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アニソン・アカデミー ▽第335回 講師は遠藤正明さん

2020年08月06日 | TV・ラジオ・CM・映画

数日前に書いたまま忘れてました。(^^; アニソン歌手、 遠藤正明さんが熱く語るジュリー。

遠藤正明さんて、申しわけないけれど 私は全く知らない方で、ジュリーファンだそうです。ジュリーのことを語る前に、遠藤さんが歌う どれもよく似た曲調のアニソンが延々と流されて、いかにも元気のよいパンチのある歌声に、内容は全然しらないアニメの場面が眼に見えそうでした。

アニソン・アカデミー ▽第335回
7月25日(土)午後2:00放送  (2020年8月3日(月)配信終了)

遠藤さんは1967年生れ。お顔はこちら⇒公式サイト



(出演) 中川翔子, 遠藤正明, あべあきら

★アニソンの講師は遠藤正明さん

(中川)歌でたくさんの人を励ましている遠藤さんです。
遠藤さんご自身が励まされた曲も選曲していただきました。
なんと意外な曲ですよ、沢田研二さん「勝手にしやがれ」
作詞、阿久悠さん、 作曲、大野克夫さん、
編曲は先日講師できて下さった船山徹さん

(中川)どんな思い出があるんですか?

(遠藤)沢田研二さん、ジュリー、
ジュリーさんは憧れでして、歌を歌うきっかけ、
目標だったのもジュリーで
ずーっとTVッコで、ずっとTVを見てたんですけど
その当時、あえてジュリーといいますけど
あまりにも男から見てもすごい色気があって、
カッコ良すぎて小学校の卒業文集に、将来の夢に
ジュリーと書いて、それくらい憧れでした、
ジュリーになりたかった。

(中川)ジュリーの歌は歌ってたんですか?

(遠藤)もちろん!ずーっとジュリーの歌は殆ど歌えますね。
(中川)声変りをする前から?
(遠藤)今は低くなりましたけど

(中川)どうですか、周りの評判というか

(遠藤)ジュリーさんの歌は低音の魅力というか
歌いやすかったです。すごい人気だったので、
色んなXmas会とかパーティーで歌うと、ヒーローでしたね

(中川)ジュリ~♪となるんですよね
歴史をふりかえってみても ああいう色気のある人って
いないですよね。

(遠藤)そうなんです!
(中川)不思議ですよね
(遠藤)ほんとにカッコイイ✨
男が見てもほんとに憧れるというか
あの色気というか、欲しいですね。

あっはっはっは

(中川)欲しいです!色気ってなんなんだろう
ハハハハハ
(中川)この曲を聴いて改めて色気を勉強してみましょう。
沢田研二さんで「勝手にしやがれ」♪

カッコいいですね



ジュリーの声って「低音の魅力」なん?? それはともかく、遠藤さんが力を込めて「ジュリーはほんとにカッコイイ!!」と感に堪えないようすで話される声には、ジュリーへの憧れが強く伝わってきました(^-^)

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ドラッグストア

2020年08月06日 | 日記

昨日の夕方に訪れたドラッグストアは、卵に野菜まで売っていて普通のスーパーと変わりませんが、売り場の「うがい薬」はやっぱり売り切れていました。

貼り紙の「ポピヨンうがい薬は有りません!」と、ビックリマーク付きで書きなぐった汚い字に、いい加減にして!という怒りを感じたのは、気のせいではないと思うわ。別に買う気はありませんでしたけど。


一昨日は数カ月ぶりに、外国人観光客の姿がサッパリと消えた、神戸の元町商店街を歩きました。ジュリーの映画を度々観に行った元町映画館は、元気に営業中でした。

ドラッグストアでもないのに、洋品店や雑貨屋など、あらゆる店先でマスクが売られていました。私の居住地域ではこれほど布マスクは売っていないので、さすがに買い物の街、元町商店街。

とうに飽和状態になっているのか、布マスクは意外なほど安くて、1枚100円のお店もあって、自分で縫う気が失せます。布マスクに詳しい友人から色々教えて貰って、友人おすすめの、3枚500円の布マスクを買いました。近所で1枚400円の機能性の高い布マスクを買っているので、場所に合わせて使い分けをします。でも機能的には不織布マスクが一番いいらしい。

JR神戸駅前から元町駅まで、長く続く元町商店街は、いつの間にか八百屋が増えていて、地元スーパーよりもずっと野菜が安い!喜んで野菜をいっぱい買って帰りました。

友人おすすめ、今年 初めての宇治金時

神戸の老舗菓子店、本高砂屋のカフェで、氷が700円は良心的。友人はこれに白玉団子がついていたら、もっといいねと言っていましたが、団子がついたら高くなる(笑)

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タローさんのブログ「新型コロナウイルス」

2020年08月05日 | JULIE

タローさんのブログが更新されました。⇒「新型コロナウイルス」

いつになったらライブが出来るのか?
以前ジュリーと電話で話した時、ジュリーが来年まで続くかもね?
と言ったのを思い出した。

毎日増え続けていますね。来年もやっぱり心配です。


そして、宝塚の公演の中止も・・⇒宝塚「はいからさんが通る」16日まで公演中止 出演者3人、スタッフ1人がコロナ感染

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東アジアで最も美しいモスク

2020年08月04日 | TV・ラジオ・CM・映画

昨日、先週 見逃していた「世界はほしいモノにあふれている」の再放送を見ました。

「キッチンから世界旅行」
世界の食をめぐる特別編。トルコの絶品ナス料理や南国フィジーのマリネ!さらに南米ペルーからは母の味も。夏にぴったりの簡単レシピをご紹介。おいしい世界旅行へ出発!

三浦春馬さんはイキイキとして楽しそうで、美味しそうに食べて、「毎回これでいい」(毎回食べる回でいい)と語る姿には、とても亡くなったなんて信じられませんでした・・ きっと何かの間違いに違いない。

その中のトルコ料理のときに紹介されたのが、代々木上原の東京ジャーミー。

去年の11月に「森本タローとスーパースター・再結成20周年記念ライブ」(ジュリー・ピー・サリー達4人でタイガースが復活)を見に行った、その翌日に行きました。下の画像は番組から

有りとあらゆるものを飲み込む大都会、TOKIOの中心にモスクは在りながら、辺りの雑多な様々な多様な物を、一気にふり 払うような、まさにそこはイスラムの聖地でした。異教徒であっても、誰もがその美しさにうたれてしまうのは間違いない、東アジアで最も美しいモスクと言われる、東京ジャーミー。

ジュリーの歌う「ライラ」の歌声が風に乗り、聴こえてきそうな気がする、清らかな荘厳さに包まれた世界でした。⇒②聖地巡礼・東京ジャーミイ「ライラ」

ここでは日本人で異教徒の私も、イスラムの女性のようにスカーフを被り、静かに祈りを捧げましたが、あの頃はコロナもなく平和でした。トップの画像はスカーフを被った私ですが、まるで ねずみ男みたいやわ・・

番組で紹介された、世界三大料理と言われるトルコ料理が美味しそうで、一度は食べに行きたい、神戸だからお店は有る。のだけど、変わった料理には誰も付き合ってくれそうにないのが残念です。



これを書く前に、去年の11月のブログを見返しました。訪れた東京ジャーミーのモスクや六本木のキャンティのことなどは、今でもよく覚えています。しかし「11月のタローのライブと奈良のライブは、楽しくてこの先も忘れられない」と高らかに書いておきながら、奈良のライブの内容は、ろくに覚えていませんでした💦💦 もはや9カ月もたてば そんなもんか・・自分の乏しい記憶力が嫌になります

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キネマの神様、トートバッグ

2020年08月04日 | キネマの神様、2021年公開

J友さんから、Twitter情報をいただきました。有難うございます(*'▽')

銀座フェニックスプラザ
@phoenix_plaza 8月1日
先日は「キネマの神様」の撮影で山田 洋次様にお見えいただきました。とてもかわいらしいトートバックまでいただき有難う御座います。公開とても楽しみですね。

 

トートバッグは、映画グッズでしょうか、欲しいですね~!公開されたら、売り出されるのかも?来年との事ですが、一刻も早く公開されますように。

ところで、銀座フェニックスプラザって何?と思いました⇒ 銀座フェニックスプラザは、会議・研修・商談・催事・株主総会など様々なビジネスシーンや、イベントに対応できる最新設備を備えた300㎡を超えるイベントホールから、全7室の組合せ可能な大小会議室(40㎡~198㎡)を幅広くご利用いただけます。

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グラムロックと、ひょうきんベストテン「背中まで45分」

2020年08月03日 | JULIE メモリーズ

昨日のブログ、ラジオのミュージック写真館「1980年代の沢田研二」で、語られた内容⇒『「恋のバッドチューニング」♪は、1960年代後半に、イギリスを中心に人気を集めたグラムロックに影響を受けた1曲です。』

私は、グラムロックというと1970年代から始まった、と思っていたので調べてみました。すると、詳しく語られているサイトを見つけました、1960年代後半のTレックスからだそうです。ジュリーの画像もありました。 こちら⇒「デヴィッド・ボウイもジュリーも愛した、“グラムロック”の歴史」

※下の方にずーっとスクロールすると『ジュリーも清志郎も! グラムロックに影響を受けた日本人アーティストたち。 日本のデヴィット・ボウイといえば、沢田研二ことジュリー。1980年代の幕開けを象徴するテクノポップ、「TOKIO」で魅せた中性的なルックスと衣装は、スタイリストの早川タケジと意見を交換し合って作り上げたものだという。』



そして、家人が覚えていたというのに、この私が忘れていた、のりおさんが扮する「背中まで45分」。

オレたちひょうきん族では、ずいぶん笑わしてもらいました。私は「麗人」でのりおさんが、つけ毛をブンブン振り回していた方が記憶に強く残っているんですが、「背中まで45分」がYOUTUBEにありました~!こちら⇒ひょうきんベストテン 沢田研二(西川のりお)「背中まで45分」(3分25秒あたりから)

今年の3月にアップされたばかり、消える前に見て下さい。笑いました(^o^)丿 のりおさんの衣裳はジュリーの衣裳とソックリ。力也さんのちょっと恥ずかしそうなホタテマンに、鶴太郎さんの元気なマッチも面白かったな!と思い出しましたよ。

その時に流行っているネタのパロディ、その破壊的なまでの番組の勢いは、裏番組のTBS「ドリフの8時だよ全員集合」をマンネリ番組として終了に追い込ませ、同じくTBSの「The ベストテン」を笑い飛ばして、TBSはさっぱりの型無しです。

今の時代は、日本人の誰もが口ずさむようなヒット曲はないので「歌謡曲ベストテン」のような番組は作れず、しかも自粛ばっかりの手かせ足かせで、お笑い番組も製作しずらい世の中になりました。

しかし、歴史は繰り返す。「全員集合」を終了に追いやった「オレたちひょうきん族」は、1989年10月には「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」に返り討ちにあい終了。「カトちゃんケンちゃん」の視聴者の投稿ビデオコーナーが私は好きでした(^-^) 

こちらにその歴史⇒「土8戦争」

私が昔、大田区に住んでいた頃、1989年の9月頃?だったか、昼間の原宿で明石家さんまさんが「ひょうきん族」のロケをしているのに遭遇しました。白い上っ張りにモジャモジャの髪の毛、私が歩いていると、突然 道路わきの茂みから出現して、ビックリした~!

さんまさんはすぐ真横に私が立っているのに、当時すでに三十路の私よりも、キャーキャー騒ぐ若い10代の女の子二人連れにちょっかいをだしていました、しゃーないなぁ(笑) あれは「ひょうきん族」の番組終了も近い間際のロケやったんですね。

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中原秀一郎のミュージック写真館「TOKIOから40年、1980年代の沢田研二」

2020年08月02日 | TV・ラジオ・CM・映画

昨日、伊吹山のお花畑をハイキングした帰りの高速道路の車中、毎土曜日に放送しているABCラジオ「中原秀一郎のミュージック写真館」の特集は

「TOKIOから40年、1980年代の沢田研二。」えッ!ジュリーの特集!ラッキ~ 隣で運転中の旦那が、良かったね~っと笑っております。

土曜日の夕方5時頃に車に乗っていたら、必ず聴いているこの番組。流れるのは懐かしの名曲から、いま流行りの曲まで、パーソナリティーはどうやら私よりは少し上の年齢らしい。前にブログに書いた「24枚目の曲・ヤマトより愛をこめて」はこの番組で流してくれていた。(必ず、曲の作詞家、作曲家、編曲家、リリース年代まで詳しく紹介する)

番組内でいつも、人気アーティストを一人取り上げて特集する企画では、当然だけど すご~くそのアーティストを褒めるので、そこまで誉めそやすほど、凄いアーティトでもない。と思ったこともあったりして・・(^^ゞ

今回は1980年代前半のジュリーを取り上げたところが、他と違うと思う、この企画。マニアなファンなら番組で語られたことなどは、すでに知ってることが多いのだけれど、曲が影響を受けたサウンドまで語られたところが目新しかった。

ジュリーならば、真面目に耳を澄ませます!メモも用意して・・ ところが、道路交通情報がジュリーの歌声を度々邪魔をする、イラァ~ッ  おまけに、わざわざ車内でメモったのに、ラジコで再び聴けるやないか、な~んだ。(聞き逃しは3日まで) 

放送したその内容は、そこは間違えてる、と思う所もありました。



中原秀一郎のミュージック写真館
2020年8月1日
 
「TOKIOから40年、1980年代の沢田研二。」
「TOKIO♪」
この曲は1980年にリリースされたシングル。
作詞は糸井重里、作曲は加瀬邦彦、編曲は後藤次利
ジュリーの愛称で親しまれている沢田研二は
1967年、ザ・タイガースのボーカルとしてデビュー
現代も第一線で走り続ける、
トップアーティストの1人です。

TOKIOは沢田研二の代表曲、赤と白のパラシュートを
背負った派手な衣装と、当時の人気を集めていた
テクノポップサウンドで話題を集めました。
あの斬新な衣装はジュリーのアイデアで
当時の金額で250万円もかかったそうです。
沢田研二はTOKIOの大ヒットを皮切りに、次々と
話題のシングルをリリース、アーティストとして
新たなステージを迎えて、1980年代前半の歌謡界の
中心的存在として活躍しました。
そこで今日は「時代を変えた一曲、TOKIOから40年
1980年の沢田研二」と題して、1980年代の歌謡界を
代表するアーティスト、80年代ヒット曲を
聴いてまいりましょう。

お送りするのは「恋のバッドチューニング」♪
昭和55年、1980年にリリースされたシングルです。
作曲 加瀬邦彦、作詞は糸井重里。編曲は後藤次利
前の作品TOKIOから、わずか4カ月でリリースされた
シングルです。
TOKIOと同じスタッフで製作されました。
1960年代後半に、イギリスを中心に人気を集めた
グラムロックに影響を受けた1曲です。
沢田研二は白と黒のビニールで作ったスーツに
黒のサングラス、透明のギターを持って登場
途中でサングラスを取ると、瞳が青色になって
おりました~驚きましたね!
当時としては珍しいカラーコンタクトをつけていたんです。
ただし、まだカラーコンタクトの技術が
未熟だったため、長い時間つけているのが
無理だったそうです。
沢田研二はこの曲で、シングルの売上が
1000万枚を越える偉業を達成しました。

それではここで、沢田研二のプロフィールを
簡単に紹介しましょう。

昭和23年6月25日生れ、鳥取県出身
10代半ばから、京都や大阪を中心にバンドで活
動した後 上京、昭和42年、タイガースの
ボーカルとしてシングル「僕のマリー」
でデビュー、その後「シーサイドバウンド」
「モナリの微笑」など多くのヒット曲をはなちました。
昭和46年、タイガースの解散後、ソロアーティスト
として活動をスタート、
「時の過ぎ行くままに」「勝手にしやがれ」など次々にヒット曲を
リリースして、1970年代を代表するアーティストとして、
歌謡界を牽引。現在も第一線で活動を続けています。
私達の世代ではまさに永遠のスターですね。

今年、令和二年には、山田洋二監督のキネマ神様に
3月に亡くなった、志村けんの代役として
主演を務めることを表明して、話題を集めました。

次にお送りするのは沢田研二で「ストリッパー」
1981年にリリースされた沢田研二のシングル
作詞・三浦徳子(よしこ)作曲・沢田研二、
編曲・伊藤銀次です。
ストリッパーは当時テクノとともに、
アメリカやイギリスで人気を集めていた
ネオロカビリーから影響を受けたロックナンバー。
作曲はジュリー自身が手掛けています。
沢田研二は、この曲を自分の名義ではなく
ジュリー&エキゾティクスという名前でリリースしました
沢田研二はTOKIOのリリースのタイミングで
これまで、バックバンドとして楽曲の製作から
ライブでレコーディングで共演していた
井上バンドを解散。
80年からエキゾティクスを率いて活動していました
メンバーはベースでバンドリーダーの吉田建、
ギターの柴山和彦と、安田尚哉、キーボードの西平彰
ドラムスの上原裕の5人です。
全員、スタジオやライブで活躍するトップミュージシャンで

特に、吉田建と西平彰はともに作曲家・編曲家
プロデューサーとして、1990年代以降も多くの
アーティストを手掛けるようになっていきます。

次にお送りするのは「6番目のユウウツ」
1982年にリリースされたシングル、作詞は三浦徳子
作曲は西平彰、編曲は白井良明です。
同じ時期に人気を集めていた、デュラン・デュランや
カルチャークラブなど、イギリスの
ニューロマンティックに影響を受けた、
ダンサブルなロックチューン
サビの部分のハッハッハッという掛け声とともに
コブシを振り上げる振り付けが人気を集めました。

次にお送りするのは「晴れのちブルーボーイ」
1983年にリリースされたシングルです。
作詞は銀色夏男、作曲は大沢誉志幸、編曲は大村雅朗です
当時、人気を集めていたイギリスの
ニューロマンティックのバンドの
アダム・ジ・アンツに代表される
ジャングルビートを取り入れた一曲です。
この曲に合わせて演奏する時のセットは
ジャングルをイメージして作られ
沢田研二とエキゾティクスのメンバーは
軍隊のようなアーミールックで登場しました。

さて「時代を変えた一曲、1980年代の沢田研二」

最後にお送りするのは「背中まで45分」
1983年にリリース、作詞作曲は井上陽水、
1982年井上陽水が全曲作詞・作曲を手がけたアルバム

「MIS CAST」を製作。そのアルバムから
シングルにリリースされた、幻想的なバラードです。
チャートは最高20位と、大ヒットとは
なりませんでしたが、沢田研二の1980年代を
代表する曲として、現代も沢田研二の
多くのファンに愛されています。

この時間は1980年代の歌謡界を代表する
アーティストの、沢田研二をして紹介まいりました。
昭和55年のTOKIOからスタートして昭和58年の間に
12枚のシングルをリリースしました。

どの曲も楽曲はもちろんのこと、
ステージの演出や衣装、時代の最先端の
サウンドやファッションを取り入れて
新しい事に挑戦し続けた4年間でした。
その圧倒的なパフォーマンスによって
50年以上に渡る芸能の中でも、私達に
もっとも強烈な印象を残したのではないでしょうか。

1980年代前半は、元タイガースのジュリーを越えて
沢田研二という一人のアーティストが花開いた
時代だったのではないでしょうか
今までの殻を破るという事に、大胆に果敢に
挑戦した沢田研二、それを見事に成し遂げました。
改めて大きな拍手を送りたいですね。

この時間は「次代を変えた一曲、TOKIOから40年、1980年代の沢田研二」をお送りしました。






 

運転手が隣にいるので「6番目」で、ハッハッハッと ふり上げたいコブシを、振り上げられなかったのが残念でした。

影響を与えたという、アダム・ジ・アンツとか、デュラン・デュラン、カルチャークラブの名前がとても懐かしかった。パーソナリティの中原秀一郎さんは、昔はヤングリクエスト、ヤンリクを担当したこともあるそう。高校時代からずっと勉強もせず、夜中までヤンリクでジュリーの曲が流れるのを待ち続けた私には、あの頃の青春が蘇るようで懐かしいです。ヤンリクのお蔭で、幅広く洋楽も覚えました。

ただ、そこは間違っていると思ったのは、井上バンド解散後の80年のバンドは「オールウェイズ」次に「エキゾティクス(81~84年)」です。「オールウェイズ」は、吉田建さんが自ら経緯を語っていました。ジュリーのプロフィールでは、PYGが無視されていて、小さいことだけど気になりました。

80年代前半曲だけど「背中まで45分」は取り上げられないと思ったら、最後の曲が「背中まで45分」。幻想的な曲とのナレーションに、退廃的ではあるけれど、私はそういうイメージは持っていなかった・・、曲調やアレンジは確かに幻想的です。 

横で旦那が「西川のりおが歌っていたな~」っと笑う。この私が忘れていたことを、なんであんたが覚えているのよ! よっぽど印象的やったんやな・・

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「年をとるとアイドルの顔の区別がなくなるのはなぜ?」

2020年08月01日 | TV・ラジオ・CM・映画

J友さんから情報を頂きました。⇒こちら、GIRLS ROCK BEGINNINGS VOL.02 岸谷香[前編] 「人生最初の挫折がきっかけでオーディションへ」のところに、ジュリーの話題が


芳村さんが語るジュリー、こちら⇒ ジュリーのオーラは独特 「夜ヒット」芳村真理をうならせた沢田研二の存在感〈週刊朝日〉


プチプチジュリー

「チコちゃんに叱られる」で、ゲストの小堺一喜さんが「年をとるとアイドルの顔の区別がなくなるのはなぜ?」の問題に、

「タイガースとテンプターズの顔も覚えられない・・」などと話して、画面にはタイガースとテンプターズのレコードジャケットが映りました。

今のアイドルはともかく、GSの顔が覚えられないというのは、ウケ狙い?と思うけど、もはや高齢者にしか通じないネタでした💦

いや、でもほんとに今のアイドルの顔は覚えられません。ジャニーズ系の多さに韓流まで加わって、皆 同じお顔に見えますわ(-_-;) 女性アイドルもだけど、とにかく数が多すぎます。 昔の70年代アイドルは、こんなに数が多く無かったですよ。。人気は、飛びぬけたジュリーと新御三家以外は、他は小粒の印象でした。

で、「アイドルの顔が覚えられない」というその答えは簡単に言うと

「顔が外国人のように見えるから~」
若者の顔が区別しにくい=外国人の顔が区別しにくい

歳をとると、老人とばかりしか付き合わないから、外国人のように見えるのですって!下に説明を貼りましたが、説明が難しいわ~

それよりもチコちゃんが話した、見分けづらいもの「木の葉丼(かまぼこ)と、衣笠丼(お揚げ)」の答えに笑い、さらに

『京都八条口をまっすぐ行ったところの、肉がいっぱい入った他人丼のお店が美味しい』そこに食べに行きたい!ネット情報によると、烏丸東寺道の「殿田」というお店のようです。値段も安くて、行ってみたい(^-^)



「年をとるとアイドルの顔の区別がなくなるのはなぜ?」

「人種効果」という特殊な現象が若い人の顔の区別がつかなくなるということに関して、非常に大きな関わりを持ってくる。認知心理学でいう「人種効果」とは自分と同じ人種の顔を、他の人種の顔よりも早く正確に認識できる現象の事。

日本人は小さい時から日本人の顔をたくさん見て育つ。その時脳内の紡錘状回では、日本人の顔を基準とした顔の認識空間が作られています。例えば生まれてから日本人の家族と暮らし、ふだんの生活でも日本人に接することが多い子どもの場合、認識空間の中心は日本人の顔が集まり、接点の少ない外国人の顔は外側に分布。この時中心に近い顔ほど、正確に素早く認識することができる。ところが中心から遠いと、判断が雑になってしまって、自分の生活空間で目にする機会が少ない外国人の顔は認識が遅れる傾向にあるという研究結果。

なぜ年をとると若い人の顔が区別できなくなる?年をとるとつきあう人が同じ年齢層になってくる。若い人の顔を見る機会が激減してしまう。年をとると、先ほどの顔の認識空間の中心に日常で接する事の多い同じ年齢層の顔が多い。中心から離れたところにはふだん接する事の少ない若者の顔が分布。

年をとる→若者の顔が外国人と同じようになじみのない顔に見える。

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