J友さんの<エピソードシリーズ>の途中ですが、ちょっと気になったのでPYGの話題を。
ジュリー本人が言うように「君をのせて」はそれほどヒットしなかったからなのか、J友さんから見せていただいたファンクラブ誌の1971~2年の「YOUNG」に「君をのせて」について、あまり詳しい記述がありません。PYGと並行して活動をしていたせいでしょうか。ソロのジュリーの活動について、特に詳しい記事や写真がないのは 事務所側としても方向性がまだこれから、と言ったところだったのでしょうか。
YOUNG誌上でジュリー自身が「君をのせて」は布施さんの曲みたいだと言われる、と語っていました。去年のコンサートのMCでもジュリーが「事務所は布施さんみたいな歌手に」と言っていましたっけ。ジュリーは布施さんから、色々とアドバイスを貰っていると書いてありました。
ネット上で、PYGが京大の西部講堂に出演したチラシを見つけました。このライブの出演について、YOUNGには何も書いてはありませんでした。3月20日の公演ですが、スケジュールは4月以降からしか書いてありません。
PYGは聴衆にどう受け止められたのか、思わず気になってネット上で捜してみました。
その時の主催者の方のブログ、ジュリー→沢田
Revolutionary Kyoto 1971
MOJO & 京都ロックイベントシーンのミュージシャン達
PYGは体制派として歓迎されなかった、
➡京大西部講堂ロック史記コミュの西部講堂年表
●「村八分」は、反体制を標榜する京都の新左翼シンパの学生達にも熱狂的に歓迎されたが、「PYG」は数年前のGS(グループサウンズ)時代のスター寄集めバンド・商業主義ナベプロの回し者だとブーイングする者達も少なくなかった。*但しPYGのサウンドそのものは、21世紀現在の審美眼をもって聴いても決して大人のロックマニアの鑑賞に堪えられないことは無く、楽曲完成度自体は低くない。
「鑑賞に堪えられないことはなく、楽曲完成度自体は低くない・・」その程度の感想ですか。
「いくつかの場面」に描かれている「野次と罵声の中で・・」というワンシーンが浮かんできました。