「古代ギリシャ・ローマの料理とレシピ(The Classical Cookbook by A. Dalby and S. Grainger)」を読んでみました@丸善出版
「ローマ歴史セミナー」で先生が「古代ローマの宴会では使い捨ての豪華な服を来て 手づかみで食べた手の汚れを その服でナプキンがわりに拭いて 宴会が終わったら捨てていました」つまりそれも富の象徴...というお話を聞いていたので うちにあったこの「古代ギリシャ・ローマの料理とレシピ」を読んでみました!
本の紹介:
ホメロスの『オデュッセイア』、プリニウスの『博物誌』、カトーの『農業論』からアピキウスの料理書まで、古典文学にあらわれるさまざまな料理を史実にもとづいて再現。
ローマ帝国の発展、アレクサンダー大王など、有名な古代歴史を「食べ物」の視点で見ると、おもしろく人間味豊かな歴史の裏話とともに、西洋料理の原点が立ち現れてくる。
古代のワインやチーズの情報も豊富に掲載。メインディッシュからデザートまで49品のレシピつき。
レシピの一例:(子羊のロースト/ゴマとハチミツ入りパンケーキ/粥/エビのハチミツソース和え/マグロのステーキ/大麦のロールパン/ガーリック・チーズ/スパイス入りワイン/魚の香草焼き/ひょうたんの詰め物/マッシュルームのハチミツ煮/魚介類の団子、クミンソース煮/チーズケーキ/塩漬け肉のシチューなど) ; 古代ギリシアやローマでは、どんな料理が食べられていたのでしょうか。
饗宴から庶民の毎日の食事まで、古代の人々の暮らしを彩った味を再現。
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貧しい人々の主食はパン(pane) ローマでは無料で配給され パンを焼けない人たちは小麦や大麦で粥(pappa)を作りました しかしながら金持ちの宴会でも まずはパンが出されました
ギリシャではワインは水で薄められました お客がすぐに酔わないための主人の義務でした!
古代食の再現は2500年も前の料理を再現するもので 分量の指示もなくわかりにくい文章です
腕の良い料理人(奴隷たち)は本能的に料理を作り ローマ最大の料理書「アピシウスの料理書」には 分量は示されていなかったそうです
古代ギリシャ・ローマ料理の味付けは はちみつ ビネガー 魚醤(ガルム) さまざまなハーブ・スパイス類(富を見せつけるため使い過ぎの傾向あり)で ギリシア人程ではないが甘いソースを好みました ワインとはちみつを混ぜた食前酒 mulsum(ムルスム)など...
ガルムは強烈なにおいがしますが 酵素によるたんぱく質分解で作ります 古代料理にガルムは塩分として欠かせず 今も東南アジアではニョクマム(ベトナム) ナンプラー(タイ)として普及していますね
ギリシャ料理を取り入れる前のローマ人は「粥を食べる未開人」と呼ばれていたそうです そこに東方の料理人たちがやってきて(a.C.200) 新しい調味料や東地中海のフレーバーが紹介されました
この「アピキウスの料理書」には ヒバリの舌 不妊の雌ブタの子宮等の珍味も載っていたそうです
古代の台所は ポンペイの遺跡にあるような 石造りの台にかまどがあるようなもので 煙のあまり出ない炭が使われたそうです
青銅の壺が使われていたともあります テストゥム(testum)というオーブンも再現されていますね
そしてアンフォラ(壺) これでワインや魚醤を貯蔵していました
シルフィム(ラーセルの根)という 珍しいリビアにだけ育つスパイスを 皇帝ネロに最後の1本を献上してしまい とうとう絶えてしまったという記述もありました
栽培は難しく 今ではアサフェテイダという中央アジアの植物で代用できるそうです
その他 ラヴィッジ(セリ科の多年草) ヘンルーダ(料理用ハーブ) パッスム(レーズンワイン) デフルトゥム(濃縮ブドウ汁)等も紹介されています
そして古代のチーズについても 現代のどのチーズで代用できるか示されています
詰め物やソーセージには脳みそや内臓が使われたそうですが 今では狂牛病でダメですね~( ;∀;)
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さてギリシャの料理はいちおうすっ飛ばして(笑) 第6章「ローマ帝国の富」からローマの料理を拾ってみますね
ローマでは晩餐会に 自分の農場のものを直接出したそうで 古代アテネでは市場で値段を値切って買った品物を出したのとは全く違っていますね
ローマではギリシャ同様 特別の食堂トリクリニウムがありました 3台の寝椅子が中央のテーブルをU字型に囲んでいました
ジュリアス・シーザーが大神官に選ばれた時には 16種類ものオードブルが出されたそうです ナイフはたまに使いましたが ほとんど手づかみで食べており ナプキンが置かれ 宴会後にお酒や食物や贈り物を包んで帰れるようになっていた とあります
手を洗う水は運ばれていたのだそうです ← これが今のフィンガーボールにつながる
そして様々な古代食のレシピが紹介されています 古代ギリシャには宿屋はほとんどなく 一方 古代ローマでは 宿屋は生活の一部だったそうです
ジュリアス・シーザーはブリタニア(イギリス)を征服しようと試みますが失敗し 四代皇帝クラウディウスが征服しますが ここに駐屯したローマ兵たちがブリタニアに様々なぶどうやクルミの木 野菜やハーブを輸入し植えたため ブリタニアの食べ物や飲み物は大きく変わったのだそうです ローマ人の貴重な資料も発見されているそうです
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第8章 浴場での夕食
セネカの手紙によれば 古代ローマ帝国での人々の暮らしは 朝食(ientaculum)はスナックのようなもので 食べない人も多く 昼食(prandium)は食い意地の張った人はたっぷりと 労働者たちは居酒屋や屋台で簡単に済ませていました
金持ちや貴族の援助を受けていた多くの人々は 食事時にご相伴を期待して訪れていたそうです
盛大な夕食の前には浴場で数時間過ごすのが人気で 社交や商談の場でした 運動場で一汗かいてサウナ 温水 冷水風呂に順番に入ります
引用された本についてのところでは ローマ帝国の料理の集大成で唯一完全に残っているのが 前述の「アピキウスの料理書」ですが この本では古代ギリシャとローマの食べ物を より幅広い視野から見ることを試みています
最期に 食物史を研究されていた 今川香代子氏の「訳者あとがき」にも 「食べ物の歴史は人間の歴史と並行しており 人々の喜びや悲しみを背負っている」 とあり イギリスに行ったら 食文化の根本に古代ローマの姿が浮かび上がった とあります
古代ギリシャやローマの人々の食事を通して どんな暮らしをしてどんな文化があったのか ローマ歴史講座と合わせて 複合的に見ることができてよかったです これを今の食材で再現するのは色々と苦労がありそうですが...
本は こちら
「世界最古のワインはイタリア産? シチリアで紀元前4000年の痕跡発見」の記事は こちら
* 写真は2014年に訪れた ポンペイの遺跡の台所
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