(移転しました)Saoの猫日和/old

saoの猫日和のURLが変わりました。
⇒ https://blog.goo.ne.jp/saoneko0224

どくろ金魚草

2020年08月16日 | 花・ガーデニング

NHKの突撃カネオ君で、不思議な形の植物を特集していました。

ギョッ!としたのが、この画像

花の種ですが、まるきりドクロ💀そのもの! ヒヤ~気持ち悪~💦 っと思いながら見ていたら「これは金魚草の種です」え!うちでも金魚草を植えているけど、こんなドクロには気がついてないけど?!

こぼれ種で勝手に増える金魚草ですが、この暑さのせいで殆ど全滅(-_-;) 茶色く枯れてしまった、金魚草の種を探して見たけれど・・・ 

う~ん、顔のようには見えるかしら??近づきすぎて、画像がボケました(・・;)

どうやら、💀になるのは、背が高い切り花用の金魚草のようです。

我が家が植えているのは、背が低くく、枝垂れて木のようになる金魚草です。

9月にタネ撒きをすれば、花が咲くようなので、種を買って撒いて見ようかな!

💀楽しみで~す。



もみじ葉朝顔が、毎朝 沢山咲いています。

お盆提灯と、朝顔。


コメント

お盆提灯、8月15日

2020年08月15日 | TV・ラジオ・CM・映画

岐阜提灯をいただきました。内臓のLEDライトをつければ、灯りが灯ります。夜、日日草の花とともに映してみました。

提灯だから、釣る方がいいかな?と、改めて本日のお盆に、外のカポックの枝に吊ってみました。

早朝のラジオ体操の帰りという、お隣の奥様が見つけて、あら 綺麗ね✨と褒められ、どうやって光るの?と質問攻めにされました。

夜になれば、吊った提灯はどんな表情を見せるのか、日の暮れるのが待ちどうしかったくらいです。

本日はお盆。今年はコロナの影響で精霊流しが中止になってしまい残念に思いましたが、盆提灯の灯りが、空の上の亡き両親やじーさん、ばーさんに、この光りが届いたかと思います。素敵なプレゼントを有難うございました。


15日は終戦記念日でも有り、三浦春馬さんの遺作になった「太陽の子」を見ました。まさか、日本で戦時中に核爆弾を作っていたとは・・

 

京大の研究室で核爆弾を作る姿には、思わず「太陽を盗んだ男」の城戸誠と重ねてしまいました。戦争末期の物資のない中で、素人じみて見える実験の危うさには、手に汗を握りました。軍人で真っ直ぐな若者役の三浦さんが語る、「未来」という言葉の重さに心を刺され、海に入ろうとする場面の、危険で真にせまる演技に、その後の三浦さんを思って胸がつまりました。

二人に対して女性の世津は、戦争後の生活を語り、男性の二人とは見る目が違って、物語の一筋の光のようでした。最後に科学者の修が、原爆ドームの中に入ってゆく映像に、戦争は遠い過去ではない。現在とずーーっと繋がっていると思いました。大きな効果音など入れずに、あえて抑えた作りで時には淡々と物語は進みますが、ドラマが突きつけた事実は本当に苛酷で苛烈な現実でした。

コメント (2)

「だめだこりゃ」から「俺」へ

2020年08月15日 | 新聞・雑誌 記事

図書館に予約していた本が相次いで届きました。

いかりや長介さんの本「だめだこりゃ」から読み始める。ドリフが人気者になるまでに興味があった。ジュリーの名前は二か所に出てきました。

実は音楽はたいしてできず、笑いも素人からはじまったのがドリフターズだった。長介さんがバンドマンからドリフターズに加わったいきさつ。全員集合でネタ作りに追われた日々、メンバーの素顔など興味深い話ばかり。ビートルズ公演の前座に選ばれたのは、メインの前に場内を緩めるのでコミック的なものを入れる為で、実はビートルズに興味がなく、迷惑だった。

ジュリーとタイガースも話題の中に少しだけ出てきた。タイガースが出演する新宿ACBでは、店から新宿駅南口を越してUターンする行列ができて、文句なく一番人気だったのだとか。ドリフは人気はあったが、男性人気だったそうです。、

「全員集合」の数々のエピソードが面白かった。お馴染みコントでは、小学校の生徒役にジュリーも度々出て貰ったと書いてあった。もっとも、コントが上手いと思った歌手は和田アキ子、前川清、郷ひろみ、野口五郎の名前が上がっていたが、ジュリーの名前は無かった。

全員集合が終了後は、いかりやさんは俳優の道へ。1986年5月には、翌年の大河ドラマ主演・渡辺謙の「独眼竜正宗」に出演の記者会見・・ あれ、これは「はね駒」が放送中のころで、まさに 松浪先生が生徒たちの行く先を思い悩んでいた頃ではないか。

その頃、同時に渡辺謙さんはTVでは粗末な着物を着て、「はね駒」で丁稚働きをしていたのだ。渡辺謙さんは出てきた当初は、眼光は鋭いものの、痩せた青二才という感じだったのに、実はすでにあの若さで大河ドラマの主役が決まっていたのだ。それを知ったら急に、「はね駒」の謙さんに風格があるように見えてきた!なんとまあ、視聴者の見る目の変わりかたの早さよ・・。

とにかく、いかりや長介さんのお話は面白くて、スイスイ読めます。もう少しで読了・・

という時に、渡哲也さんの訃報が伝わった。78歳、まだまだ活躍をしていただきたかった。

近頃は松竹梅のCMで、故石原裕次郎さんと共演を果たしていた。しかし、渡さんは、にこやかな裕次郎さんの笑顔と並ぶと、その表情に年齢と積み重なった疲れと影が滲み出ていて、なんだか痛々しいような。そんな感想を抱かせた。

そういえば渡哲也さんの人生を描いた中古本を持っていたはず。買ってから、読まずに数年間も放置していたのを、積み重ねた本の塊の下から引っ張り出した。

(表紙の絵は、渡さん自身の日本画の模写)

いかりやさんの本は置いといて、急遽 渡さんの本にチェンジ。この本は渡さん自身に取材して書かれた本です。もし、亡くならなかったら・・この本はまだ積まれたままだったことだろう💦 ただいま、ザーっと読み飛ばしているところです。

映画界に入ったのは、弟の渡瀬さんが勝手に日活のオーディションに願書を送ったから。給料の高さに釣られて、映画俳優に。本当は安来市産まれなのに、石原裕次郎さんが神戸市出身なので、渡さんも兵庫県出身にされた。その裕次郎さんへの尊敬と傾倒。

病気のせいで大河ドラマの「勝海舟」を降板したのは、私も観ていたので覚えている。結局、大河ドラマの主演を演じることはなかったのが残念です。後年、信長役で出演はあったが、正直にいうと信長には年齢がいっていると私は思った。

見た目のとうり、いかにも生真面目そうな渡さんは、病気などなければ、もっと幅広い活躍ができたことだろう。誠に残念なことです。

下の浪花栄千子さんは、来季の朝ドラのモデルですが、放送はどうなることやら。

コメント

気になるGS「中原秀一郎のミュージック写真館」はGS特集

2020年08月13日 | タイガース・GS

「中原秀一郎のミュージック写真館」再び。

ABCラジオで、先々週の8月1日にジュリー特集をしてくれた「中原秀一郎のミュージック写真館」は、先週の8日の土曜日は「GS特集」でした。今度もラジコでアップされるのかと思って待ってたのに・・ あれ、今度はなかった??もう一度ラジコで詳しく聞きなおしたかった。

気になった箇所があったのに、聞きなおせなかったので、以下は記憶からです。



GS特集は、「ブルーコメッツを中心にして、GSの曲を聴く」というもの。

①ブルーコメッツ
元々は、歌手のバックバンドであったブルーコメッツは、メンバー全員が実力のあるバンドでした。1965年のデビューは洋楽のカバー「青い瞳」、「青い渚」。「ブルーシャトー」の大ヒットでレコード大賞を受賞。(3曲かかりました。)

②スパイダース
1965年「フリフリ」でデビュー。『夕陽が泣いている』の大ヒットで、人気グループサウンズの仲間入りをしました。かかったのは「夕陽」のみ

気になったのが、『夕陽が泣いている』の大ヒットで、人気グループサウンズの仲間入りをしましたという説明です。ブルコメよりもレコードデビューの時期は早いし、ブルコメとスパイダースが売れたことで、GSの人気が高まり、GSというジャンルが世間に認知されたのでは?すでに出来上がっていたGSというジャンルに、スパイダースが仲間入りしたような説明はおかしい?と気になって気になって~。もっとも私は、当時は小学生で10歳にも満たない、まるきり子供だったので、認識の間違いがあるのだろうか??

何か資料は無いのかと探してみました。ブルコメとスパイダースはGS界で抜きんでた人気と実力のあるバンドで、並んでいたはずです。下は1967年の、タイガースがデビュー後の、近代映画社の記事。少なくとも、記事では並び称されています。

他にもないのかと探していたら、2009年に出たグラフ誌を発掘。

表紙はタイガースだけど、中身の記事のページ数は多くは有りませんでした。

下のスパイダースの「夕陽が泣いている」の曲がカッコ良くて好きでした、もちろんブルコメのオジサンたちよりも。

若くてカッコイイ タイガースが登場したら、すっかりスパイダースもオジサンに見えました。

雑誌の中に寄稿している平安寿子さんの文章に、ほんとに共感できました!

書かれているとうり、いつの間にかこの年齢になってしまって。いまだにジュリーもタイガースも好きだけど、若い時には まさかこの年齢になってもキャーキャー言ってるなんて、考えもしませんでしたよ~(笑)


さて、ABC「中原秀一郎のミュージック写真館」のGS特集、続きです。

③タイガース
タイガースは沢田研二を中心に結成されたバンドです。流れた曲は「シーサイドバウンド」。またまた、「ジュリーが中心」という説明に、結成当初はそうでもなかった?と思ってしまいましたが、確かに中心には違いないです。

④ワイルドワンズ 「思い出の渚」が流れた。けど、紹介内容はもう忘れてしまいました・・ そういえば、二週間前の伊吹山の山頂で、君をみつけた~♪と海の歌が流れてきて、半世紀たってもワイルドワンズのこの曲は夏の大定番!不滅だわと思いました。

コメント (2)

奇跡の動画とは?!

2020年08月12日 | JULIE メモリーズ

コメ欄で教えていただきました。

「15日土曜日の世界一受けたい授業に原田マハさんが出るとのことです。」8月15日(土)19時56分より、日テレ「世界一受けたい授業」に原田マハが特別授業の講師として出演いたします。テーマは「日本を愛し、日本人に愛されたゴッホの魅力」。詳しい番組情報は、番組公式HPをご確認ください。想っていたのか… 皆さんはゴッホの人生に何を感じますか?

TV番組は「キネマの神様」とは無関係の内容のようですが、原田マハさんはお名前と何冊かの本を読んだのみなので、作家ご自身に興味があります。是非見ます!



 

私がネットを始めた当初から、ずーっと楽しみに拝見している、レトロメディア・囃ハルト商店さま⇒ 奇跡の動画

『この動画は僕にとって奇跡とも呼べる動画だ。
ザ・タイガースの外国曲のカバーは、殆どチェックしていたつもりだった。
だが、まさか「Touch Me」をカバーしていたとは!』

洋楽にたいした知識のない私は、「Touch Me」を知りませなんだ💦が、ハルト様の大興奮が伝わってきました!

そして、ついでに教えていただきました(^-^) これが超貴重なのは、私にもわかります! アレシオネさま、有難うございます✨⇒TV音源「虹のお祭広場」1970 年4月 23日放送

「虹のお祭り広場」は当時、私は観ていた記憶がありません。共演は藤岡琢也さん、ちあきなおみさん。この3人、意外過ぎると思う組合せですが、1970年当時なら意外じゃなかったんでしょう。今や聴きたくてもその歌声を聴くことができない、伝説の歌手となった ちあきなおみさんは、当時は間違いなく人気歌手でした。

タイガースとは離れ、ジュリーが単独で出演しているところに、GSというジャンルにかつての勢いが無くなっていることを暗示しています。

「月賦で中古車でも買えれば」と語るジュリーに「月賦」って言葉は、いつからローンに変わったのですかね?

番組を聴いていると、ゆっくり、ゆる~く時間が流れて、流れる曲もゆ~ったり。ああ、1970年の今から50年も前の番組やなぁ、と思いました。

ジュリーの話す声が若く、なんとなく頼りなく聴こえますが、洋楽を歌うジュリーの声はタイガースの初期からは、ずっと洗練されていて、成長していると思いました。必聴です

ただ、あれ?と思ったのは、ゲストの梓みちよさんが・・

画像は山本リンダさんだと思いますが・・

コメント (4)

チケットが届きました!

2020年08月11日 | JULIE

残暑お見舞いのお便りとともに、ライブチケットが届きました。

なんと1列のセンターで~す(^o^)丿キャァ~~~ッ

あぁ、一昨年の10月のドタキャン直後の、大阪狭山の一列以来の最前列!!地元とはいえ、神戸で一列なんて座ったことがありません!!

・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

はぁ・・ 

これが本物のチケットなら、跳び上がって喜んだことでしょうに。J友さん手作りの、2020年Help!Help!Help!幻のライブチケットでした。あとひと月足らずで、地元の神戸にジュリーは来てくれるはずでした。

幻のプラチナ・チケットとともに、新旧のジュリーがいっぱいの、お手製団扇も同封されていました。

最新の72歳マスクのジュリーと共に、70年代のジュリー。アロハジュリーが二人もいるので、つい見比べてしまいました(^^ゞ もちろん、どっちも好き♥ 右のジュリーは何年頃のジュリー?70年代初期頃かしら? 個性的な服がカッコイイ~✨

 

「Help!Help!Help!」の背景色は、猛暑の夏の緑陰のような、渋い色合いのモスグリーン。周囲のブルーの柄は、イスラムのモスクのタイルのようでエキゾチックで、70年代初めのポップなイメージも有ります。

2020年のライブは、いったい どんなセットリストになっていたんでしょうか?色々と想像しながら、おやすみなさい



 

コメント

3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100

2020年08月10日 | TV・ラジオ・CM・映画

TV東京「3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100」 番組が放送されることは知っていましたが、ジュリーは出るのかどうか? 新聞のTV欄に名前があったのを知らずに、阪神戦を見ていましたが、コメ欄で教えていただいて慌てて見ました。良かった~ お陰様で間に合いました(^-^) 


歌謡大賞の画像のようです「時の過ぎゆくままに」

もう出ないかと思い、阪神・Dena戦を見てましたが、阪神タイガースの旗色が悪し(-_-;) 継投の藤川~(ーー゛) また借金が増えました。💦

野球からTVを切り変えたら、玉置浩二さんなど2回登場する人もいるので、もしかして?と期待していたら「伝説のアイドル15連発!」の中で出ました。

「勝手にしやがれ」これも歌謡大賞の映像のようです

ジュリーファンもバッチリ写っていました。皆が白い服で応援しているファンが、けなげで可愛い。会場に行っていました!という方もお有りでしょうね。

近ごろの昔を振り返る歌謡番組は、80年代以降を取り上げることが多くて、もう70年代は遠すぎる昔なのかな、と寂しく思っていましたが、70年代の曲も沢山取り上げてくれました。

けっこう楽しく番組を観られたのは、70年代~80年代にヒットした知っている曲ばとかりということもありますが、アイドルも含めて 皆さんの歌が上手かったからです。

この春に亡くなった大林監督が、1984年にご家族とカラオケで歌う姿が流れましたが、意外にも良い声で歌がお上手でした。

そういえば日本映画専門チャンネルで大林監督の「恋人よ、われに帰れ」が放送されます。

恋人よ、われに帰れ(主演・沢田研二)
2020年8月14日(金)14:40
2020年4月にこの世を去った大林宣彦監督作品。沢田研二、大竹しのぶ、泉谷しげる、風吹ジュンと錚々たる顔ぶれ。尾道映画祭2018クロージング作品。

コメント (7)

第48回、その② 松浪先生は去って行きました

2020年08月09日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉



朝になり、うたたねをしているおりんが目を覚ますと、布団の中に先生の姿は無かった。


(り)先生
(ふすまを開けると、松浪が立っていた。)


(松)おはよう
(り)起きたりなんかして、大丈夫なんですか?先生。
(松)いつまでも寝ていては本当の病人になってしまうからね。もう大丈夫だ。


(り)先生
(松)夕べは部屋の中に誰もいなくて、静かでよく眠れたよ。
微笑むおりん
(松)知らないうちに、庭がすっかり秋になってしまった。このところ、ゆっくり庭を見る暇もなくて


(り)お忙しかったから。
(松)いくら忙しいからって、庭を見る暇もないような、季節の移り変わりに気がつかないような、そんな人間になってはいけないね。自分がそんな人間になっていた事に気がつかなかった。己惚れていたんだね。
(り)先生、もうお休みになった方がいいです。また疲れますから。
(松)夕べは有難う、怪我は?
(り)あぁ、もう固まって・・


(そっと傷口を見る、松浪先生)
(松)君が塀を乗り越える、勇ましい姿を見られなかったのは残念だよ。
(り)お望みならいつでも越えて見せます。まだ卒業まで何年も有ります。
(松)学校を辞めるよ。今年いっぱいで、あの学校の教師を辞める決心をした。もう一度、自分という人間を確かめてみるためにね。


(り)あんなくだらない噂なんか誰も信じてなんかいません!何も気にする事なんかないんです。あんなバカげた噂!


(松)しかし、そういう噂をたてられたという、そのことに僕はショックを受けた。その噂が拡がったその事実に呆然としてしまった。そんな噂をたてられるようないかがわしさが、そんな噂が広がっていくような、そんな軽薄さが僕の中にあったという事に、うろたえてしまった。
そうか、他人から見れば 僕はまだそんな人間にしか過ぎないのか。


(り)そんな汚い目なんか!
(松)いや、本当に人間として立派であれば、汚い目の方で恥じてくれる。もう一度勉強しなおし、主の  み教えを説くに相応しい人間になるために、僕は学校を辞める。


イギリスのエジンバラという街の大学で、僕の宗教上の恩師が教鞭をとっておられる。以前から、もう一度  教義の勉強をしてみないかと、お誘いを受けていたんだ。
(り)先生、外国へ行ってしまうんですか!
(松)だから、残念ながら君が塀を乗り越える、勇ましい姿はもう見せてもらえない。


涙を流すおりん。


トボトボと帰ろうとすると、学校の前で母が待っていた。


(母)早く中に入んな、今なら誰にも気ずかれないから。気ずかれたら、一緒に言い訳してやっぺと思って待ってたんだ。
(り)母ちゃん・・
(母)今日で母ちゃん、相馬さ帰っぺから。おりん、母ちゃん おめえを信用してっから。信用できるような娘に育てたと思ってっから。それだけは覚えててくれ。母ちゃんができることはそれだけだ、あとはお前が考えたとうりにやってみな。先生は元気になられたかい?
(り)先生は、イギリスに行ってしまうの。
イギリスに行ってしまうの。
先生が行ってしまうんだよ!

(母の八重に取りすがり、泣くおりん。)

 

松浪先生は二学期の授業を終え、クリスマスを待たずに 学校を去る事になりました。

(みどり)私、松浪先生のいない学校なんて、辞めちゃうわ

 

讃美歌の流れる中、おりんの松浪との記憶が蘇る
初めて見た日の松浪、誰にも優しい松浪の姿。

 

松浪先生を思いながら、聖書の一節を唱える、おりん

愛は偲ぶことをなし、また 人の域を測るなり。
愛は妬まず、ほこらず、たかぶらず
非礼を行わず、己の利を求めず
軽々しく怒らず、人の悪しきを思わず
愛は偲ぶ事をなし
また 人のいきを測るなり
愛は妬まず ほこらず 高ぶらず
非礼を行わず、己の利を求めず

 

独り静かに学校を去ってゆく松浪先生。

松浪は一冊の讃美歌集を残して、りんから去って行きました。りんの初恋と少女期との別れでした。

 




誤解を受けたことを良しとせず、学校を去っていった松浪先生の、雪の中の孤独な後ろ姿が寂しい。ただ生徒のことを思い行動した先生が、追われるように去る事になるなんて。

私利私欲というものがなく、誠実で清廉で、誰にも優しく暖かい松浪先生という人物は、それまでのジュリーが演じた事の無いキャラクターでした。映画等では、エキセントリックな役柄で、個性が光る作品が印象に強いジュリーに、この松浪先生という役が与えられたのは、ジュリーの生来が持つ、清潔感からかと思いました。例え泥にまみれても、その芯は汚されることがないジュリーだからこその松浪先生でした。

今回、改めてじっくり見られて良かった。数十年ぶりに見た今回の放送で、真面目で清廉な人柄で有りながら、時におりんを見つめる眼差しに宿る強い光に撃たれて、ジュリ~♪と何度もドキドキしました!

前回の1986年の放送当時には、ナベプロを離れ、仕事を休み、週刊誌に追いかけられるジュリーを、例えドラマとはいえ、役柄とはいえ、真正面から何も考えずに受け取めることが、難しいと思いました。あれほど華やかに派手に歌謡界に君臨していたジュリーは、すでに38歳。松浪先生の表情には時に疲れた陰りが見え、冴えないと思う時がありました。

時は1986年から2020年へ。私はすでに還暦を過ぎ、大人の機微も少しはわかるようになり、1986年の悩めるジュリー自身が今はすっかり過去のことになりました。

今は何の屈託もなく、フィルターを通さずに見ることができる松浪先生は、優しく暖かく、誠に清らかな聖人君子なのに、隠しても隠しても 隠しきれない生来の色気が滲み出て、還暦を過ぎたこの胸を新たに高鳴らせてくれました♥

ジュリーの持つ陰りが、松浪先生という人物像に、より一層の深みと陰影を加えて、聖人と言うだけではない、悩める人間的な松浪先生を作り出して魅力的でした。

2020年のコロナ禍の下で、松浪先生は一風の柔らかい風のようでした。本当に、今、見られて良かったです✨

コメント (7)

第48回、その① 松浪先生は去って行きました

2020年08月07日 | 「はね駒」松浪先生のお言葉

「松浪先生のお言葉」お久しぶりの更新です。松浪先生の出番は第48回を限りに終わります。(この後は回想シーンなど)お別れが寂しくて伸ばし伸ばし、更新が遅くなるばかりでしたが、いい加減にこの辺で しばしのお別れをすることにします。

まだ子供だと思っていた おりんちゃんの、松浪先生への思わぬ積極的で真摯な尊敬と愛情と、それに対する松浪先生の何かを秘めた強い眼差しが交錯して、思わずドキドキする展開になりました。

二人の心の内を物語るような、背景に流れる哀切な音楽が いっそう切なく響いて、二人の姿を見守る私達も心の動揺が止まらない。病に倒れた傷心の松浪先生の綺麗な寝顔が、この物語の行方を いっそう不安にさせる美しさでした。




前回、おりんは、病に倒れた松浪先生を心配し、先生宅で看病しようとするが、母には「人には節度というものが有る」と言われ、先生には「ここにいてはいけない。帰りなさい」と強く諭される。

松浪先生の家の前で、帰ろうとしない おりんを気遣う母の八重。

(り)母ちゃんが私に言いました。人には節度ってものがあるんだって。母ちゃんがここに来たら、きっと私を𠮟ると思います。ぶたれるかもしれません。ほんでも私はいいます。ぶたれても来ます!

(松)帰りなさい。

(り)先生!
親に背いてはいけない、お母さんのおっしゃることを大事にしなさい。


(り)先生!
わたし、今、親の言う事よりも先生の方が大事です。
先生、目をつぶって下さい。
そしたら私の事見えないでしょ。私、黙ってます。私何も言いません。見えなくて声も聴こえなければ、いないのと同じでしょ。

(先生の側から、離れて座るおりん。)

私はここにこうして黙っています。私はいません。先生、目をつむっていて下さい。ここには誰もいません。
(布団から起き上がる松浪先生。)

(り)先生起きてはダメです。ダメ!
あ、先生 ダメです。
(おりんの腕を掴む先生、切ないメロディーが流れる。驚くおりんを、じっと見つめる先生。)


(見つめたあと、我に返ったように)


(松)いない人間が手を出しちゃダメじゃないか。
再び、横になり目を閉じる。


(り)先生・・
(流れる切ないメロディーが、おりんの心の内を語るかのよう。)

そっと立ち去る、母の八重。
(八重)自分独りでおっきくなったような顔をして、エラそうに。


涙をこらえる母。



続く

コメント

渚のラブレターバンド

2020年08月07日 | JULIE メモリーズ

8月2日の『中原秀一郎のミュージック写真館「TOKIOから40年、1980年代の沢田研二」』の中で語られていて、以下は おかしいと思った箇所

『沢田研二はTOKIOのリリースのタイミングで、これまで、バックバンドとして楽曲の製作から、ライブでレコーディングで共演していた井上バンドを解散。
80年からエキゾティクスを率いて活動していました。メンバーはベースでバンドリーダーの吉田建、ギターの柴山和彦と、安田尚哉、キーボードの西平彰、ドラムスの上原裕の5人です。』


正確には、井上バンドから80年にバンドは「オールウェイズ」に変わり、さらに翌1981年に「渚のラブレター」の時に「エキゾティクス」に変わりました。

J友さんから⇒『大人の事情があったそうですが、一時「渚のラブレターバンド」と称していたのは、TVで「渚のラブレター」を披露する時に、命名が間に合わなかったからだとジュリーがTVで話していたそうです。「バイバイジェラシーバンド」はスポンサーの事情ですが、「夜ヒット」のDVDに収録されているのはラッキーです。』

ついでに「吉田建さんは健さんではありません。お名前の由来はお父さまが、でぇく(大工)だったから」とお知らせを頂きました。訂正しておきますm(__)m

コメ欄には⇒『バイバイジェラシーバンドは、夜ヒットのスポンサーがライバル会社の化粧品会社の為に「渚のラブレター」が歌え無くてB面の「バイバイジェラシー」を、歌った為やったと思います😅夜ヒットのDVDの「バイバイジェラシー」歌詞がズタボロですわ😶』だそうです。

夜ヒットのDVD、わたしは もう長い事見てないです。

ジュリーは長い事、CMソングを歌う事に抵抗があったようですが、まさか「夜ヒット」で歌えないとは考えていなかったでしょうね。1981年5月頃

 

コメント (2)