クラシック音楽の世界の偉い作曲家に対して、偉大さは認めるけれど、どうも偏見の目で見てしまうことがあります。私の場合、例えばストラヴィンスキーがそうです。「火の鳥」「春の祭典」「プルチネルラ」「ミューズを率いるアポロ」等の作曲家として、20世紀における巨大な足跡を認めるにやぶさかではないけれど、素人音楽愛好家の勝手な思い込みで、どうも私とは合わない人だなあと感じてしまっている理由は(^o^)/
などでしょうか。
まあ、作曲家の人間性を云々するのは野暮な話だとは思いますが、人にはやっぱり好き嫌いの感情があり、偉い人だとは思うけれどお友達にはなりたくないタイプだと感じるのは自由だろうと思ってしまうのです(^o^)/
画像は最初に購入したストラヴィンスキーのLPレコードで、ストコフスキーが指揮した「火の鳥、ペトルーシュカ」の廉価盤。懐かしい。
【追記】
Youtube で「ペトルーシュカ」の録音を見つけました。すでにパブリック・ドメインになっている1957年の録音で、ストコフスキー指揮ベルリン・フィルによる、まさにこのLPの演奏です。
Stravinsky Petrushka Berlin Philharmonic Leopold Stokowski
(*1): ストラヴィンスキー「春の祭典」を聴く〜「電網郊外散歩道」2021年6月
- バロック時代の作曲家ヴィヴァルディを「同じ曲を何度も作曲し直した人」と酷評。聖ピエタ救貧院で少女たちに音楽を教え演奏を指導した立場の作曲家を揶揄する傲岸さを感じてしまう。
- オーケストラのヴァイオリン奏者だったオーマンディが、病に倒れた指揮者の代役で指揮台に立つようになったけれど、オペラの経験がないためにオペラを振ることはなく、録音したのはヨハン・シュトラウスの「こうもり」だけだったことをとらえ、「ヨハン・シュトラウスの理想的指揮者」と皮肉ったそうな。他人を見下しバカにする性格かと思ってしまう。
- 「春の祭典」を作曲するもとになった中心的なイメージは、28歳の時に見た幻影「「輪になって座った長老たちが死ぬまで踊る若い娘を見守る異教の儀式」から着想を得たのだとのこと。もしこれが現実のものであれば、パワハラ・セクハラの極致と言うべきでしょう。あまり趣味の良いものではないと感じてしまう(*1)。
などでしょうか。
まあ、作曲家の人間性を云々するのは野暮な話だとは思いますが、人にはやっぱり好き嫌いの感情があり、偉い人だとは思うけれどお友達にはなりたくないタイプだと感じるのは自由だろうと思ってしまうのです(^o^)/
画像は最初に購入したストラヴィンスキーのLPレコードで、ストコフスキーが指揮した「火の鳥、ペトルーシュカ」の廉価盤。懐かしい。
【追記】
Youtube で「ペトルーシュカ」の録音を見つけました。すでにパブリック・ドメインになっている1957年の録音で、ストコフスキー指揮ベルリン・フィルによる、まさにこのLPの演奏です。
Stravinsky Petrushka Berlin Philharmonic Leopold Stokowski
(*1): ストラヴィンスキー「春の祭典」を聴く〜「電網郊外散歩道」2021年6月
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