新しいコンピューターが学校現場にどんどん入るということですよね。
それも最新のものなのでしょう。
何も先生たちが、困ることなどない、すぐに子どもたちは活用できるようになるし、最新の機械が入って先生も楽になるはず(笑)ですよね。
これが一般的な世論で、あなたたちがブラックだと思ってしまう側面なのですよね。小学校の先生って文系の先生が多いのですよね。
新しい技術を、それも子どもたちに教えられるだけのスキルを「すぐに」身につけなくてはならないという状況が「ギガスクール構想」って感じてしまうのかもしれませんね。
コロナ禍だから教科指導に使う部分はなんとかなるしと思っている先生も多いかも、ですが、厄介なのは、これからの時代は、セキュリティとモラルの時代だと言われていることです。
小学校、高校は総合と情報科で対応できる余地はありますが、ネックになるのは、中学のカリキュラムに情報教育を、どう位置づけ、誰が行うかですよね。
教科がない、位置づけがなければ誰も余分なことはやりたくない、働き方改革の時代ですから。専門家を入れて欲しいと考えるわけですよね。
例えばセキュリティ指導用の教育コンテンツを企業が無料配信しても、受け取る側の学校にその担当者も専門的な知識を持った先生もいなければ、ギガ構想も絵に描いた餅になりますよね。
こうした情報がすぐに学校現場にフィードバックできない状況のなのに、パソコンは一人一台すぐに配られていきます。
中学では技術の先生を除くと、教科担任のなかで、操作スキルの高い先生が情報担当になることが多いといわれていますが、そうした先生の負担や負担感は大きいと思います。
公立の中学が日本の情報教育のデッドロックになっていると言われる理由がそこにあります。公立の中学の技術科の先生の採用枠はほとんどないのです。
構造的な課題で、「ズーと前から中学校には技術の先生はいても情報の専門の先生は少ない」のです。
公立の小学校でも「道徳」の担当の先生はいても、教科道徳の専門の先生は少ないのですが、学級担任が「道徳」を持つことが普通なので見えにくいだけなのです。免許は「小学校」というくくりで「小学校社会」というかたちではないのです。中学や高校は「中学国語」とか「高校情報」と細かくわかれてます。
「中学情報」という免許がないので、専門家はいない、ということなのです。「高校情報」の免許を持っていても、「中学技術」の免許がなければ、ということになります。
教科担任制では、その教科の先生が「専門性をいかす」ので、公立の中学校の情報教育は、本来技術科の先生が行うはずなのですが、できる人がいない場合もあるわけです。
慢性的な構造課題とは、専門的な知識や技術が必要な状況になれば、まず、ツールを導入するから、今の人数のままで、個の教師の力量やスキルを上げろという体質や教師間でのcommunicationの希薄化あたりなのでしょうか。
無言でタイピングの音だけが聞こえる職員室。。。怖いですね。
基本的に管理する、されることに拒否反応を示すことが多い教育現場で、管理するためのツールがネットワークであり、その端末がコンピューターやタブレットだということを理解できるまではもう少し時間がかかるのでしょうね。