昨日、退院しました。
退院祝に美味しい大阪の野菜寿司を頂きました。
過日、救急車で運ばれました。
心筋梗塞はこれで20年ぶり2回目です。
20年前の真面目な小学校教員当時は酒とタバコとラーメンに不摂生と寝不足、早グソ早飯が重なる生活を長くやり続けてきたから心臓の血管が針のように細くなってました。
当時は過労死ラインとか気にもしていませんでした。
一回目のときは担任していた子どもの父親に運ばれ、今度は娘の友達に運ばれました。地方の小さな街でずーと教員をしているとこんなこともあるのですね。
入院即手術、ふるくなったステントという機具に赤虫大の血栓が絡みついているということで血管を風船で広げ古くなったステントとそこに引っかかっているアカムシみたいな血栓を取り外し、新しい太いステントを組込むというまるで詰まった下水道管を新しく作り直すような作業を腕の動脈から入れたクダから操作します。
前のときは完全に意識がなかったのですが、今回は意識があり、手術を担当するチームがみんな20歳台ぐらいで執刀するのは医師はイヤフォンとマスクをつけています。
これって上級者に遠隔で指示を受けながらの執刀??ヤバいと思ったのですがどうしようもないのでゲーム世代のskillを期待することにしました。
いちいちマイクで相談しながら勧めていく執刀医とその前にある大型モニターをまるでテレビドラマを見るように見ていました。
ステントの交換は一つの山場だったようです。手術中の会話が聞こえて、えっとか、難しいかもとか、隠語もないのである程度患者が理解できると不安が増幅しますよね。
先生はオペとして割り切って取り組んでくれる現代の若者なのですよね。
時計はなかったのですが結構時間のかかった手術が終了、絶対安全、何も動かせない24時間が続きます。
前回の時はこの時意識が戻ったのですが、前回は、すっ裸で足元に血の流れを止めない空気ボンブみたいな機械があり、スッ裸で手術台の上にいました。
鼻や腕の間などからパイプがでて、体中にシール貼られ電線が繋がっている状況はそれほど大きくはかわっていませんでした。
大きな足元の機械は白をビンクで縁取りしたかわいい配色の足にフィットするロングソックスになっていました。
スッボンボンではなく紙おむつでした。着ていたGapのアウターはハサミで一刀両断でしたが、かわりに水色のストライプの手術着を着せてもらえました。
仕切りはあるもののICUも相部屋みたいでした。
しせんを彷徨ったと言ってもラーメンを食べに集った人たちではないので、色々な声や叫びが一晩中響きます。
家で鶯がうるさいなと思っていたのとは大違いです。
何が困ったか、紙オムツに上向きで寝ながらおしっこすることでした。結局できたのは座位(ベットの高さを変え持たれること)て尿瓶を使うことができてからでした。大便も3日に下剤を貰い4日目でようやくでした。
減塩食ですから美味いとは言えません、なのに毎食1膳ヌルヌルの白米がつきます。なんとか交渉して、朝はパン食にかえてもらえました。
早く戻る気満々でしたが、毎日行われる血液検査で、右手に針が刺さります。左手はずーと点滴の針が入ったままなので寝返りも打てません。拷問みたいです。
ただ、ここは医師もそうでしたが、看護師さんが若くて優しいのです。美男美女が多いのもとても新鮮です。
僕が学校に勤めていたせいか、教職よりブラックだと思うのだけど若い人たちに介護の方が人気があるのは、「感謝されている」という実感があるからなのでしょうね。「感謝されていない」と最近の先生たちは感じているようで、少し寂しい思いがあります。
心臓エコーの時「ドキドキ」しますかと聞かれたので「してません」と答えたのですが、「それでは暗くします」と言われた瞬間、ドキドキしますと言ったらスルーされました。
薄暗い部屋でかわいい女の子に脈を測られたら昭和の老人は心電図に異常が出てあたりまえですよね。
こんな事ばかり考えていたから
早く退院することができたのかもしれません笑
退院して、美味しい食べものを食べた時、また、生きていたいって思うことができました。