小林秀雄伝説というものがありまして、
それについて、石原慎太郎が本の中で書いている。
少し短くして紹介します。
ある日、小林秀雄の家に強盗が押し入った。
強盗は小林に抜き身の日本刀を頬にかざし、「おい、起きろ」と言った。
小林は目を開け、またいで突っ立っている男を見た。頬のわきにある刀はブルブル震えていた。
「なんだい、おまえたちは」と小林秀雄は聞いた。
「おれは強盗だ」と彼は言った。
「ああそうか」といったまま、小林は身動きもせず、突っ立って見下ろしている3人の男たちの股間を見ていた。
ほっぺたにくっつけている刀は相変わらず、ブルブル震えていた。
これは素人だなと小林は思った。
その後、小林は3人の強盗をそこに座らせ、寝たまま彼らに向かって説教した。
しばらくして、3人のうちのひとりが、おいおい涙を流して、泣きはじめた。
石原慎太郎は、ハードボイルド的なタッチで、小林秀雄を肝のすわった男として、描いています。
この話を読んだ時、小林秀雄ってコワモテなんだなと思いました。
しかし、最近、ちょっと違うのではないかと思っています。
別に石原慎太郎を疑ってるわけじゃありませんが。
ここからは僕の推測です。
小林秀雄は、文章や美術品など、あれだけのものを目利きするわけですから、人の心を読み解くのも得意だったでしょう。
それで、強盗の心を読んだ。強盗は手が震え、素人同然だった。
彼らは、何か事情があって強盗をしたのではないか、と小林秀雄は考えた。
それで、強盗に事情を聞いてみた。強盗にも強盗をするだけの事情があった。
それでお金が欲しいならあげるから、こんな事はやめなさいと説得した。
強盗は、小林秀雄が怖かったのではなく、彼の慈愛に満ちた情に触れて泣き出したのではないか。
後日、強盗は菓子折りをもって、小林秀雄のところに謝りに来たそうだ。
そういうことを考えると、僕の推測もあながち間違いではないと思っています。
彼の文章を読むと、そういう情の深い優しさがありますから。
やっぱり、人の心を動かすのは、力ではなく情だと思います。
甘いかな。僕は。