総合的な学習の時間の授業研究を行うなかで、
知識基盤社会から情報基盤社会での情報リテラシーが必要になる時代での教育を考える必要がある。と考えてきました。
多様で大量な情報や知識を用いて、自分たちの目の前に広がる未知の地平での出来事にどのように対処し、よりベターな社会を構成するために協働することの大切さは、教科という枠にとらわれない総合的な学習の時間という学習の中でこそ学ぶことができると信じて取り組んできたのかも知れません。
知らないことを知る喜びは小学校で大切にしなければならない学びの一つなのですが、知識獲得のハウツーのみで終る教科指導や指導書と呼ばれる最低限のマニュアルに従うだけの授業は、僕にとっては退屈な物足りないものだったのです。
公立学校の教員という限られた制限の中で、子どもたちも、僕も自由になれる時間、それが総合的な学習の時間や生活科の時間だったように思ういます。
将来子どもたちが生きる時代に必要なスキルとしての教科学習は、学歴社会の中では、単なる素点の多い少ないが評価の対象となる点数至上主義としては機能してきたとおもいますが、もし、グローバル化というスローガンのもと学歴至上社会への見直しがすすめば、教科という日本独特の分類(個々の国が独特の分類をしているという大前提)についても見直しがすすむのは必然であり、高校の探求や教科内容の再編成は行うべくして起きている現実なのですが、あなたの言うように教える側の意識が変化しなければ、なにも変わらないかも、知れませんね。
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