熊本の病院が赤ちゃんポスト設置の願いを出したことが大きな問題のなっている。
解説「赤ちゃんポスト」設置へ(読売新聞)
2月23日のNHKテレビのの地方版で、この件とその先進国である、ハンガリーでの実情の放送がありいろいろ考えさせられた。
この件自身については、素人の思いつきでとやかく言うには、問題が大きすぎると思うのでコメントするのを避けて、それに関連する感想だけ書いて見たい。
それと戦前のカルチャーを引きずっている私が、「夜の秘め事」に類することをブログに書くなど抵抗感が大きく、回りくどい書き方になっているのをご了承願いたい。
1.可哀相な赤ちゃん
テレビの画面(実写かやらせかは知らないが)に写ったポストに入れられる赤ん坊を見て、家内ともども「可哀相に」と言う言葉が思わず出た。
その赤ん坊だって幸福な生活を送れる権利があるのに、その人権はどうなっているのだろう。
2.女性ばかりが責任を負わねばならぬのか
赤ん坊をポストに入れる女性の気持ちはどうだったのだろう。
然し、テレビではもう一人の関係者である男性、無責任な男についての報道もコメントも無しだ。
私が前にも書いた「農村の花嫁」問題の放送で、花嫁探しに苦労する青年の姿やその発言は放送されても、彼らと同数はいる筈の農村の若い女性の姿もその意見も全く放送されてないのと同じ手法だ。
女性の役割と少子化
これでは問題点の放送はしても、男または女だけを描くだけでは、問題解決のヒントにもにならないのは、捨て子の問題も農村の花嫁問題も同じだ。
3.トラブルを避けるために
動物達の雌は、より強い子孫を残す本能から、雄と接するまでは、完全な主導権を持っているそうだ。
その万物の頂点にあり、種族を護る心配のないヒト科の一部の女性は、少なくとも自分を護る意味でも、事前の用心が足りないのではないだろうか。
責任感のない男性は一夜を共に過ごしても後は知らん顔できるだろう。
その場合、女性だけがその行為の責任を取らねばならぬなど不公平だが、生理上致し方ないで済ませないことは「赤ちゃんポスト」の例のように起こりうることだ。
一般の動物とは違った意味で、女性自身で用心し、主導権をとるに越したことはないような気がする。
勿論、この件については、男性、女性に責任があることは、当然だ。
特に男性は女性の立場を良く考えてやるべきだ。
いざ鎌倉と言う時になって、そんな事を考える暇があるかと言うのなら、男性も女性も事後でもよいから、良く考えて貰いたいものだ。
4.赤子を不幸にさせないために
近頃、幼児虐待の報道が多くなったが、生まれて来る子供の人権やその幸福を保障してやるのは、当然親の責任であり、務めだ。
さらに言えば、生まれる前からの二人の行動にも責任を感じて貰いたいものだ。
生まれてくる、赤ちゃんを邪魔者扱いにしないで欲しい。
望まれないで生まれてくる赤ちゃんなんて可哀相過ぎる。
5.当たり前のこと
ここまで当たり前過ぎる事ばかり書いてきた。
この種のブログを書かれたり読まれたりする方達に取っては、釈迦に説法も良い所だと思う。
然し、このような当たり前の事を改めて書かねばならぬ程、そして赤ちゃんポストの必要性が論じられるまでに、世の中が変わって来てしまった。
そして今、どうすれば良いかを皆で改めて考え直す時期になって来ていると思う。
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新聞やテレビでも報道されていても、それでも知らない人がいるんですよね。
「赤ちゃんポスト」の意味が、相談や質問をするものだったら、世の中平和だと思いました。
日本人がポストと言われて思いつくのは、郵便受けだったりするので、このネーミングはあまり好ましくないと思うのは私だけじゃないと思います。
命の尊さについての論議は、果てしない課題だと思います。