今日は、一応晴れ日でしたが、昨日のように目の覚めるような青空と云う訳にはいきませんでした。 空気も冷たく、遠くは少しかすんでいるような感じで、太陽は出ているものの、薄日が射している!! といった日でした。
で、今日は拙者も氏子(うじこ)にもなっています、「玉依比売命(たまよりひめのみこと)神社」のお話しを致します。 この地域へ引越して来た時から、おのずと氏子になっていたようで、毎年氏子総代の担当者が、神社維持費を徴収にいらっしゃいます。
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photo 1
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photo 2
写真 1 は、正面石段下より、又、写真 2 は、斜め右方向から、玉依比売命(たまよりひめのみこと)神社を撮ったものです。 この神社は、通称「池田宮(いけだのみや)」とも言われていまして、松代町東条地籍にあり、拝殿は南方角に面しています。
思いますに、ここ地元にあります神社仏閣は、殆んどが南・東・西方角に面していると思います。 だが、上田市の別所温泉地籍にあります、「北向観音(きたむき・かんのん)」は、名前通りに、「北」を向いていまして、長野・善光寺の「南向き」との対比で、信州では有名な寺院のひとつです。 このお話しは、後日にしたいと思います。
今、ニュースで見ても、野菜の高騰が叫ばれていますが、この玉依比売命神社は、毎年 正月 6 日~ 7 日に、この神社の拝殿にて、豊作祈願の神事、「児玉石(こだまいし)」の数を調べる行事が行なわれています。 ホントは、この神事の写真があれば一番分かり易いのですが、今は無いもので、ご説明しますと、約 30 ㎝四角の薄い木箱に整然と並んでいる小さな玉石を、この神社の神官が、ひとつひとつ数をあたっていくと云うものです。
お正月の神事ですので、神官は勿論、各地域の氏子総代が何人も立ち会って、この神官が玉石を勘定するのを見とどけています。 それで、信じられないかも知れませんが、不思議なことに、この児玉石の数が毎年増減するのです。
紙マスクで口をおおった神官が、ゆっくりと声に出し ひとつひとつ数を勘定して、それを氏子総代の皆さんが立ち会って見ていても、この数の増減は毎年発生します。 児玉石の入っている木箱も、ちゃんと保管され、皆さん立会いのもと、封印・開封が行なわれています。 そして、この児玉石が増えると、今年の豊作がみえて、逆に減少すると、凶作になる!! と云われているようです。
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photo 3
こちらが、玉依比売命神社から、各氏子の家に配布される、毎年の児玉石の数の結果です。 和紙に書かれています。 昨年の平成 23 年は、児玉石が 827 個でしたので、今年は 828 個でしたので、 1 個増えています。 でも、大麦と粟の作物については、「下」になっています。 そんなもんです。
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photo 4
Canon SX30IS Wide
この神社の破風造(はふつく)りの上には、真田家の六文銭が見られます。 勿論、この拝殿の奥の本殿の屋根にも見られました。 神社の創建は正確には不明のようですが、壱千二百年代だと言われています。
そう云えば、この神社には、狛犬らしきものが全くありませんでした。
でも、真田家がここ松代藩に移ってこられた 1622 年(元和八年)以降に、この神社と何か関係を持つようになったと思われます。 距離的に松代城とこの神社とは、 5 ~ 6 ㎞くらい離れているんですが‥‥‥‥、
ちゃんとした資料がわかりません。
歴史の流れの把握は難しいです!! っと。
see you again
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玉石の増減が起こるなんて、ビックリです。
ミステリアスなことですね。
背中がゾクゾクしています・・・・
今日はこれで!失礼します。
とても味のある立派な神社ですね。
それに写真に差込む光がとてもきもちよさそうですv(。・・。)