日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

「ボッティチェリとルネッサンス」展 明日から始まります(2015.3.21~6.28)@渋谷Bunkamuraミュージアム

2015年03月20日 | イタリアの美術館・博物館
「ボッティチェリとルネッサンス フィレンツェの富と美」展 明日から始まります(2015.3.21~6.28)@渋谷Bunkamuraミュージアム


ボッティチェリとルネッサンス フィレンツェの富と美」展がいよいよ明日から始まります 前売り券もゲットして HPの「見どころ」もチェックして 新聞記事も読んで 本も読んで...ここで少しボッティチェリについておさらいしました: 

サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli)」について

1445年~1510年 フィレンツェ生まれ 
(「小さな樽」の意味のあだ名、本名アレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピ/Alessandro di Mariano Filipepi)
1460年(15才)フィリッポ・リッピの工房に弟子入り
1470年(25才)独立して工房を持つ 
1478年頃(33才)「」制作
1481年(36才)ヴァティカンのシスティーナ礼拝堂の壁画を描く
1485年(40才)メディチ家の豪華王ロレンツォ(三代目当主ロレンツォ・デ・メディチ)の注文で「ヴィーナスの誕生」を描く
1492年(39才)最大のパトロン・メディチ家「ロレンツォ豪華王(Lorenzo il Magnifico)」が死去
1494年(41才)フランス軍がフィレンツェに侵攻、サヴォナローラが独裁開始、昔の作品を自ら焼き捨てる
1510年(65才)5月17日フィレンツェで死去。オニサンティ教会に眠る(筆を折り困窮の中で死去)

出典:「知識ゼロからの西洋絵画入門」(山田五郎著/幻冬舎)

ボッティチェリの画風の変遷
 
東方三博士の礼拝」(1475年/30才)の左端にはロレンツォ豪華王(25才)が描かれており、この絵にはメディチ家の一族郎党の肖像が描き込まれている。  
     
ボッティチェリは「線の画家」と言われ、他の画家が色の濃淡と明暗で形を表す「スフマート技法」を追求する中で、中世風の明確な輪郭線にこだわり、独自の線描技法による繊細で優美な画風を貫きました。

1467年(27才)、ヴェロッキオ工房に移り、そこで入門していたダ・ヴィンチと出会う。3年後に独立。そのデビュー作『剛毅』(1470年/25才、ウフィツィ美術館蔵) は女性寓意像で、ヴェロッキオの影響が残る。

フレスコ画『受胎告知』(1481年/36才)は、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画を描く招聘直前にサン・マルティーノ・アラ・スカーラ病院に描いた大フレスコ画。大天使ガブリエルが白百合(マリアの純愛の象徴)を手に舞い降り、ここでは初めて浮遊する動的イメージとして表されている。(ウフィツィ美術館蔵)
このフレスコ画は今回来日します!

 最大のパトロンでありプラトン・アカデミーの保護者でもあったロレンツォ・イル・マニフィコ(豪華王)は1492年、わずか42才で世を去り、20年に及ぶ黄金時代が幕を閉じた。

ドメニコ会修道士ジローラモ・サヴォナローラ(1452~98)が1490年にサン・マルコ修道院の院長に就任すると、メディチ家支配家のフィレンツェの風俗や政治を激しく糾弾する預言者的な説教活動を広めた。ボッティチェリはロレンツォの心酔者であったが、サヴォナローラはロレンツォ時代の灼熱した宮廷的市民文化をことごとく「虚飾」として否定し、ボッティチェリは他のどの芸術家よりも深くその影響を受け、90年代以降その主題と様式を急激に変化させた。

 1497年にはシニョリーア広場でサヴォナローラ派による「虚飾の焼却」が行われ、書物や絵画、装飾具等が燃やされ、ボッティチェリ自身の手により、彼の若い頃の作品も燃やされた。彼の芸術の変貌はあまりにも激しく悲劇的ですらある。甘美なヴィーナスやマドンナ像を描いた優美な描線は消え失せ、異様な終末論的な畏れ等が表面化した。1498年同じシニョ―リア広場でサヴォナローラは火刑に処された。

そしてボッティチェリは1501年の『神秘の降誕』を最後に筆を折り、困窮の中1510年に65才で世を去り、自宅近くのオンニサンティ聖堂に葬られた。

 1504年、30才年下のミケランジェロが『ダヴィデ』を完成させ、時代の主役はダ・ヴィンチやミケランジェロに移っていった。

ボッティチェリ『アペレスの誹謗』(1495年、テンペラ、ウフィツィ美術館蔵) 特異な異教的寓意画。中央の女性「誹謗」が乞食のような男「憎悪」に手を引かれ、裸の少年「無実」の髪をつかみ、審問官に引きずり出す。その左右で「無知」「猜疑」の女二人が耳打ちし、左端は裸体の「真理」が天を仰ぎ、醜い老婆「悔悟がそれをいまいましげに振り返る。

出典: 「フィレンツェ・ルネサンス4 再生への賛歌」(NHK出版)

今やっているイタリアのバロック「グエルチーノ展」(2015.3.3~5.31/国立西洋美術館)では グエルチーノはバロックから古典主義へと転向したとのことですが ボッティチェリの方がさらにドラスティックだったのですね...


ボッティチェリとルネッサンス フィレンツェの富と美」展は こちら

みどころは こちら

開催のお知らせは こちら

美術館・ギャラリー ブログランキングへ

にほんブログ村 外国語ブログ イタリア語へにほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする