フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

恐怖について

2020年07月03日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

むかし、知り合いと恐怖について話をしたことがある。

「なにか、怖いのってありますか」と聞かれた。

「うーん、あんまりないけど、高いところが怖いかな」と僕は答えた。

僕は山に登るくせに、高いところがちょっと怖い。怖いから、かなり注意して登る。

「彼女が、異常にゴキブリを怖がるんですよね」と彼は言った。

「普通じゃない。それは」

「いやいや、異常な怖がり方なんです。ブルブル震えるくらい。ゴキブリ恐怖症なんですって」

「そうなんだ」僕は冷めた声で言った。

なんでもかんでも恐怖症つければいいってもんじゃないだろ、と思ったからだ。

「でも、世の中には、まんじゅうが怖い人がいるそうですよ」

「えー、まんじゅうが怖いの?なんで?」僕は言った。

「知らないけど、そうらしいですよ」彼はそういった。

そのとき、僕は、まんじゅう恐怖症ってあるんだ、と漠然と考えていた。

ちょっと調べると、世の中にはありとあらゆる恐怖症がある。

面白いのをちょっとあげてみる。

美人恐怖症 美人を見ると吐き気がするようだ。かわいそうに思います。

吉報恐怖症 良い知らせが怖いそううです。 じゃあ、悪い知らせのほうがいいのか。

ピーナッツバター恐怖症 ピーナッツバターが上あごにくっつくのが怖いそうだ。わけわからん。

失笑恐怖症 お葬式など、笑ってはいけない場面で急に笑いがこみ上げてくる。それに対する恐怖症です。漫画家の蛭子さんがこれです。

人の恐怖って笑えますが、恐怖を感じている人たちは笑い事ではないですよね。

ただ一つだけ言えることは、恐怖を感じるのは、わからないもの、未知のもの、コントロールできないものです。

逆に言えば、扱い方を分かっていたら、ぜんぜん怖くない。

美人が怖い人は、美人のことが、わからず自分ではコントロールできないと思っているのです。

だから、恐怖する対象を、できるだけコントロールずればいいわけです。

しかし、そんなに簡単ではない場合があります。

僕は「死」が怖いですが、死はどんなに頑張っても、未知のものでコントロールできません。

だから、僕が死への恐怖から逃れることはできないでしょう。

できるのは恐怖を弱くすることだけです。

恐怖とどう向き合うかは、人生の質を上げるために、すごく重要なことだと思っています。

恐怖は、無知と弱い内面から起こるからです。

ところで、あるとき古典落語に「まんじゅうがこわい」という演目があるのを知った。

たぶん、彼が言っていたのはこれだったんじゃないかと思っている。

あるとき誰かが落語の話をしていた。しかし、彼は誤解して、まんじゅうが怖いという人が、世の中にいると思ったのだろう。

僕も落語のことをよく知らず、突っ込むことができなかった。

まぬけとアホが、2人いたわけです。

じゃあ、僕は、まぬけの方でしょうか?アホの方でしょうか?

ハハハ、教えません。

コメント
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