フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

ドン・ジョバンニ 序曲 悲劇について

2020年07月27日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

東の色男といえば、光源氏ですが、西の色男といえば、ドン・ジョバンニでしょう。

そうです。あのモーツァルトのオペラの「ドン・ジョバンニ」です。

このオペラについては、哲学者のキルケゴールが「音楽的エロスについて」で語っています。

ドン・ジョバンニは、何人もの女性を口説き落とし、その罪のため最後に地獄に落ちてしまいます。

しかし、キルケゴールは、そのような女癖の悪いやつが地獄に落ちるという単純なストーリーとしてドン・ジョヴァンニをとらえませんでした。

ドン・ジョヴァンニは、単に女好きだから女性を口説いたのではなく、彼女たちも気づいていない自由を求める心を満たしてあげたのだ、と考えました。

つまり、ドンジョバンニは、女性を男性社会・身分社会から解放して自由へと導いたと考えたのです。

僕は、ドン・ジョバンニのオペラの序曲が結構好きです。

一応、喜劇に分類されるそうですが、かなり悲劇的要素が含まれています。

序曲には、それらの要素が複合的に凝縮されていますが、基本的に、自由を求める解放的な気分を味わうことができます。

最初、どんよりとした暗くて重いメロディーから始まります。

しかし、1:50くらいで、明るく転調します。自由へと心が解放される瞬間です。

そして、2:20で、運命に翻弄される悲劇的なメロディーが流れます。

でも、音楽は、それでもいいんだと言っているように、僕には聴こえます。

悲劇なんて恐れない。何があっても自由に生きるんだ、と宣言しているように聴こえます。

ちょっと、小林秀雄の「悲劇について」を引用しますね。

ニーチェは主張する。悲劇は、人生肯定の最高形式だ、と。
人間に何かが足りないから悲劇が起こるのではない、何かがありすぎるから悲劇は起こるのだ。
否定や逃避を好む者は悲劇人たりえない。何もかも進んで引き受ける生活が悲劇的なのである。
不幸だとか災いだとか死だとか、およそ人生に嫌悪すべきものを、ことごとく無条件で肯定する精神を悲劇的精神という。

何かあっても、自分の人生を肯定すること。それが結果的に悲劇であっても。

そういうことなんでしょうね。

よかったら音楽を聞いてみてください。

♪モーツァルト:歌劇≪ドン・ジョヴァンニ≫ K.527-序曲 / カール・ベーム指揮プラハ国立歌劇場管弦楽団 1967

コメント (2)
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