新宿駅は通勤の乗換駅なので西口では良く飲みますが、居酒屋を探す以外は西口を散策したことはありません。今日(9月7日)は新宿西口で人と会う用事があって、その後、時間があったので西口を散策してみることにしました。
<常圓寺(じょうえんじ)>
新宿駅西口から青梅街道沿いに10分位歩くと右側に常圓寺があります。
この近くで飲んだことはありますが帰りは、いつも夜なのでお寺があることは判っていましたが境内に入ったのは初めてです。
道路から山門までは結構距離がありましたね!
便々館湖鯉鮒狂歌碑(べんべんかんこりふきょうかひ)とえらく長い面白い名前の新宿区指定史跡の碑がありました。
説明板に依ると、便々館湖鯉鮒(1749~1818)は狂歌師の名前で、苗字は便々館で名は湖鯉鮒みたいで、石に彫ってある『三度たく 米さへこはし やはらかし おもふくままには ならぬ世の中』は彼の代表作みたいです。
「三度炊く米も思うようにはならないのに、まして世の中は自分の思うようにはならない」と詠んでいるのでしょうかね?
取り敢えず本堂にお参りしてから後の方にある墓地に行ってみました。
江戸時代後期の幕臣「筒井政憲(つついまさのり)の墓」(新宿区指定史跡)の説明板がありました。
筒井政憲の名前は聞いたことはありませんが、説明板に依ると文政4年(1821)から約20年江戸南町奉行を務めた名奉行だったみたいです(遠山の金さんみたいな人ですね!)。
是非、お墓を見てみたいと思って説明板の後に回ってうろうろしていたら近くにいた人が、お墓は後ではなく別の場所にあると教えてくれました。
お墓の近くに行って何か証がないか探していたら墓前に石塔がありました。
石塔には奉献「南町奉行所与力 蜂屋新五郎昌備」と刻まれていたので筒井政憲の墓であることが判りました。証なので取り敢えずアップで撮ってみました。
筒井政憲の墓に合掌してから説明板のある所に戻りました。
筒井政憲の墓の説明板の並びに淀橋七地蔵があったので撮ってみました。
説明板には『淀橋七地蔵は、昭和の初め惨酷を極めた大久保町の貰子殺し夫婦の手により哀れな死を遂げた男女七児の霊を弔うため、後年、此の事を伝え聞いた青山の石勝さんが地蔵尊七体を刻んで寄附した』と記されていました。合掌
淀橋七地蔵の傍にご覧のような「歯塚」があったのでこれも撮ってみました。
<常泉院(じょうせんいん)>
常圓寺に隣接して常泉院があったのでこちらにも行ってみました。どちらもお寺も日蓮宗で”常”が入っているので何か関係がありそうですね?
本堂の脇にご覧のような浄行菩薩様(じょうぎょうぼさつさま)が置いてあって、お水をかえて手でかるくあてながらお参りすると六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)を清めると書いてあったので遣ってみました。
今のところ未だ効果は現れていません(念のため?)。
<新宿中央公園に向かいます>
常泉院を後に、今度は青梅街道を左折して新宿警察暑の前を通って中央通りから新宿中央公園に向かいました。
近づくと全体が撮れないので途中で都庁を撮ってみました。左に聳えている大きな建物が京王プラザホテルです。
都庁を超えて新宿中央公園前まで遣ってきました。中央の建物(セントラルパークタワー?)の外窓に何か写っているように見えますがデザインですかね?
横断歩道橋を渡って左の森が見える新宿中央公園に向かいました。
<横断歩道橋の上から>
どうやら先程の建物(セントラルパークタワー?)の外窓に写っていたのはデザインで、中央の建物に写っているのはその建物の影みたいですね!
<新宿中央公園>
横断歩道橋を渡って新宿中央公園に着きました。
かつて淀橋浄水場だった跡地に都立公園として開園してから昭和45年頃に数回来たことはありますがそれ以来の来園です。
案内図で現在地を確認します。
公園の木陰を歩きながら「水の広場」に向かいました。
広場でフリーマーケットを遣っていたので都庁を背景に撮ってみましたが、ここからだとやはり都庁全体は入りませんね!
広場にご覧のような「新宿ナイアガラの滝」があったので撮ってみました。
「新宿ナイアガラの滝」の後ろ側に回ってみると反対側は「新宿白糸の滝」になっていました。
「新宿白糸の滝」の方が日陰があるので涼しげな感じがしますね!
「水の広場」を後に、今度はご覧のような散策路を通って熊野神社に向かいました。
<熊野神社>
熊野神社には「新宿白糸の滝」からは数分で着いてしまいました。
ところで熊野神社と言うと私の地元(大和市)にも私の実家(横浜市)の近くにもある一般的な神社と言う感じがしますね(関係者にはすいません)?
鳥居の脇に神輿蔵があって御神輿が置いてあったので失礼して撮らせて頂きました。
神輿蔵の中は良く見えませんでしたが御神輿は何基あるのでしょうね(最低でも大小合わせて30基位はありそうですよ)?
神輿蔵の向かい側に新宿区指定史跡の「十二社(じゅうにそう)の碑」がありました。
説明板には『ここ十二社の地が、池や滝を擁した江戸西郷の景勝地であることを記した記念碑で、嘉永4年(1931)三月に建てられました。』と書いてありました。
この碑の表面には碑文と漢詩が刻まれているらしいのですが、私には何が書いてあるのか全然分かりませんでした。
拝殿の方に行ってみると神殿結構式を挙げた後の記念写真を撮っているようでした(羨ましいですね!)。
アップで撮っていると拝殿脇の廊下からもう一組出て来ました。今日はお日柄もよろしいのですかね? ⇒ 後で調べたら今日は仏滅でした。
記念写真の撮影の邪魔をしてはいけないので暫くブラブラしてから拝殿の横に向かいました。
ところが先程の一組が境内社:厳島神社の前で記念写真を撮っていました。どうやら挙式を挙げた後は拝殿やこの厳島神社の前で記念写真を撮る段取りになっているみたいですね!
私もこの厳島神社に行って記念写真を撮らせて頂きました(誰もいないのは寂しいですね!)。
拝殿の横に新宿区指定有形文化財の「大田南畝の水鉢」の案内が出ていたので行ってみることにしました。
この水鉢は文政3年(1820)に奉納されたもので、江戸時代後期の狂歌師の大田南畝(蜀山人)(1749~1823)の書による銘文が刻まれているようです。薄らと銘文が見えますね!
本殿の右側に末社:大鳥三社と末社:稲荷神社があったので取り敢えず撮ってみましたが由緒などは分かりません。
一応、熊野神社を見て回ったので新宿中央公園を後にして再び青梅街道に出て新宿駅西口に向かうことにしました。
青梅街道に出る手前に「成子子育地蔵尊」があったのでアップでも撮ってみました。超高層ビル街にこのような地蔵尊があるとは驚きのですね!
説明板に依ると、この地蔵尊は古くは享保十二年(1727)に建てられ、その後、戦災などで消失し昭和二十六年に再建されたようです。
青梅街道に出て暫く新宿方面に歩くと「成子天神社御祭禮」のノボリが出ている脇道(参道?)があって工事中だったのですが面白そうなので行ってみることにしました。
脇道を暫く進むとご覧のような架設の祭壇がありました。
これが成子天神社の祭壇かどうか分かりませんが老夫婦が長い時間手を合わせていたので私もつられて手を合わせてしまいました。
ここが成子天神社の祭壇かどうかハッキリしなかったので更に脇道を進んでみました。
脇道を先に進むと左側に工事フェンスがあって隙間から中を覗いてみるとご覧のような状況でした。
どうやら成子天神社は神社に続く道も含めて工事中だったみたいです。
成子天神社から再び青梅街道に戻って新宿駅西口に向かいました。当然、西口にあるいつもの居酒屋で一杯遣って帰りました。
結局、今日の「新宿西口をぶらり」は2時間位はかかってしまいましたが、新しい発見も出来て充分楽しめたので大変満足しています。
<常圓寺(じょうえんじ)>
新宿駅西口から青梅街道沿いに10分位歩くと右側に常圓寺があります。
この近くで飲んだことはありますが帰りは、いつも夜なのでお寺があることは判っていましたが境内に入ったのは初めてです。
道路から山門までは結構距離がありましたね!
便々館湖鯉鮒狂歌碑(べんべんかんこりふきょうかひ)とえらく長い面白い名前の新宿区指定史跡の碑がありました。
説明板に依ると、便々館湖鯉鮒(1749~1818)は狂歌師の名前で、苗字は便々館で名は湖鯉鮒みたいで、石に彫ってある『三度たく 米さへこはし やはらかし おもふくままには ならぬ世の中』は彼の代表作みたいです。
「三度炊く米も思うようにはならないのに、まして世の中は自分の思うようにはならない」と詠んでいるのでしょうかね?
取り敢えず本堂にお参りしてから後の方にある墓地に行ってみました。
江戸時代後期の幕臣「筒井政憲(つついまさのり)の墓」(新宿区指定史跡)の説明板がありました。
筒井政憲の名前は聞いたことはありませんが、説明板に依ると文政4年(1821)から約20年江戸南町奉行を務めた名奉行だったみたいです(遠山の金さんみたいな人ですね!)。
是非、お墓を見てみたいと思って説明板の後に回ってうろうろしていたら近くにいた人が、お墓は後ではなく別の場所にあると教えてくれました。
お墓の近くに行って何か証がないか探していたら墓前に石塔がありました。
石塔には奉献「南町奉行所与力 蜂屋新五郎昌備」と刻まれていたので筒井政憲の墓であることが判りました。証なので取り敢えずアップで撮ってみました。
筒井政憲の墓に合掌してから説明板のある所に戻りました。
筒井政憲の墓の説明板の並びに淀橋七地蔵があったので撮ってみました。
説明板には『淀橋七地蔵は、昭和の初め惨酷を極めた大久保町の貰子殺し夫婦の手により哀れな死を遂げた男女七児の霊を弔うため、後年、此の事を伝え聞いた青山の石勝さんが地蔵尊七体を刻んで寄附した』と記されていました。合掌
淀橋七地蔵の傍にご覧のような「歯塚」があったのでこれも撮ってみました。
<常泉院(じょうせんいん)>
常圓寺に隣接して常泉院があったのでこちらにも行ってみました。どちらもお寺も日蓮宗で”常”が入っているので何か関係がありそうですね?
本堂の脇にご覧のような浄行菩薩様(じょうぎょうぼさつさま)が置いてあって、お水をかえて手でかるくあてながらお参りすると六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)を清めると書いてあったので遣ってみました。
今のところ未だ効果は現れていません(念のため?)。
<新宿中央公園に向かいます>
常泉院を後に、今度は青梅街道を左折して新宿警察暑の前を通って中央通りから新宿中央公園に向かいました。
近づくと全体が撮れないので途中で都庁を撮ってみました。左に聳えている大きな建物が京王プラザホテルです。
都庁を超えて新宿中央公園前まで遣ってきました。中央の建物(セントラルパークタワー?)の外窓に何か写っているように見えますがデザインですかね?
横断歩道橋を渡って左の森が見える新宿中央公園に向かいました。
<横断歩道橋の上から>
どうやら先程の建物(セントラルパークタワー?)の外窓に写っていたのはデザインで、中央の建物に写っているのはその建物の影みたいですね!
<新宿中央公園>
横断歩道橋を渡って新宿中央公園に着きました。
かつて淀橋浄水場だった跡地に都立公園として開園してから昭和45年頃に数回来たことはありますがそれ以来の来園です。
案内図で現在地を確認します。
公園の木陰を歩きながら「水の広場」に向かいました。
広場でフリーマーケットを遣っていたので都庁を背景に撮ってみましたが、ここからだとやはり都庁全体は入りませんね!
広場にご覧のような「新宿ナイアガラの滝」があったので撮ってみました。
「新宿ナイアガラの滝」の後ろ側に回ってみると反対側は「新宿白糸の滝」になっていました。
「新宿白糸の滝」の方が日陰があるので涼しげな感じがしますね!
「水の広場」を後に、今度はご覧のような散策路を通って熊野神社に向かいました。
<熊野神社>
熊野神社には「新宿白糸の滝」からは数分で着いてしまいました。
ところで熊野神社と言うと私の地元(大和市)にも私の実家(横浜市)の近くにもある一般的な神社と言う感じがしますね(関係者にはすいません)?
鳥居の脇に神輿蔵があって御神輿が置いてあったので失礼して撮らせて頂きました。
神輿蔵の中は良く見えませんでしたが御神輿は何基あるのでしょうね(最低でも大小合わせて30基位はありそうですよ)?
神輿蔵の向かい側に新宿区指定史跡の「十二社(じゅうにそう)の碑」がありました。
説明板には『ここ十二社の地が、池や滝を擁した江戸西郷の景勝地であることを記した記念碑で、嘉永4年(1931)三月に建てられました。』と書いてありました。
この碑の表面には碑文と漢詩が刻まれているらしいのですが、私には何が書いてあるのか全然分かりませんでした。
拝殿の方に行ってみると神殿結構式を挙げた後の記念写真を撮っているようでした(羨ましいですね!)。
アップで撮っていると拝殿脇の廊下からもう一組出て来ました。今日はお日柄もよろしいのですかね? ⇒ 後で調べたら今日は仏滅でした。
記念写真の撮影の邪魔をしてはいけないので暫くブラブラしてから拝殿の横に向かいました。
ところが先程の一組が境内社:厳島神社の前で記念写真を撮っていました。どうやら挙式を挙げた後は拝殿やこの厳島神社の前で記念写真を撮る段取りになっているみたいですね!
私もこの厳島神社に行って記念写真を撮らせて頂きました(誰もいないのは寂しいですね!)。
拝殿の横に新宿区指定有形文化財の「大田南畝の水鉢」の案内が出ていたので行ってみることにしました。
この水鉢は文政3年(1820)に奉納されたもので、江戸時代後期の狂歌師の大田南畝(蜀山人)(1749~1823)の書による銘文が刻まれているようです。薄らと銘文が見えますね!
本殿の右側に末社:大鳥三社と末社:稲荷神社があったので取り敢えず撮ってみましたが由緒などは分かりません。
一応、熊野神社を見て回ったので新宿中央公園を後にして再び青梅街道に出て新宿駅西口に向かうことにしました。
青梅街道に出る手前に「成子子育地蔵尊」があったのでアップでも撮ってみました。超高層ビル街にこのような地蔵尊があるとは驚きのですね!
説明板に依ると、この地蔵尊は古くは享保十二年(1727)に建てられ、その後、戦災などで消失し昭和二十六年に再建されたようです。
青梅街道に出て暫く新宿方面に歩くと「成子天神社御祭禮」のノボリが出ている脇道(参道?)があって工事中だったのですが面白そうなので行ってみることにしました。
脇道を暫く進むとご覧のような架設の祭壇がありました。
これが成子天神社の祭壇かどうか分かりませんが老夫婦が長い時間手を合わせていたので私もつられて手を合わせてしまいました。
ここが成子天神社の祭壇かどうかハッキリしなかったので更に脇道を進んでみました。
脇道を先に進むと左側に工事フェンスがあって隙間から中を覗いてみるとご覧のような状況でした。
どうやら成子天神社は神社に続く道も含めて工事中だったみたいです。
成子天神社から再び青梅街道に戻って新宿駅西口に向かいました。当然、西口にあるいつもの居酒屋で一杯遣って帰りました。
結局、今日の「新宿西口をぶらり」は2時間位はかかってしまいましたが、新しい発見も出来て充分楽しめたので大変満足しています。