師走に入り、大切な仕事の一つが年賀状。だが、いまだその準備さえできていない。
それにしても「喪中につき年頭のご挨拶を失礼させていただきます」と、年賀欠礼のはがきが毎日のように届けられる。いつもの年に比べ、今年はその数が特に多い。欠礼のはがきが増えたのは、今年傘寿を迎えた私も含め、いつも賀状をいただく親しい知人や友人、それに親戚の方々の多くが老年の域に近づかれた精でもあるのだろうか。
寒い日が続く、以前、勤めていた会社のOB会からの訃報も増えている。今朝も2件の訃報が届いた。同じ年に採用された職場の同僚が亡くなった。悲しくなった。PCの前で黙祷した。毎日の新聞に載る訃報にも思わぬ故人の名をみつけ驚くことがある。
我が家に届く訃報や年賀欠礼のはがきを見るたびに、わが身のことに置き換え考える。残り少なくなったこれからの人生、あといくらと誰かに聞きたくなってくる。長生きはしたくない。お正月が来ても、もう年はいただかなくてよい。
昨年届いた1枚の賀状に「このところ物忘れすることが多くなり迷惑をおかけしております。今後とも新年のごあいさつを続けていく自信がありません。誠に失礼ではございますが、今回をもちまして年賀の礼を終わりとさせていただきます」とある。
年を取りすぎた。体力知力ともに衰えが目立つ。ふと考えた年賀状は今年からとりやめようかな。と。だめ、だめ。
年は取っても社会との繋がりをなくすわけには行くまい。大切にしなければなるまいと、何枚必要かざっと必要な枚数を計算し、年賀はがきを買いにやっと腰を上げた。