14日は、全国的にすごい雨だそうだ。被災地の方々の無事を祈っています。
東京も雨ですね。はぁー、めんどくさいね。いろいろと。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」みたいに頑張りたいと思う。
でも、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」はそんな内容ではなかったですよね。
みなさん、この詩を読んだことはありますか?
詩というか、メモに書かれた走り書きのようなものだったそうです。
そして、現実のモデルもいるそうです。
僕はこの詩を読むと、すごく感動すると同時に、とても複雑な気持ちになります。
というのも、世界は、力の信奉者や厳しいリアリストたちの跋扈する場所になっています。
まあ、ずーっと昔からそうかも知れませんが。
その世界に、この詩のようなバカ正直な人間が放り込まれたら、どうなるか?
もちろん彼らに食い物にされてしまうでしょう。実際そうなっている。
だから、すごく複雑な気持ちになるんです。
そういうことで、僕はこんな素晴らしい正直者にはなれません。
でも、この詩を読んで感動するとき、僕は日本人なんだなぁと感じます。
この詩のピュアな魂は、日本人の心の本質的な部分だと思っています。
だから、現実主義者であると同時に、この詩を理解できる人間になりたいと思っています。
そして、もしこんな人間がいたら、全力で守りたい。
「雨ニモマケズ」 語り手 宮沢りえ
「雨にも負けず」
雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち
欲はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている
1日に玄米4合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見聞きし 分かり そして忘れず
野原の松の林のかげの小さなかやぶきの小屋にいて
東に病気の子供があれば 行って看病してやり
西に疲れた母があれば 行ってその稲の束を背負い
南に死にそうな人があれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
皆にデクノボーと呼ばれ ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい