老醜と言うものは老いさらばえてから表出するものでは必ずしもないように思います。
あるポジションを得て一定の安定感が得られると、年齢に関わりなく始まるように思います。
老醜が始まると、人は自分よりも力のある人間にであった時、最初は攻撃してきます。それで相手が、折れると、ますますマウントをとろうとする悲しい習性があるようです。
自分のできないことをやることができる部下や後輩はある意味出る杭なのですよね。
物事の判断が曖昧になり、出る杭を叩くことが、さも「鍛え」や「指導」と混同して、それがが保身なんだと気づかなくなるようです。
そんなかわいそうな上司はいつか破綻します。根っこは醜い嫉妬かな笑
そんなこと頭ではわかってても悔しく
情けなくて、胸ぐらをつかんで殴ろうと思ったことがありました。
「そんなやつに自分の人生をかけるのか」と話を聞いてくれた先輩がボソッっとタバコの煙のむこうでいいました。
毎日堪え忍んだ風景のなかで見えた景色は忘れなくてもいいけど、もっと違う景色を見ようとする気持ちだけはわすれないほうがいいよ
勝たんでもええなど、負けたらアカンで。
負けへんかったら権威でしか物事の判断ができひん連中はだんだん弱くなっていくからな。
負けたらあかんで‼️
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