25日の家庭内殺傷事件で、英字新聞輪読会で出た、の資料のケニアの暴動に関連して、日本では家庭内暴力殺傷事件→学級崩壊→何故今の人達は転んでも手を付かずに簡単に頭を打ってしまうのかと言う話題のうち家庭内暴力殺傷事件を取り上げた。
今日は学級崩壊のことに付いて考えて見たい。
[荒れる学校と教育委員会]
学級崩壊と言っても正確に言えば、昨日の日本人の誇りの世論調査からに書いたのと似た理由で、一部の学校のそれも全部のクラスで起こるのでなくて、複数または一部のクラスで起こるようだ。
私の娘も教師をしているので、定例の転勤のたび荒れた学校への配属や学級の担任になりはしないかと訊くのだが、最近の例では、親に心配をかけまいとして言っているのか知らないが、彼女の隣のクラスの担任が鬱になったが彼女のクラスは落ち着いているとか、昨年教頭として赴任した学校は全般に落ち着いているとか話しててくれる。
私の属する輪読会には二人の元中学校の教師がいる。
一人は私はどうして管理職にならなかったのかと訊いたとき、管理職になって今まで共闘してきた同志を裏切る事が出来なかったから」と答えたほどのバリバリの元、日教組の教師、もう一人はノン・ポリを自称する元教師だ。
彼らの元の仲間の教師達からの情報によると、学級破壊で問題を複雑化し解決困難にしているのは、昨日のブログでも書いた所謂モンスター・ペアレントの存在だそうだ。
その話から私は二人の元教師に、学校と父兄の間にトラブルになったとき、お互い当事者同志で争っても解決付かないのは当然だから、その時何故教育委員会が前に出てきて、直接父兄と接触しないのかと訊いた。
一人が言った。
「市内でも有名な荒れた学校に赴任したとき、教育委員会の人が珍しく自分が解決すると言って学校に来たが、直ぐ消えてなくなった。それ以後その教師は事を荒立てまいとする校長と生徒とその父兄との間で奮闘した。そのお蔭で教師も随分強くなった。」
多分それが教育委員会の人が直接学校のトラブルに関わった同市の唯一の例だろう。
私はさらに持論の「今教師の荷が増えていること、その主なものが教育委員会へのレポートらしいが、県の委員会はともかく市の委員会は近くに居るのだから、何故自分で出てきて、自分で調査しないのか?」
と訊いたがそれまで盛んに喋っていた二人は急に黙ってしまった。
「今までの教育委員会は日教組など教師の管理ばかりしていたので、教師との関係が落ち着い今でもその考え方が残っているのではないか」と私。
「日教組はバラバラにさせられたからね。」と元日教組の教師。
後二人とも無言で、それ以後の話が弾まずに次の「何故今の人達は転んでも手を付かずに簡単に頭を打ってしまうのか」と言う他愛もない話題に移った。
私は教師をしている娘に教育委員会についてどう思うかと訊いたとき彼女は「教師を管理する、それだけの組織じゃない」と切り捨てた。
二人の元教師も多分同じ考え方であり、二人とも荒れた学校で苦労しただけに、私の様な部外者では判らない教育委員会に対して屈折した感情を持っているのが、雑談の後半の無言に繋がっているのだろう。
[教育委員会への提案]
教育委員会と日教組の確執については、話しが長くなるので省略するが、昨年の4月に書いた、教育委員会にやって貰いたいことで書いた主な項目だけ書いておく。
1.今までのように教師の管理一本槍でなくて、教師の立場にも立って貰いたい。
2.父兄教育をもっと徹底して貰いたい。
3.各学校の教育技術の交流の中心となり、そのレベルの向上を図って貰いたい。
4.教育現場にもっと出て行くこと。
5.学校教育へ地域の参加を進める。
6.学校事務の効率化を進めて貰いたい。
7.もし学校でいじめや教師のノイローゼなどがあった時は、審判でなく当事者として、現場に乗り出して貰いたい。
8.教師、学校、地域を孤立させないでお互いに協力させ、オープンにして貰いたい。
を希望する。
読者の皆さん、どれを見ても当たり前だし、然もその実行、推進は正に教育委員会のはまり役だと思いませんか。
そして何故こんな分かりきった事が出来ないのかと思いませんか。
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今日は珍しく短文で済んだので、気になったことを付け加えております。
良かったら次の私の考えも聞いて下さい。
[レッテルを貼ると言う事]
私の、安倍さんと小沢さんのブログで名無しさんから、
「平沼や安倍や前原(原文のまま)がお好きで、社民党や旧社会党系民主党議員がお嫌いな貴殿が無党派などではなく、単なるネオコンブロガーであることがよく理解出来たので、今後は一切貴殿のブログとは関わりを持たないことにした。
と言う主旨のコメントを貰った。
人はそれぞれの考えがあるので、名無しさんの考えに付いて何も言う事はない。
唯一つ私が何時も思う事は人や団体にレッテルを貼る事の本人自身に対する損失だ。
私は半世紀にわたり設備保全の技術者および管理者として設備のトラブルの解決に当たってきた。
その経験からトラブルの原因を究めるための基本の一つに先入観を無くすことの大事さを知った。
本文に記した元、日教組の教師は「日の丸則軍国主義」の主張には辟易することもあるが、その性格は極めて温厚、人より早く来て教室の準備をしたり、他のクラブのまとめ役、外国人のホストをやる他、自分の特技を活かして個展を開くなど尊敬に値する人物で、彼の意見は傾聴に値するものが多い。
私は日教組は嫌いだが、ネット上で現役おばちゃん教師 日教組の何が悪いのよ!! と言う勇ましいブログを見つけてデータ・ベースに入れている。
何故なら引っ掛かる所もあるが、言う事がまともなことが多いし、仕事に一生懸命なとても好感の持てるブログだし、彼女のブログから私のブログの重点の一つにを置いている教育の情報が多く得られるからだ。
人や団体にレッテルを貼ると言う事は、例えば物事を見るのに色眼鏡を掛けて見る事だ。
それが赤だったら全てが赤色に染まって見える。
これでは真実は見えてこない。
自分が好きでも嫌いな人でも団体でも、良い事は良いとし、悪い事は悪いと評価したいものだ。
名無しさんが例に上げた社民党について言えば、ガソリン値下げはする道路も作ると言う国民受けする民主党の主張に比して、道路は辛抱して暫定税率を環境税に廻せと言う社民党のほうが余程まともなことを言うこともあるし、それはそれなりに評価すべきだと思う。
マスコミや政治家でない普通の人が自分の気にいる意見ばかり聞いても読んでも良いが、時には自分の嫌いなまたは主張に反する人や団体の話しを聞く事もことも真実を知り、問題解決の道を探る大切な道だと思うのだが。
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昨夜テレビを見ていて感じた事が有りました。
其れは大学受験に実績があれば受験に必要無い科目については除外されると言う俗に一流大卒業のタレントが言っていた事です。私自身感じていた事ですが再認識です。
理系・文系問わずでしょうが、日本史・世界史・公民・美術・音楽etcは余りやらない。
美術・音楽・公民等は国の文化の発祥の場で有り学ぶ価値は十分に有ると思うけれど・・。
年少時と自我を持てる程度に成長した時の受ける感じ方も違うと思う。
外交官公務員試験には日本の歴史には不可欠でしょうが、あくまで受験の一環としてやるだけで知識程度。
こう言った連中が最前線で事に当たる訳で、外交が弱いとされる日本も当然かと。
他人の忠言を腹の中では、恩着せがましいと聞き其の成果が少しでも出ればやかましいお前など出て行け。こうして体裁だけ身につければ一人前で独り立ち出来る程世間は甘くないと思う。
幼いない時から体裁の良さだけを作る、大人の顔色を見てコロコロ判断の変る世代は残したくない。
これに懲りずにお気づきの点がありましたからご指摘
頂ければ幸いです。」
とお詫びしたつもりが、「私の悪文に懲りずに」と書くべきところを「これに懲りずに」と書いた為に意味が逆に取られても仕方がない表現になってしまっているのに気づきました。
まことに年甲斐もないことで、ご心情を害された事に深く反省をしております。
お詫びして済むことではありませんが、私の責任で貴方様の2度目以降のコメントと私のコメントを削除させて頂きます。
本当に申し訳ありませんでした。
貴重なコメントを何時も有り難うございます。
お尋ねの件は長くなりますので、後日ブログに書こうと思っております。
余り参考にもならないと思いますがご高覧をお願い致します。
ご丁寧なコメントを頂きまして有り難うございます。
今後また教育問題を取り挙げると思いますが、TBさせて頂きますので、出来ましたら、勘違い、認識不足や間違いなどご指摘願えれば幸いです。
つたないブログを取り上げていただきまして,ありがとうございます。ちょっと照れます。
今日はseesaaの調子が悪いのか,記事も上がらず,もどかしい思いをしております。せっかくいらしてくださったのに,大変失礼なことで,申し訳ありませんでした。
ほぼ毎日書いておりますので,これに懲りず,またいらしてくださいませ。
ちなみに,私にはそこまで学はありませんが,色眼鏡で見ることなく,良いものは良し,悪いものは悪いとするのは,まったくその通りと思います。これだけ価値観が多様化した社会です。自分の考えをしっかり持っていないと,渡ってはいけないと思います。
では,また
>戦前の日本では、国家のために死ぬことが賛美され、いいことだとさえ教えられていました。それが戦争に負け、連合国軍の占領下に置かれると、国民はみんな平等という考え方に変わった。[略]国家や社会の役に立つ人間をつくるのが教育の一側面だとすれば、もし価値観や時代の要請が正反対に変わると、当然、国や社会の目的も正反対のものになります。[略]つまり、教育の目的というのは、国や社会の変化によってコロコロ変わるのです。制度としての教育や価値観などは、国家や社会の都合で変わる。あやふやで不確かなものです。極端なことを言えば、とても信用できるものではありませんし、大切な子どもを託せるものでもない。(『日本の子どもを幸福にする23の提言』 94-95頁、改行省略)<
教育の目標は、人格の陶冶と、世の中を生きて行くための技能の習得であると、私は考えます。
教育委員会、文部省などの政府側も、皇軍兵士を作る教育をしたり、産業兵士を作る教育をしたり、あるいは、ゆとり教育と称して、学力の乏しい生徒にしたり、日教組の側も、平和闘士を作ったりと、私たちの子供を、弄んでいるとしか思えません。
公教育に期待するものは、読み、書き、算数をきちんと教えることのみです。道徳を教えたり、イデオロギーを教えたりするのは、大きなお世話だと思います。
教師は、当たり前の、堅気の大人であって欲しいのみです。
管理人さんは、技術者であったそうですから、お尋ねしたいことがあります。日本では、技術者を冷遇しているのではないでしょうか。地方の国立大学、あるいは二、三流の私立大学出のものは、もはや、技能のラインマンにしているのではありませんか?彼らは何のために、物理、微積分を学ぶ必要があったのでしょうか?
待遇が悪い、勉強がきつい、女性に会うチャンスが少なく、もてない。こんなことで誰が工学部に進学するのでしょう。東大の機械工学科出は公団住宅に住み、法学部出は郊外の瀟洒な一軒家に住むなどという話も聞きます。
二男が進学するとき、東大理1でなく、地方の医学部に行くように、勧めました。博士課程まで行って、任期のある非常勤で暮らしているなどという話を知っていましたから。年収300万円もない。馬鹿らしいから、技術者などになるな、と教えたのです。
地方国立大工学部出を、これほど、冷遇するなら、ものづくり国家としての日本の衰退は避けられないと思うのです。
政治学については全くの素人ですが、一寸気になったので一言コメントさせていただきます。
無党派Aさんが言われる是々非々という立場が常に正しいとは限らないのです。
自分が他人を理解してあげる優しさは別の他人に対してその優しさを知らないうちに押しつけてしまう怖さも併せもっています。
非常に僭越ながら申し上げますが、バートランド・ラッセルとかの相対主義の自己矛盾についてもう少し勉強されたらいかがでしょうか?