年生での学力試験による5・6年生クラス分けに左右され、それは小学校入学以来の語学力に左右されること大である。
○中学校卒業時には日本のセンター試験高校入学版と言えるO(オー)レベルテストまたはNレベルテストを受ける。Oレベルテストの成績によって入学出来る高校が決まり、高校においては大学入学選抜試験に当たるAレベルテストを受ける。一方、Nレベルテストは職業専門学校入学のためのものである。中学校普通クラスの生徒はNレベルテスト受験のために4年間を過ごすとも言えるだろう。
以上は成績優秀な者にこそ高等教育の機会を効率よく与えるというシンガポール型選抜制度である。教育の機会均等はどうなる!? もっと大きくなってから勉学に目覚めたり成績が伸びる子だっているはずではないか? という批判は昔から存在する。しかし戦後シンガポールが効率的な高度成長を遂げた実績の前に、これらの批判は跳ね返されてきた。資源のない小さな島国が生き残るために人材育成を国策の最優先課題とし、エリート集団を選抜することに、教育の成果を求めようとしてきた結果だと言えよう。