6月10日、突然の義弟の死はわが心を撹乱させている。会議終了後に机上でうつ伏せになった状態で、乖離性大動脈瘤は、53歳の命を一瞬にして奪い去ってしまった。家族の誰にも看取られることも無く逝った義弟だが「モノハカンガエヨウ」で本人も残された家族の双方にとって虚しさは残るものの幸せだったかも知れない。通夜・葬儀ともに大勢の教え子達に別れを惜しまれる光景は「先生冥利というものだろうか」と思ってしまう。命の儚さを瞬時にして思い知らされたが少なくとも「親よりはやく逝ってはならない」ということだ。物事には順番があるはずだ、と両親の嘆きが痛いほどわかる。
わが心の撹乱をどう静めるかが問題だが今や逃げ道として菊づくりや野菜づくりに見出している。何故なら菊にせよ野菜にせよ偉大な生命力を持ち合わせていて無言のまま指針を示していてくれるからだ。ウヤムヤとした気分をどこかで割り切り、どこかで捨てるこの葛藤こそが供養につながるかも知れない。写真は、防鳥ネットを張ったトマト畝(クリックで拡大)
仲間からの要請もあって、「ホームページ作成勉強会」を今月から始める予定でいたがやむなく延期している。だが、まだ再開するための心の準備ができないでいる。