1月30日はくもの命日でした。
でも思い出に浸る間もなく、あっという間に3週間が過ぎてしまった。ノラの相手をしていると次から次へと変化が起こって、落ち着く暇もありません。しかも出会いと別れの連続だし、その一匹一匹に情が移ればいちいち気になって、余程の信念とタフなマインドがないと続かない。保護活動のボラさんたちにはただただ敬意です。
わが家に来た頃のくも(隣はハナ)
自分も自己流ではあるけど実際にノラ保護を試みて、その大変さが身に染みています。単に物理的経済的に大変なだけでなく、誰のためにやるのか、ノラの幸せとは何か、といった倫理的な問題が常につきまとうからです。ノラは何も言わない。でも答えを出さなければ前に進めない。しかも保護活動を続けるその一方で横行する猫捨て。保護活動は、"やる気"を維持するだけでも大変なのです。
その反面、それまでは単なる"ノラ"だった存在が、実は人間と同じように心を通わすことができて、その一匹一匹に人生(猫生)があることも知った。そして、彼らには悪意とか邪心というものがない、とてもピュアな存在であることに感動すら覚えるのです。
ネットで調べれば、猫が嫉妬したという話は山ほど出てきます。人間と同じでとんでもない焼きもちの持ち主だと。でも、それは如何にも人間的な見方なのかもしれない。何故なら脳科学者や動物学者によれば、猫には罪悪感、嫉妬心、憎しみ、羞恥心、それに貪欲といった感情がないのだそうだ。
そもそもこんなことを調べ始めたのは、みうや黄チビを追いかけ回すニャーが、イエチビからは逃げ回ったその違いと理由を知りたかった。みうを追い回すニャーの行動が、妻には"焼きもち"に見えるらしいのです。
そんなこと考える必要もなかったのが、くものいた時代だった。
くもが家に来たときはハナとテツがいて、それに文太(ワンコ)もいた。くもが来て5年ほどの間に文太がガンで亡くなり、3人の子供たちが家を出たのでその後の10年は夫婦と3匹の暮らしでした。くもが晩年になるまで、夫婦にはそれぞれ仕事があって夜も遅かった。
くも1才の頃
そんな事情で、ニャンコたちの世話はあっさりとしたもんでした。トイレは3匹でひとつ、食事も一緒で1日2回限定。ただし夫婦の食事の時間は3匹の無心に負けて、わざわざ塩抜きを用意するほど甘やかしてました。まあ、食事の相手は多い方が楽しいので。
その3匹の関係については、保護者が気を遣ったことは一度もなかった。くもはわが家に来たその日から先住2匹にやさしく迎えられ、そして慕った。そのうち殆どの時間を2階の和室で過ごすようになっても、他の2匹との交流は続いた。とにかく平和で穏やかで手も掛からなかったので、ニャンコなんてそういうもんだと思っていたのです。
くもとテツ(2階の和室にて、くも13才)
でもそれは結局、くもやテツやハナが他の世界を知らなかったというだけなんだよな。3匹がニャーやみうのようにもっと広い世界を経験していたなら、きっとわが家での生活も違っていただろう。彼らが外界を知らなかったおかげで保護者は楽できたけど、彼ら自身はそれで幸せだったのだろうか。その答えは、ニャーとみうがこれから出してくれるのかもしれません。
今回は取り留めのない内容ですみません。でも、このところお世話しているノラたちの行く末を案じて神経を擦り減らしていたので、くもの命日をきっかけに多少なりとも充電することができました。
最後の入院する2週間前(くも15才)
でも思い出に浸る間もなく、あっという間に3週間が過ぎてしまった。ノラの相手をしていると次から次へと変化が起こって、落ち着く暇もありません。しかも出会いと別れの連続だし、その一匹一匹に情が移ればいちいち気になって、余程の信念とタフなマインドがないと続かない。保護活動のボラさんたちにはただただ敬意です。
わが家に来た頃のくも(隣はハナ)
自分も自己流ではあるけど実際にノラ保護を試みて、その大変さが身に染みています。単に物理的経済的に大変なだけでなく、誰のためにやるのか、ノラの幸せとは何か、といった倫理的な問題が常につきまとうからです。ノラは何も言わない。でも答えを出さなければ前に進めない。しかも保護活動を続けるその一方で横行する猫捨て。保護活動は、"やる気"を維持するだけでも大変なのです。
その反面、それまでは単なる"ノラ"だった存在が、実は人間と同じように心を通わすことができて、その一匹一匹に人生(猫生)があることも知った。そして、彼らには悪意とか邪心というものがない、とてもピュアな存在であることに感動すら覚えるのです。
ネットで調べれば、猫が嫉妬したという話は山ほど出てきます。人間と同じでとんでもない焼きもちの持ち主だと。でも、それは如何にも人間的な見方なのかもしれない。何故なら脳科学者や動物学者によれば、猫には罪悪感、嫉妬心、憎しみ、羞恥心、それに貪欲といった感情がないのだそうだ。
そもそもこんなことを調べ始めたのは、みうや黄チビを追いかけ回すニャーが、イエチビからは逃げ回ったその違いと理由を知りたかった。みうを追い回すニャーの行動が、妻には"焼きもち"に見えるらしいのです。
そんなこと考える必要もなかったのが、くものいた時代だった。
くもが家に来たときはハナとテツがいて、それに文太(ワンコ)もいた。くもが来て5年ほどの間に文太がガンで亡くなり、3人の子供たちが家を出たのでその後の10年は夫婦と3匹の暮らしでした。くもが晩年になるまで、夫婦にはそれぞれ仕事があって夜も遅かった。
くも1才の頃
そんな事情で、ニャンコたちの世話はあっさりとしたもんでした。トイレは3匹でひとつ、食事も一緒で1日2回限定。ただし夫婦の食事の時間は3匹の無心に負けて、わざわざ塩抜きを用意するほど甘やかしてました。まあ、食事の相手は多い方が楽しいので。
その3匹の関係については、保護者が気を遣ったことは一度もなかった。くもはわが家に来たその日から先住2匹にやさしく迎えられ、そして慕った。そのうち殆どの時間を2階の和室で過ごすようになっても、他の2匹との交流は続いた。とにかく平和で穏やかで手も掛からなかったので、ニャンコなんてそういうもんだと思っていたのです。
くもとテツ(2階の和室にて、くも13才)
でもそれは結局、くもやテツやハナが他の世界を知らなかったというだけなんだよな。3匹がニャーやみうのようにもっと広い世界を経験していたなら、きっとわが家での生活も違っていただろう。彼らが外界を知らなかったおかげで保護者は楽できたけど、彼ら自身はそれで幸せだったのだろうか。その答えは、ニャーとみうがこれから出してくれるのかもしれません。
今回は取り留めのない内容ですみません。でも、このところお世話しているノラたちの行く末を案じて神経を擦り減らしていたので、くもの命日をきっかけに多少なりとも充電することができました。
最後の入院する2週間前(くも15才)