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「あのスターにあいたい・テンプターズ」君のライバルはジュリー

2018年03月15日 | ショーケン

13日放送のBS11「あのスターにあいたい、テンプターズ」あのショーケン、萩原健一さんがテンプターズについて話す・・タイガースの事も話すそうだ、と聞いてTVを見ました。ショーケンはGS時代を語るのは嫌ではなかったのか。

番組の のっけから「二人がいつも 合う時は これが秘密の合言葉♪ 3-2-1 スリーツーワン oh イエ~♪」ショーケンのちょっとハスキーな独特の声、これを聴いただけでキャ~~!と大興奮!! この曲はGS特集でも、ほぼ流れない曲なので。すっごく聴けて嬉しい.。*・.。ヽ(^▽^)人(^▽^)ノ。.・*。.

GSが大好きだった小学生高学年時代、あの1960年代末のGS全盛時代の熱気が、突如脳裏に蘇る。今聴いても、ショーケンのハスキーな声はジュリーの甘い声質とは全く違う、別の魅力と色気がある 

最初から思わず胸が躍って・・ウッキウキ~ あれ~?私、そんなにショーケンが好きだったかなぁ?と自分で驚く(苦笑)。TVに映るショーケンは白い髭をはやし、笑顔を絶やさず穏やかな印象で、かつて尖っていたショーケンも人間が丸くなったのか? 今はジーさんになったと思わされました。

ショーケンが好きというより、テンプターズも、ワイルドワンズも、オックスも、GS全部が好きだったの。タイガースがジュリーが、もちろん どこよりも一番だけど、タイガースのライバルといえども、他のGSも皆好き。嫌いなGSなんて無い!

中高生のお姉様方は タイガース派とテンプターズ派、ジュリーvsショーケンで敵対していたらしいが、当時は田舎の小学生の私は、そんな争いは知らない。クラス内でいがみ合いなどゼロです。

でも声に魅力は感じても、ショーケンのカッコ良さは どうもわからない?お子様でした。どこがええの?ジュリーみたいに、子供にもわかりやすい綺麗さがないでしょ。


(※以下は、番組の放送内容から)

ショーケンは中学生時代に、まだアマチュアだったテンプターズに飛び入りで参加して歌ったことから、そのまま参加。スパイダースのプロダクションにスカウトされてデビュー。

2枚目の「神様お願い」でメインボーカルを務め、不良の香りを漂わせ カリスマ的な人気を博す。(当時のテンプターズの映像が色々流れて眼を見張って興味津津、殆ど見たことが無い映像でした。これは嬉しかった。銀座の山野楽器でのサイン会映像など、山野楽器は昔から銀座の名物なのね~!)

「でも やめたかった」プロダクションの着せ替え人形、アップリケの付いた服を着せられ、自分の意志とは違う。傷ついていた、と話すショーケン。しかし人気は出て、音楽よりもキャラクターが優先していた。(アップリケの付いた服って、「エメラルドの伝説」の衣装の事かな。☝)

GSはザ・タイガースが人気を牽引していた。テンプターズと人気を二分。実はテンプターズは、スパイダースをタイガースに喰われない クサビとしてスカウトされた。

(私も昔はスパイダースが好きだった。けど、子供には おじさんばっかりのスパイダースよりも、後でデビューした若くて可愛いタイガースの方がいいに決まっている!)

テンプターズはタイガースを止める対抗馬としてデビュー。

事務所から「君のライバルはジュリー」と言われていた。タイガースを池袋のドラムへ見に行った時は「内田裕也とタイガース」のグループ名だった。タイガースを見に行った、その日に裕也さんは自分が見出したタイガースを辞めさせられ、ショーケンはその場を目撃していた。

ショーケンがジュリーを評して『沢田研二さんは 僕にできないこと、例えばプロダクションのマネージャーに ああいう風にこういう風にしろと言われたら、誠実に 行う人でした。僕なんかとてもできない。ほんとに誠実』でも自分は・・というショーケンの本心が見えないでもない。

40年代に活躍したGSに、↡ブルーコメッツが抜けてまっせ。紅白に出た、レコ大も取ったのに。

GSの時代は終焉を迎える。テンプターズは、わずか2年と8カ月の活動だった。※(PYGに関する発言や説明は皆無)

解散後 音楽を辞めたかった、着せ替えられてる自分が嫌。脚本の勉強をして監督になる気だった、俳優は嫌だった。しかし、映画の代役から俳優の道へ。

昭和50年代に音楽活動を再開する。

「得たものはなんですか?」の問いに、1回ここから出て俳優として余裕が出来、聴く耳ができ、余裕ができ、役者を経てからの音楽活動は以前とは違う。本当の自分を表現できるようになった。タイガースをクビになった裕也さんが「大阪でうまれた女」を持ってきてくれた。

デビュー50年を経て、51年目の心境の変化は、歌への取り組みが変わった、頑固にならなくなった。人の話は聞かなかったが、パーフェクトじゃない事に気がついた。ボイストレーニングに行っているけど、上手くないと自嘲する。自分の欠点を知っていないとね。

テンプターズの曲を今、歌う理由。好き嫌いにかかわらず、GS時代は私の足跡ですから。もっとパワーアップして、カバーだけでなく表現して行きたい。「その原動力は?」と問われて、創作が好き。最後に今のショーケンが「エメラルドの伝説」を歌います。

『萩原健一さんの原点テンプターズ、伝説のGSは今も私たちの心の中に生きています。』 というナレーションで終わり。 


 「伝説のGSは今も私たちの心の中に生きています。」あれ、この番組の最後をその言葉で〆る? ショーケンの軌跡を語る番組じゃなかったのか?

そういえば、この番組は「テンプターズ」を語る番組だった、忘れてた。テンプターズの話はあったけど、内容はショーケンの50年間の軌跡を語り、これからの活動を語る番組でした。一番の目的は、ショーケンのライブの宣伝やな、と思いました。

今のショーケンの歌う「エメラルドの伝説」について。まさに私の心の中には「伝説のGS」はまだ生きている。「エメラルド」は昔のショーケンが歌う画像と歌声で見たかった。

突如、素っ頓狂な声を出したり、黙り込んだり、ファンに歌わせたり、どこに飛ぶのかハラハラする「エメラルド」じゃない。ハスキーで不良ぽくて色気のある、子供ながら心を掴まれた、あの頃のショーケンの歌声だけが私にとっての「エメラルドの伝説」だと言わせて欲しい。

ショーケンの今現在の歌声については、人それぞれ好みがあると思いますので、何とも言えません。コアなファンの方は、それこそ目の前でショーケンが歌っている、それだけでいいのでしょう、それだけで感激なのでは。

「大阪で生まれた女」は80年代のショーケンの歌う映像が流れました。この時、すでに声が出ていない時があったり、こちらが不安になるような歌い方だけど、時に鬼気迫って、その狂気までもが見えるような歌声であると思いました。

「愚か者よ」は途中で歌がどこにいくんだ?と思ったけれど、歌声は出なくとも、この貫禄と風格、聴く物に迫る迫力は、同じ曲を歌っている某氏がこの先いくら年齢を重ねようが、到底一生出せない ショーケンだけの「味」。こんな風な雰囲気を持つ、ある意味怖さを感じる歌い手は他にいないのでは、と思わされたのでした。聞いているとほんとに怖い💦 私は誠実なジュリー派です。

ショーケンがテンプターズを語るなんて、何と珍しい!と思ったので見たの。結局、春からのライブの宣伝の為に番組に出たんだなあ。PYGについては全く語らずでした。 


 

※タイガースに対抗させるために、スパイダクションがテンプターズをデビューさせた話ですが。

ジュリーが去年のMCで、スパイダクションのマネージャーから「社長の田辺が会いたいと言っています」と言われ、喜んで皆で会いに行ったのに、田辺さんには相手にもされなかった、ガッカリしたと話していました。田辺さんはタイガースが売れると思わなかったんだな、見る目がなかったのよ。

もしスパイダクションにファニーズが入っていたら・・ 間違いなくタイガースもジュリーもいなかった。テンプターズはデビューしていなかったかもしれないし、芸能史は変わっていたのでしょう。

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