いまも噴煙を上げる阿蘇中岳、その阿蘇山をご神体としてまつるとされるのが、阿蘇市一の宮町の阿蘇神社。阿蘇神社の細長い参道は楼門の横に伸びている。どこの神社も神殿に向かってまっすぐに参道が伸びているようだが、本殿に向っての横参道は珍しい。参道の南約7㌔先に阿蘇山が見える。
昨年亡くなった兄と私は阿蘇で生まれた。両親が亡くなったいま、なぜ阿蘇に住んでいたかよくは知らない。だが、父は阿蘇をとても自慢にし、愛していたようだ。長男の兄の名を「蘓治」と書き”ゆきはる”と読ませた。兄はずいぶんと困ったようだ。いつも、蘓という字はない。蘓は誤字だ。蘇の間違いだろうといわれていた。公の文書には、亡くなるまで「蘇治」と書いていたようだ。
けさの新聞に、阿蘇神社では、お正月の参拝客3万人に振舞うための、甘酒の仕込みがはじまったとある。成田山新勝寺のお正月の参拝客300万人には到底及ばないにしても、山間の小さな町、阿蘇で3万人のお参りがあるとは驚きだ。
阿蘇神社は阿蘇の火口をご神体としているといわれる。参道が横になったのは山から神様をおむかえするためだという。神社の楼門には大きな「阿蘇神社」の額がかけられている。その奥、本殿前の額には「阿蘓神社」とあった。
「ゆきはる」の「蘓」の字には、父の阿蘇を思う気持ちがこもっていると、いまは亡き兄に知らしてやりたかった。いまにして思う。
12月もあとわずか。しばらくするとまた1つ年をいただく。今年のお正月を気持ちよく迎えらればと、気が引き締まってくる。