むかし、知り合いと恐怖について話をしたことがある。
「なにか、怖いのってありますか」と聞かれた。
「うーん、あんまりないけど、高いところが怖いかな」と僕は答えた。
僕は山に登るくせに、高いところがちょっと怖い。怖いから、かなり注意して登る。
「彼女が、異常にゴキブリを怖がるんですよね」と彼は言った。
「普通じゃない。それは」
「いやいや、異常な怖がり方なんです。ブルブル震えるくらい。ゴキブリ恐怖症なんですって」
「そうなんだ」僕は冷めた声で言った。
なんでもかんでも恐怖症つければいいってもんじゃないだろ、と思ったからだ。
「でも、世の中には、まんじゅうが怖い人がいるそうですよ」
「えー、まんじゅうが怖いの?なんで?」僕は言った。
「知らないけど、そうらしいですよ」彼はそういった。
そのとき、僕は、まんじゅう恐怖症ってあるんだ、と漠然と考えていた。
ちょっと調べると、世の中にはありとあらゆる恐怖症がある。
面白いのをちょっとあげてみる。
美人恐怖症 美人を見ると吐き気がするようだ。かわいそうに思います。
吉報恐怖症 良い知らせが怖いそううです。 じゃあ、悪い知らせのほうがいいのか。
ピーナッツバター恐怖症 ピーナッツバターが上あごにくっつくのが怖いそうだ。わけわからん。
失笑恐怖症 お葬式など、笑ってはいけない場面で急に笑いがこみ上げてくる。それに対する恐怖症です。漫画家の蛭子さんがこれです。
人の恐怖って笑えますが、恐怖を感じている人たちは笑い事ではないですよね。
ただ一つだけ言えることは、恐怖を感じるのは、わからないもの、未知のもの、コントロールできないものです。
逆に言えば、扱い方を分かっていたら、ぜんぜん怖くない。
美人が怖い人は、美人のことが、わからず自分ではコントロールできないと思っているのです。
だから、恐怖する対象を、できるだけコントロールずればいいわけです。
しかし、そんなに簡単ではない場合があります。
僕は「死」が怖いですが、死はどんなに頑張っても、未知のものでコントロールできません。
だから、僕が死への恐怖から逃れることはできないでしょう。
できるのは恐怖を弱くすることだけです。
恐怖とどう向き合うかは、人生の質を上げるために、すごく重要なことだと思っています。
恐怖は、無知と弱い内面から起こるからです。
ところで、あるとき古典落語に「まんじゅうがこわい」という演目があるのを知った。
たぶん、彼が言っていたのはこれだったんじゃないかと思っている。
あるとき誰かが落語の話をしていた。しかし、彼は誤解して、まんじゅうが怖いという人が、世の中にいると思ったのだろう。
僕も落語のことをよく知らず、突っ込むことができなかった。
まぬけとアホが、2人いたわけです。
じゃあ、僕は、まぬけの方でしょうか?アホの方でしょうか?
ハハハ、教えません。