マスコミと一緒になって田植え・稲刈り・プレゼントなどを、某産地で数年間続けていたのだが、今回から産地を変更することになった。
原因は、お米の出来不出来などではなく、産地の対応の悪さに、いいかげん嫌気がしてきたからだ。
産地に一般消費者やマスコミ等を連れていく場合、産地として一番大切なことは、お金をかけろというのではなく、どこまで親身になて対応できるかということだ。
1年に1回しかチャンスがないお米については、その時期を変更する事が出来ないことから、短期に集中する田植えや稲刈りの時期が、一番忙しい事は誰だって判っている。
だからこそ、産地の現実を見て、知ってもらうには一番良い時期だということも、本当のことだ。
自分が作ったお米が売り切れるのか、売れ残るのかの境目は、お米が美味しい不味いではなく、実は消費者が、産地の事を理解して、産地を応援しようと思ってくれているかに尽きるのだ。
お米は1年に1回しか作れない上に、温暖化の影響や、産地の高齢化、品種の片寄り等で、毎年美味しさも違うし、炊きあがり具合なども違ってしまっている。
お米の美味しさだけで選べば、売れ切れなくて当然という産地は、それこそ山ほどある。
それなのに、同じ産地の同じ品種を、ずっと食べ続けてくれているのは、産地の現実を理解して、諦めずに応援してくれている消費者がいるからなのだ。
その応援してくれようとしている消費者が、せっかく時間をかけて産地まで出向いて行ったのに、ガッカリする様な対応しか出来ないというのであれば、その産地はそこまでだ。
いくらお米が良くても、産地を応援してくれる人は、いずれは居なくなるだろう。
原因は、お米の出来不出来などではなく、産地の対応の悪さに、いいかげん嫌気がしてきたからだ。
産地に一般消費者やマスコミ等を連れていく場合、産地として一番大切なことは、お金をかけろというのではなく、どこまで親身になて対応できるかということだ。
1年に1回しかチャンスがないお米については、その時期を変更する事が出来ないことから、短期に集中する田植えや稲刈りの時期が、一番忙しい事は誰だって判っている。
だからこそ、産地の現実を見て、知ってもらうには一番良い時期だということも、本当のことだ。
自分が作ったお米が売り切れるのか、売れ残るのかの境目は、お米が美味しい不味いではなく、実は消費者が、産地の事を理解して、産地を応援しようと思ってくれているかに尽きるのだ。
お米は1年に1回しか作れない上に、温暖化の影響や、産地の高齢化、品種の片寄り等で、毎年美味しさも違うし、炊きあがり具合なども違ってしまっている。
お米の美味しさだけで選べば、売れ切れなくて当然という産地は、それこそ山ほどある。
それなのに、同じ産地の同じ品種を、ずっと食べ続けてくれているのは、産地の現実を理解して、諦めずに応援してくれている消費者がいるからなのだ。
その応援してくれようとしている消費者が、せっかく時間をかけて産地まで出向いて行ったのに、ガッカリする様な対応しか出来ないというのであれば、その産地はそこまでだ。
いくらお米が良くても、産地を応援してくれる人は、いずれは居なくなるだろう。