商店街を通り抜けて少し歩けばコリアンタウンに行けるはず、と遠い記憶をよみがえらせた。
商店街を、抜けると大通りを左に確か市場があったはず、でもその前に旨いお好み焼き屋さんが。
ちゃんと案内板もできてる。
最近はいろいろな店が出来ているようだけど、昔からの店もあったし、梨や桃のジュースも、激辛のインスタントラーメンも買えたし満足満足。
裏道を通って鶴橋のガードしたに到着。ちょっと長い距離にかんじたのはとしのせいなんだろうな。
河原町塩小路から八条口に向かう国鉄の高架、いわゆる「たかばし」にある新福菜館はネギ入れ放題で有名だったけど、京橋の店では100円のトッピングになったようだ。なんだか寂しくなった。
でも、
今どき珍しくもなくなった水だし珈琲のセットもそのまま、味はブレンドでお任せ、ありきたりのお店だけど、何故かほっとする。
外から見ただけならここが酒屋だとは知らずに通りすぎる人もいそうだけと、中で立ち飲みできる貴重なお店。
鯖寿司がうまい店
映画館に古本屋。昔の京都なんだよね。
そしてカラフルな果物屋さん
日本酒にとっても良くあう湯葉のお店を教えてもらったが、そこは教えないでおきます。
自分の意見を貫くのと、自分の意見を押し通すのとでは少しイメージが違いますよね。
かたや信念の人、かたや強引な人、同じことを話していても受け手によって作られるイメージもありますね。とくに反対の意見を持っている人には・・。
僕なんかわがままで強引に自分の思い道理にしようとするタイプですから「ミニ小沢」とカゲでいわれているらしいです。
議論は好きですが、女性と議論する場合、感情が入りすぎるのには自分でも閉口するときがあります。
私は腹が立って、「反省会は当日しないと決めたでしょう!」といいましたが、心の中では思っていても、言葉に出して同調してくれる人はだれもいませんというあなたの意見には考えさせられることがたくさんあります。
腹が立ったときにそのまま自分の思いをぶつけるという文化は日本にはないのだそうです。腹が煮えくりかえっていても笑顔でいることが美徳とされ、腹芸のできる人を賢人と呼ぶのが日本の風習です。僕にはできませんが・・。
知らない間に大人ってだんだん強くなっていく・・・(笑)
強くなりたい、ならねばならない。と思いすぎないことも大切なのかも・・。
柔らかな草は風になびきますが、堅くなった木は強い風で折れてしまいます。
TVの番組の中である夫人が、日本人の会議は権力のある人に皆流れるように同調して、自分の意見を言える人がいないというようなことを言っていましたが、全くその通りだなと思いました。はっきり物を言うおもしろい人ですね。でも忖度される立ち位置の人なのですよね。
自分の意見があっていえないのなら、まだまだ日本は捨てたものではないのです。
自分の意見すら持たない人が増えているような気がします。賛否の基準が発言者の権威に左右されていることもあるし、単に好悪の感情の問題にすり替えられていることもありますよね。
優しい気遣いと思いやりが和の心ですから・・。
否定的な意見はいつも堂々と簡単にいってるけど、人のために建設的で前向きな意見を信念を持っていえる人は、本当に少ないですね。
たしか日本の野球とアメリカのベースボールを比較した人がチームにおける意見の出し方の違いが文化の違いになるというようなことを行ってましたよ。ベネディクトさんの菊と刀だったかな。
議論をするときのお互いの信頼感が重要ですね。信頼感のないもの同士の議論は不毛で悲しい茶番劇ですよ。
「保護者と議論ができるだけの信頼関係を作ってください」このごろ僕が先生たちに説教している言葉です。