新潟の友人が、東京に1人で遊びに来たことがある。
それで渋谷を歩いてるとき、今までに感じたことのない孤独感を味わったそうだ。
沢山の人が歩いているが、誰一人俺のことを知らないんだな、と思ったそうだ。
なるほど、群衆の中の孤独だ。
僕はそれについてはあんまりピンとこなかった。
東京に住んでいて、そういうことに慣れているし、もしかしたら、そういう孤独には強いのかも知れない。
少なくとも僕の孤独感とは違う。
僕には僕の孤独がある。
ちょっと深夜の遅い時間にブログを書いているから、やばいかな。変な方向にいきそう。
まあいいか、たまには。
僕はたくさんの人を好きになることはない。しかし、限定された少数の人を深く愛してしまう傾向にある。
そして逆説的だが、どれだけその人を愛していたかは、その人を失ったときにわかる。
僕はその失った時の悲しみに耐えられないようだ。
そのときに深い孤独感を感じる。
顔では笑っていられるし、冗談も言える。普通に生活していられる。
しかし、心の中は空っぽの真っ暗闇だ。
どうして、人生でそういうことが起きるのだろうかと思う。
そして、これから先も起こるだろう。
想像してください。
窓のない鉄でできた大きな真四角の部屋を。
その大きな部屋に、1人で閉じ込められている。
光は一切ない。音もしない。ただの暗闇だ。
何にも見えず、手探りで、何かを探している。しかし、何も見つからない。
自分が何を探しているのかすら分からない。
そして、この部屋は、僕の魂を凍りつかせる。
魂が凍りつくと、感情は消えさり、二度と人を愛することはできない。
僕は、その中で最善を尽くしている。少なくとも、負けないつもりで戦っている。
だが、もうそろそろ終わりだ。もう力尽きた。僕は戦いに破れてしまった。
ほとんど魂は凍りついている。もう、魂が死ぬときが来たようだ。
そのとき、天井からまっすぐ一筋の光が差す。
僕はゆっくり顔をあげて、光の方に体を向ける。
両手を広げて、その光を浴びる。光は、ほのかに温かい。
その温かさが、凍りつきそうになっていた僕の魂をゆっくりと溶かしていく。
溶けた魂は、僕のまぶたから、ゆっくり溢れ出る。
そのとき、僕はこの光の意味を知る。
それは、僕にもう一回立ち上がる勇気を与えてくれた、あなたの愛だ。