野武士のわがままひとりごと

気ままに焦らずたゆまずのんびりと趣味を楽しんでいます
(中溝喜慶/滋賀県)

住民のつどいに参加

2005年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

s 27日(日)、人権まちづくり会議が主催する「石部学区住民のつどい」に参加した。 
 1.ふるさとの歴史と今むかし
  ①ビデオ鑑賞「ほとけの里 長寿寺と常楽寺」
  ②映画鑑賞「村の婦人学級」

 放映されたビデオとは直接関係ないが長寿寺と常楽寺は、湖南市1周年記念として善水寺とともに「湖南三山」として制定して現在売り出し中であることもあって、「湖南三山」のパンフレットを紹介しておきます。(写真をクリックすると拡大されます)
 一方、「村の婦人学級」は、昭和32年に撮影されたモノクロフィルムであり、私が中学生の頃の社会環境でありその頃を懐かしく甦らしてくれた。リヤカーや足踏み脱穀機を使っての家族全員で働く農家、火鉢を囲んで一家団欒の姿があり、知らず知らずのうちに家庭内のコミュニケーションが形成されていたはずだ。今や、お手伝いの場もなく、個室を与えられた現在の環境と比べたら果たしてどちらがよいのか?、と考えさせられる。経済的には豊かになったけれど心の面で失ったことの方が大きさいのではないだろううか。
      
2.講演 「ふるさとの歴史を語る」 正念寺(乾 憲雄 氏)
  住職さんであり、俳句の撰者ということもあってなかなかに話術に優れた興味深い講演であった。簡単に要約すると、「先人から学んだ良きことを、後世に引き継いでいこう」ということだ。最近、夜空をみたことりますか? 野原を歩いたことありますか? 会場に向かって矢継ぎ早の質問だ。テレビから離れた時間をを作りませんか、という。大人と子供たちとが一緒になって、もっともっと自然界と触れあって色んな素晴らしさを知り、語り合いましょう、との提案だ。こうすることで、語り草となって後世に引き継がれると言うのだ。最近の青少年の事件にも触れられて、「大人が病んでいるのですよ」、という。大人が病んでいて子供が健全なはずがないということを暗に示唆されたのだろう。日頃、感じていることだけに大人が積極的に環境作りをしなければならないことに結論づけられよう。
    


NVR養成講座(B11)

2005年11月25日 | NVR養成講座受講

200511_matuo-Sさにカルチャーショック!!

 通常なら午後に観察会であるが23日(水)は、午前中に受講生の有志による研究発表会が開催された。NVRの養成講座に参加する受講生ということもあって当然ながら自然に係わる発表内容であった。この中でも、一緒に受講しているご主人の研究テーマ『良寛詩集にみる動植物、その頃と今』で作成された「本」に、まさしくカルチャーショックを受けたのだ。一見して公に出版できそうな「本」の出来栄えに見とれてしまう。片面印刷ではあるが177ページに纏め上げられた大作である。
 “良寛詩集”に出てくる動植物にまつわる記事を調べたり、注釈や写真sを載せたりレイアウトを考えながら編集するのに大変な気力と労力が必要であったろうと容易に想像できる内容であった。一方、奥さんの研究テーマ『我が家の庭への闖入者達』で作成された「本」も立派だったが、発表とは別に極め細かい花のスケッチと花の木彫りが展示されていたが単に趣味の領域とは思えない出来栄えに驚いてしまう。
 ご夫婦で一緒に学び、夫婦間で共有化したテーマを持っていることの素晴らしさを暗に教えられた思いがする。カルチャーショックをうけた根気と努力の「本」を借りて帰ることにした。
     写真は、 上(製本された力作)  下(卷初のページ)     


けなげに咲く菊に“ごめんなさい”と

2005年11月20日 | レイカディア大学

 級友の指導により始めた菊づくりであったが11/4付けで「菊づくり同好会20051119_K66NSの菊花展」で公表したように我輩の菊 づくり20051119_K65NSは失敗した。それでも菊は、菊それなりにけなげに咲 いている。いじらしいことだ。

 小菊盆栽、福助、大菊と育てる過程を記録しているが前にも書いたように、愛情が足りなかったのか反省仕切りである。土作りが悪かったのか、水やりが適当でなかったのか、それとも肥料が適切でなかったのか原因が分からないままだが来年こそは、と思いつつけなげに咲く菊たちに謝罪している。とにかく私にとっては菊を上手に育て上げることが出来なかったこともあって非常に難しいという印象のみが残った初めての体験であった。今月末までには来年の苗作りのために準備に入るが今年の失敗を活かさねばならないと思っている。


ウォッシュレット便座更新

2005年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム

 旧石部町内(現湖南市)での下水道工事開始と同時にトイレをウォッシュレット化していたが2~3ヶ月前から不具合が200511_B84NS生じていた。時々だがウォッシュレット時に「水がでない」という現象だ。メーカーのサービスマンに来ていただいて不具合現象を確認してもらったが生産中止になって久しく交換部品がないということであった。思えばリフォームからもう11年の歳月が流れていたがサービスマン曰く“奇麗に使っていただきましたね”とのこと。こういうお褒めの一言がサービスマンたるゆえんであろう。当時、ウォッシュレットでお尻をお湯で洗うこと自体、ある抵抗があったが使い出してみると“快適”そのもので「ウォッシュレットでなければトイレでない」感じを抱くようになっていた。

 従って、時々の不具合であっても我慢ができなくなって便座を交換した。ウォッシュレットも11年の歳月とともに進化した実感を味あうことになる。賢いトイレへと大変身していたのである。「たかがトイレされどトイレ」である。小便器が別にあることから、私自身は原則的に1日に1回しか利用しないのだが、狭い空間なれど憩いの場であることも事実であることからそれなりに投資することも重要かな?、と考えていたじぃじでありました。


X'masイルミネーションの飾り付け

2005年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム

  20051113NS13日、ちょっと気が早いようだがクリスマスのイルミネーションを飾り付ける。狭い庭の小ぢんまりした木を利用して電飾ケーブルを引き回すのだが昼間の見栄えはよくない。 去年より飾っているが今年は、単色(青色)1個40mを追加してちょっぴり賑やかになる。光センサーによる自動点灯であるが午後4時には点滅しだした。この時刻ではまだ明るくケーブルがみえて見栄えが悪い。日没後になると点滅する彩色が映えて美しい。4歳になる孫の歓声が2階のじぃじの部屋まで聞こえてくる。

デジカメで撮影するもどうも上手く撮れない。三脚を利用すればよいだろうが「長秒時設定」での撮影はどうしても手ぶれが生じてしまう。


マッサージ機修理

2005年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 約2年半前に、還暦のお祝いとして、愛妻や子供にプレゼントしてもらったマッサージ機が故障し、メーカーに修理を依頼した。早速、新大阪より車でサービスマンが駆けつけてくれて電源・制御部の基板を新品に交換して動作確認後「修理完了」となった。修理の方法を傍でじっと見ていたが回路基板といい、モーターやエアーポンプ等から構成されるマッサージ駆動部がちょっと気になっていた。帰られたあと、虫の知らせかどうかわからないが技術屋の勘が働いたのか実際にマッサージにのって動作させてみると、3分後に同じ不具合症状が発生したのである。わずか10~15分後のことであり、あわてて営業所に電話して理由を説明するとサービスマンがすぐさまUターンしてくれた。200511-M4NS

 故障内容を確認されたあと、200511-M2NS 今度は、先ほど交換したばかりの基板とマッサージ駆動部一式を交換することになる。説明によると、原因を断言する訳にはいかないが交換したばかりの基板がまた駄目になったということは、マッサージ駆動部のモーターがレアーショートか何かでパルスが飛んで基板に装着された部品を駄目にしたと判断されるので今度は、基板とマッサージ駆動部一式を交換したのだと言う。原因を断言できないまでも、技術屋としては納得できる説明であった。傍で修理状況を見られるのはサービスマンとしては嫌だろうなと思いつつ興味を持ちながら勉強させてもらった。帰りがけに、サービスマンの一言“もっとマッサージ機を使って下さい”と。何故かと問うと、「機構部の油が奇麗である」からだという。駆動部の油の状態で使用頻度を判断するなんて「餅屋は餅屋」だなぁと感心してしまう。心臓部を交換したことで「新品同様」になったマッサージ機に今後も身体を癒してもらおうかと思った今回の修理でした。


菊づくり同好会の菊花展

2005年11月04日 | レイカディア大学

 レイカディア大学・園芸学科(第27期生)の菊づくり同好会の菊花展である。クラスの中で菊づくりをしている人が先生役となって指導してくれて菊づくりに挑戦してきた。その成果発表である。初心者が丹精こめて立派に育て上げた大菊・福助・小菊盆栽の3種類の菊が並べられる。大輪の大菊・福助もさることながら小菊盆栽の手間暇IMG_0417NSかけた盆栽も初心者とは思えない見事さである。

 一方、我輩も丹精込めて育てたつもりだが何が違ったのか育ちが悪く出品するには及ばなかった。愛情が足りなかったのか反省仕切りである。今やっと蕾が大きくなってきた程度である。土作りが悪かったのか、水やりが適当でなかったのか、それとも肥料が適切でなかったのか原因が分からない。来年こそは、と思いつつ仲間の菊を眺めていた。