昨年より3日間早く「我が家の菊花展2014」をオープンする。
9月の手術・入院という事態が発生し、菊まで病を罹って心配したが何とか開催するまで辿りつけたことが非常に嬉しい。菊づくり9年目となった今年は例年と違った育て方に挑戦してきた。自分で腐葉土を作り、この腐葉土と新しい土(田土が得られない為、赤玉
土大粒)を配合して培養土を作って菊を育ててきた。この挑戦は一応“成功”と評価している。
今年も、隣に住む孫娘から別添写真のように「菊をみながらの食事会」の招待状が郵送された。孫の双方のじぃじ・ばぁばが招待され一緒に食事をする。有難たく嬉しいことだ。
写真は招待状とオープニングポスター(写真をクリックで拡大)
「我が家の菊花展2014」のオープンを間近にしているが大事な時期の9月に入院する羽目となった。6年前の膀胱癌が再発して入院・手術することになったが気掛かりは「菊」だった。入院中の水遣りだけは妻にお願いしていたので枯死する菊は無かったが残念なことに害虫とさび病で相当数の菊が痛みもがいていたのが現実であった。退院後に殺菌剤と殺虫剤を散布したものの快復するまでには至らず諦めざるを得ない状況となる。
人間も植物も同じで病気になってからは「時すでに遅く」で快復さすのは至難の業であることが今回はっきりと認識させられた。何にも増して予防することが必須条件ということだ。さび病に侵された菊は葉っぱをボロボロになるまで摘み取られたこともあって菊本来の姿からは程遠い姿となってしまったが驚くことに葉をもがれても菊は開花始めて美しさを競いだしてきた。あと1週間足らずで「我が家の菊花展2014」はオープンする。
今年も例年と同じく①小菊盆栽②小品盆栽③大菊④懸崖⑤辻が柳⑥ドーム菊⑦福禄寿⑧福助を育てている。8月の下旬ともなると育成状況の成否がある程度予測がつく。
福助は、定植からまだ1カ月が経過したばかりのため現時点では成否の判断はできないが他の菊群は概ね順調に成長していると判断している。
9年目の菊づくりに挑戦だが今年の最大の特徴は『土づくり』に注力したことだ。
その1.腐葉土づくり
昨年の秋に落葉樹の細枯れ枝・落ち葉と川辺の枯れすすきを掻き
集めて腐葉土を自作したこと
その2.培養土づくり
定植の60日前に自作腐葉土に赤玉土(大粒)をほぼ1対1の比率
で混合して培養土を自作したこと
(注)本来は、田土(真土)を使用するそうだが入手できないため
市販の赤玉土を使用する
培養土養生箱がそう大きくなかったため定植順に小菊盆栽と懸崖・辻が柳
に適用する。
大菊などその他の菊は20~30日前に準備したものを使用する。
今までは順調に生育しているが今後に台風の襲来のないことを祈るばかり
だ。 (写真をクリックで拡大表示)
今年1月に米原校園芸学科35期生(八起き会)との交流が始まった。
ご縁とは不思議なもので“菊づくり”が縁結びをしてくれた。課題学習として「根上がり菊」に挑戦するメンバーへのお手伝いをしてから6か月が流れて、先に7月末の大学祭の案内を頂いていた。
7月31日にお邪魔して米原校の大学祭を見学した。当初、根上がり菊の課題は、夏菊での挑戦と聞いていたので興味津々で足を運んだのだが夏菊の展示は1鉢だけで他は通常の秋菊の展示であった。やはり夏菊での挑戦は難しかったようだ。
でも、グループ員の努力もさることながら根上がり菊を指導された先生の熱意を作品から感じ取れた。菊に限らずケヤキ等の「根上がり盆栽」として勉強させていただいた。菊づくり1年生としてスタートされた仲間が卒業後も菊づくりを糧に生活して欲しいこともあって育てていた来年用の小菊盆栽の苗数種をお渡しする。筒に移植して来年の春に小菊盆栽として育てて欲しいと願っている(写真をクリックで拡大)
今、身近に蔓(つる)ものが3題あって食用のキュウリとゴーヤと観賞用の風船かつらとがある。
今日は、ゴーヤと風船かつらの2題を紹介したい。ゴーヤは貰い物の苗と格安で買った苗とが見事?に成長しつつあり窓際なら立派な緑のカーテンを形成するであろうと思われる。窓際ではないのでカーテンではなくもっぱら食用となるのだが筆者はほろ苦いゴーヤジュースを愛飲するものだ。花が咲きだしたが雌花が極端に少ないのが気になるところである。
風船かつらは、知人のご主人から種を頂いたので種蒔きしていたところ100%の出芽率でほぼ10cm程度に成長してきた。
時間をみつけてネット張りをした。暑い最中に風に揺られる“風船”を想像しながら成長することを楽しみにしている。
(写真をクリックで拡大表示委)
11月14日(木)。シルバー互助会のバス旅行で御在所岳・湯の山温泉に行った。
前日のスッキリしない天気だっただけに心配していたが当日の天気は朝から申し分なく年甲斐
もなくルンルン気分で家を出た。集合場所での挨拶が「天気になって良かったネ」だった。シルバーとは云え、気分は若者の集まりだ。道路事情が良くなったことでバスの乗車時間は約2時間で御在所に到着する。標高1212mの山頂へはロープウエイで、12分の移動中に眼下に広がる紅葉した景色にはうっとりする。頂きは薄っすらと雪が積もっていた。おそらく初雪だろう。自然の織り成す紅葉という絵画は万人を魅了させてしまう。、
お昼は湯の山温泉で会食。その後、椿大神社(ツバキオオカミヤシロ)に参拝して帰宅する。 (写真をクリックで拡大)
今日10月30日。今年も「我が家の菊花展2013」をオープンした。
1年を振り返ると猛暑あり台風あり足腰の激痛ありで大変な菊づくりだった。6月、足腰に激痛 を感じたときは「菊づくりはもう駄目か!!」と思った瞬間だった。菊鉢が重たい、動かせない状態に鞭を打ちつつ今日のオープンを迎えた。菊づくり至福の
瞬間である。
菊の種類によって開花の時期が違っているが大菊は8分、中菊は5分、小菊は2分咲き程度であろうか。
菊づくりが始まる来春にこの足腰の痛みが残っているようであれば気ままな菊づくりを大幅に路線変更せざるを得なくなるだろう。重たい鉢から軽い鉢への転換が必要となる。重たい大菊・小菊盆栽等等から軽い福助・小品盆栽へと大転換となる。(写真をクリックで拡大表示)
10月も下旬となった今、台風27号と28号がほぼ平行して日本に近づいてきた。
二つの台風が近接してくるとお互いに干渉しあって今後の進路の予測が難しいのだという。ただ、今日(23日)になって28号の速度が速くなったこともあって進路が予測出来るようになったのだと聞く。 実は、前回の台風26号(1週間前)で大切に育ててきた大菊の数鉢が倒れて花の首根っこから折れる致命的な被害を受けたこともあり、しかも台風27号は、26号とほぼ同一進路となっていることもあって今回は早々に昨日(22日)菊群の避難を始めた。
とにかく、長い菊づくりの期間で「我が家の菊花展」の開催前後の2週間が菊づくりの“至福のひととき”菊づくりの集大成の期間だけに台風の影響を受けるのが残念である。台風の影響がなくなる来週早々には展示したい。「我が家の菊花展2013」は30日にいオープン予定だ。
(写真は避難した菊群。クリックで拡大)
2020年のオリンピックが東京で開催されることに決まった。
7日の夜から8日の早朝にかけて、テレビでの経過をみながら前回(1964年/昭和39年)の東京オリンピックの記憶が脳裏を駆け廻っていた。当時、大学3年で小田急線・千歳船橋駅の近くに間借りしていた頃の青春真只中だった。生活に余裕のない学生だったから競技の入場券を買える状況ではなく“無料”の男子マラソンのみを応援したことがはっきりと甦ってくる。新宿駅前の甲州街道に立ち裸足のアベベ選手や円谷選手を応援したことが今でも強く印象に残っている。
現在70歳、7年後は77歳となるが元気なら自ら喜寿のお祝いとして、また冥途へのお土産として東京オリンピックを見に行くことを決意した。
わが健康状態の現状はどうかというととてもじゃないが7年後、高齢での旅行は考え難いことだ。薬漬けの生活とも言えそうな現実と且つ足腰の治療中ということも考え合わせると不可能に近いかも知れない。
長いのか短いのか、あと7年もの時間がある。健康づくりに心がけ夫婦で東京オリンピック見物旅行と洒落込みたい、この夢を実現させたい!!
今や、来る日も来る日も菊づくりである。
手抜き作業に徹しているものの菊種が多いだけに作業時間が足りない状態が続く。
①大菊
挿し芽から1か月余が過ぎポット育成から5号鉢へと移植した。ただ、市販苗の5本は5
号鉢から8号鉢に定植したところである。
②小菊盆栽
1年余の間、筒で育成していた苗を木付けして定植を完了する。
③小品盆栽
昨年からの「継続育成」を中心に進行中だ。
③懸崖と辻が柳
今年の菊づくりの手始めとなった。手抜き作業の最たる例で株分け品を利用して定植を完了して順調に育っている。これからはオブジェづくりで樹形を整えることになる。
この他にもドーム菊があるがこちらも順調に成長している。まだ、7月に入ってからはじまる福助があるが今年も大小合わせて100鉢を超えそうだ。
8年目となる今年の菊づくりの最大の特徴は、写真のように腐葉土養生箱で作った腐葉土をふんだんに使ったことだ。赤玉土(大粒)と混合した菊の土が吉と出るか凶と出るか楽しみでもある。
リフォームが終わった。
先のブログでもリフォーム開始を紹介していたが時間がなくて終了の情報を書けていなかった。菊づくりの合間に次の2題を紹介しておこう。
①リフォーム完了
和室と玄関周りのリフォームだったがその一つ和室の話題だ。床の間を2分割してゆくゆくは仏壇の設置を可能としたことだ。体調がままならぬ状態となった今、見知らぬ世界へ旅立ったあとの「居場所」が完成したことになる。分家の我が家には仏壇が無いまま築40年が過ぎ、狭いながらも”居場所を見つけたり”の穏やかさのある心境になることができた。
ここ数年、菊づくりに夢中だがいつまで続けられるのか誰にも分からないが愛情を持って育てた菊の開花時期10~11月に旅立つことが出来れば最高の喜びとなるであろう。
古希を過ぎた今、我が人生を回顧しつつ残された余生を歩みたい。生かされてきた社会への恩返しはなかなかに難しい。ささやかなボランティア活動で許しを請うことになりそうだ。
②巣箱の設置
何年か前にこの銀杏の木に巣を作った鳥がいた。和室の窓越しにずっと見守っていたが台風の風雨により小鳥が巣立ったかどうか不明のままだった。今で
も気になったままだ。
雀が絶滅品種に指定されているが雀の環境が一変して巣作りが出来ないのだという。新築しても昔風の屋根瓦スタイルの家がめっきり少なくなった現実がある。
こんな訳で端材で巣箱をを作って銀杏の木に取り付けた。いつの日にか雀が立ち寄ってくれたらいいなぁ、と思う老人がここにいるよ。
(写真をクリックで拡大表示されます)
築39年の震度6の地震に耐えられそうにもない古びた我が家だ。
二人の子供も巣立って今では老夫婦と視力を失った老犬との生活だ。これまでにも何回かリフォームしてきたがこの22日から再び何回目かのリフォームが始まったのだ。もともとの計画では昨年の春にリフォームする予定だったが甲状腺癌の手術もあって1年延期していたものだ。今回のリフォームの主目的は二つあって
①雨の吹き込み防止のために玄関周りの改造
②小さい仏壇を置けるように和室の改造
である。
①については梅雨や台風に備えての対策ということになる。一方、②は癌体質ということになろうかわが身も古希を過ぎたのだからいつお迎えがきても不思議ではない年齢に達したのだからその準備ということになろうか。
約1か月の工事期間となるが改装された和室に泊まりたいという孫がいるのも嬉しい。
3月12日(火)
いつもの通り通学路に立って“おはよう”“おはよう”と学童に挨拶していた。登校中の1人の男の子が「毎日毎日ありがとうございます」と1枚の紙を渡してくれた。そして下校中の女の子
からも同じ書式の1枚を渡してくれた。
そこには『見守りボランティアさんへ』と日頃の感謝の言葉が書かれていた。写真のようにように校長先生んの言葉が添えられていたこともあって小学校の取組だろうと容易に想像できたが学童から頂いて感謝の言葉を目にするとほのぼのとした想いにかられる。この19日には卒業式だ。小学校を巣立って中学生になる。
小学校のホームページをみると学校応援団が組織されていてその中の見守りボランティアが位置づけられている。更新日が古いけど相当数の人数が協力していることになる。孫二人が通学する石部小学校に乾杯!!(写真をクリックすると拡大)
学校応援団 登録者数
見守りボランティア 104
図書ボランティア 11
環境整備ボランティア 15
クラブボランティア 5
郷土資料ボランティア 7
ホームページボランティア 2
学生ボランティア 5
掃除ボランティア 2
PTA一日ボランティア 14
2012.5.31現在 総計160名